人の章 一切神愛論⑤

黙って治める

《御理解第88節》昔から、親が鏡を持たして嫁(よめ)入りをさせるのは、顔をきれいにするばかりではない。心につらい悲しいと思う時、鏡を立て、悪い顔を人に見せぬようにして家を治めよということである。

 人を教育し、導いていくのに「言うて聞かせて、してみせて、誉(ほ)めてやらねば誰もせぬぞえ」という方法がよくとられる。あたかもそれが最良の方法であるかのように語られている。成程、神様の働きを知らない常識の眼で見たらそうも見えよう。
 だが、果してそうであろうか。
 合楽教会でいわれる「黙って治(おさ)める」という生き方は、合楽の信心の芯である。これは、この八十八節の「家を治めよ」の「治」という文字をもって神様がお示し下されたものである。
 「治」と初めてお知らせ下された時、親先生もはじめどういう御神意だろうかと思われたという。
 すると神様は間髪を入れずに、次に「治」とは「シ(さんずい)」偏に「ム」「口(くち)」と書く。「シ」は自然ということ。自然に起こってくる働きを「無口」で受ける生き方に最高に「治」まっていくと重ねてお知らせ下さったのである。
 黙って治めるといっても、世間でいうじっと「堪忍」しておけばよいというような、歯を食いしばっての辛抱ではない。神様の働きを信じるが故に、有難く黙って治める生き方をいうのである。
 大分の三女傑の一人といわれるAさんは、十九才の時から商売を始められ、三十二才の時には、日田市で一番大きい酒の卸間屋を任され、以来、私にできないことはないと自信満々の商売を続けてこられたという。
 そのAさんが親先主に出会われたのが十年前。接すれば接する程、親先生の偉大さに心酔。そして、好きでたまらない商売も、親先生の一言で長男に譲ることになられたのである。
 譲ってはみたものの、まだまだ親の目からみると頼りなく、長男のすることが何から何まで気になり、言いたくなる。しかし、言えば反発してくる。
 親先生は、「譲ったのだから息子さんのしたいようにさせなさい、一切を黙って治めなさい」といわれる。それでも、やっぱり自分でなければという思いが強く、親先生のいわれる通りにする事はなかなかでき難い。
 そういうある日、突然、Aさんは声が出なくなった。
これでは、言いたくても言えない。しかたなしに、これは、神様が言葉を取り上げられたのであろうと腹をきめて、息子達の商売を黙ってみておる他なかった。
 ところが、不思議と、思い以上に商売ができていくではないか。
 それをみて、「成程、自分は言うことはいらない。黙って治めていくことが一番」といよいよ悟られ、そして、まもなく声も元に戻られたという。
 このように、初めのうちは倒れ転びでも、黙って治めるうちに段々おかげを頂き、現在では長男夫婦もお育てを頂いて、Aさんがいなくても商売は安心という基盤もでき、順調な発展をみせている。
 何か理路整然としたことを言わなければならなかったり、相手の感情に訴え、相手が得心してくれるように言わなければならなかったりするのなら、難しいが、黙って治めることは、黙っておればよいのであるから、その気になれば、誰でもできる簡単なことである。
 しかも、日常茶飯事のあらゆる事柄の中で、この黙って治めることに徹して、取り組んでいけばいく程、黙っていてよかった、こんな治まり方があっただろうか、と驚くほど神様の不思議なお働きのままに、思い以上、願い以上のおかげの世界が開けてくる。
 そこに、いよいよ黙って治めねば馬鹿らしいということにもなり、黙って治めていく信心の偉大さが明瞭となっていく。
 『簡単です。明瞭です。おかげが確かです。』これは、合楽理念のキャッチフレーズであるが、この黙って治める信心一つを見ても、成程とうなずけるであろう。
 ここで心に辛い悲しいと思う時、鏡をみて「こんな顔ではならない」と辛抱して家を治めよと教えて下さっている。それは、その事と共に、信心の教えの鏡を立てて、自分の心をみつめよということでもある。
 まずは教えの鏡を立て、黙って治める生き方に徹していきたい。そこに、情けない思いをせねばならない元は、自分にあったとわかり、辛い苦しいことも、深い御神慮があっての神様の御都合ということも分ってくる。

