未完成のまま永遠に

今日は朝から月例祭準備に取り掛かり、なだれ込むように午後一時からの祭典、そして今年の取り組み、土曜日曜 月例祭感話発表者のお話しを頂く。感話後お参りされた方々の熱気が溢れ、小さな広前のここそこで共励が繰り広げられていた。
金光教とのご縁とご両親の信心の遍歴、そして子供の頃から今に至るまでのご自身の歩みを、見事にまとめたお話で、身代と人間と達者が三代続いて初めて神様の威徳の現れと申しますが、今日の発表者はまさにその御教えを体現されていた。もちろん身代=金銭のご苦労を一家で通られ、達者=病気にかからないということではなく実際様々に試されました、しかしその事柄を神様の働きとうける土壌がまさに見事に蓄えられ、人間=子孫繁盛へ結ばれていく、その片鱗を味わうことができました。
私は信心の初代のようなものなので(家に金光教が来て7年後に合楽教会のお嬢様方と出会い傾倒しました)、まだ筋金が入っていないと実感します。特に代々信心の家系の方々にまみえると、心の貧しさがくっきりと浮かび上がり道はまだまだ続くことに多少呆然とします。「未完成のまま永遠に」自分は一生道半ばでしょう、そういうサンプルも必要かもしれません。

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