 成程、言うて聞かせたり、言い返したり、言い訳する必要はさらさらないし、いよいよ黙って治めることの大切さも分ってくるのである。
 そこから、私の周囲のすべてのことが黙って見事に治まっていく。いよいよ天地の親神様が人間氏子に是が非でも与えたいと願われるお徳も頂ける。八十八節(八は末広がり、八十八は広がりに広がるの意)、親の代より子の代、子の代より孫の代へ、おかげが広がりに広がっていくのが黙って治める生き方である。(昭56・1・24)

十三日は神の願いが成就する日

《御理解第9節》天地金乃神は宗旨嫌(しゅうしぎら)いをせぬ。信心は心を狭(せも)う持ってはならぬ。心を広う持っておれ。世界を広う考えておれ。世界はわが心にあるぞ。

 「天地を丸生かしにしておられる神様だから、天地の間の総てのことは、天地の親神様におすがりするより外にない。」

 この簡単にして的確な頂き方。「世界は我が心にあるぞ」とは、そういう広い天地の頂き方をもって、天地と一体となることを言われたのであろう。
 合楽教会の毎月の信心共励の場として、一番大きなものに十三日会がある。九州開教の祖と言われる小倉教会初代・桂松平師の帰幽日である十三日に、小倉教会と本部への月参拝が有難くなされていた神愛会時代のこと。突然ある所より「教会でもないのに」と、その参拝を差し止められた。親先生の大恩人(※注)であられる三代金光様が本部にはおられる。また、桂先生あってお道の信心を頂くことができた。そこからの、やむにやまれぬ思いでの参拝であったから、それは文字通り、血の涙の出るような出来事であった。しかし、そういう中にあって、神様は『十三日は神の願いが成就する日』とおしらせ下さった。
 そこから心機一転、そのお言葉を励みとして、以来十三日は神様の願いが成就する為の、信徒あげての御用の日となり、午後からは信心共励会がもたれることになりここに十三日会が誕生したのである。また、本部参拝をしたつもりで、その旅費を貯えることになり、やがて教会建築の運びとなった時、その貯金の全額が、ちょうど、土地と土盛りの為の費用と同じという働きになって来た。
 さらに、十三日会は発展に発展を重ねて来て、やがて昭和五十三年、神様は『十三日会は放生会(ほうじょうえ)』とおしらせ下さった。前後して下されたものに『詫びれば許してやりたいのが親心じゃ』とあったことと考え合わせて、いよいよ十三日会の持つ意義の大きさが明らかになって来た。
 『放生会』。それを辞書で引くと「金光明教(経)流水長者の故事に基き、生類を放生する儀式」とある。世界の明教といわれる金光教には、詫びれば許して水に流して下さる、放生して下さるという前代未聞の天地の真が説かれてあるということ。自分の罪科に責められ、狭い窮屈な世界に住んでいる者でも、天地の間のことは天地の親神様にすがる外にないと、すがって詫びれば許して下さる放生の日として十三日はあるということである。
 なるほど「神の願いが成就する日」と仰せられた意味は深いものがある。
 世界の悪日とされて来た十三日。ここに合楽理念によって、神願成就の日として、有難い日としてイメージアップされた。
 和賀心時代を全世界に、同時に十三日会を、放生会を全世界にとは、合楽教会あげての願いである。もし、世界の各地に十三日会が設けられ、日頃は神様にお願いばかりしているお互いなのだから、せめてこの日一日だけは、神様の願いが成就することの為にと、無条件の御用に専念し、神様の悲願に応えられる信心の共励につとめることになるなら、真実、天地から許された、生まれ変った心をもって、新たに生きていくことが出来るようになるだろう。
 その許されたという実感、改まった心におかげが伴い、運命は開けてくるのである。そこにはじめて、広々とした天地と一体となれる信心も出来ていく。
 この十三日会が世界の十三日会となる時、世界人類の未来は限りなく明るいものとなり、洋々たる神人共栄の道が開けることになるであろう。

【注】

 親先生は信者時代、修行が激しくなるにつれ、次第に商売は行詰まり、その進退を親教会の親先生より、三代金光様にお伺いして頂くことになった。
 その時金光様は、「お道の教師としておかげを頂かれたら結構であります」と仰せられたのである。
 当時、商売によって大きくお役に立ちたいと願われていた親先生にとって、そのお言葉は正(まさ)しく青天の霹靂(へきれき)であった。
 爾来(じらい)、この御言葉は教会設立までの十七年間、紆余(うよ)曲折の中にあって親先生の取次者としての心の支えとなった。
 また、事ある度に御教えを頂き、三代金光様こそ取次者の鑑と仰いで、今日の合楽教会があると言われている。(昭56・1・29)

おかげで信心が出来ます

《御理解第58節》人が盗人(ぬすびと)じゃと言うても、乞食(こじき)じゃと言うても、腹を立ててはならぬ。盗人をしておらねばよし。乞食じゃと言うても、もらいに行かねば乞食ではなし。神がよく見ておる。しっかり信心の帯をせよ。

 「氏子信心しておかげを受けてくれよ」と仰せられる天地の親神様。そのお心を説かれた教祖様の御教えは、実に深遠である。その深い広い御教えを合楽教会では、誰もが容易(みやす)く、楽しく、有難く、しかも愉快なまでに行じられるように説き明かされている。
 この御理解には、泥棒といわれても乞食といわれても腹を立ててはならぬと教えてある。それを表面だけをとらえると、神様が見ておられる、聞いておられる世界に生きているのだから、とにかく黙って辛抱しておきなさいというような、慰め的な御教えにも聞こえる。しかし、それではこの御理解の御神意を頂いたことにならない。そこに腹を立てずに済む道理をわかり、おかげで信心が出来ますという本当のことへ向かっての辛抱がなされねばならない。
 久留米教会初代・石橋松次郎師は本部で御修行中に、四神様(二代金光様)より「なあ石橋さん、信心辛抱さえしておれば物事整わぬ事ないぞ」とのお言葉を頂かれた。その一言を懸(か)け守りにされ、どういう中にあってもおかげで信心が出来ますと辛抱しぬかれて、晩年には辛抱する事がなくなる程の、信心辛抱の徳を頂かれた。
 石橋先生が小倉の親教会のある大祭の折、祭典も終わり直会(なおらい)が始まろうとする時、著名な先生方が居並ぶ満座の中で、師匠の桂先生が突然、「石橋さん、あんたんとこの息子はバカじゃな」と仰しゃった。それを聞かれた石橋先生はその時、顔色一つ変えず即座に、「親先生、おかげで信心が出来ます」と答えられたという。桂先生はそれを聞かれて大変喜ばれて「石橋さん、でかした」と、一番に盃を下されたという話が残っている。石橋先生が、いかに日頃から様々な事柄を通して、おかげで信心が出来ますという生き方が出来ておられたかがわかる。
 親先生は、今朝御神前で『結婚式を前にした女の人が御神前に座っている。そして、手に鎖のようなものがまかれ、手をいっぱいに広げて、切って外そうとしている』ところをお知らせに頂かれた。それを頂きながら、手を合わせて合掌すれば鎖から抜けられるのにと思われたところであった。それは丁度、苦しい時、難儀な時に、この難儀からなんとかして逃れよう、縁を切ろうとしている姿ではなかろうか。そういう難儀な時にこそ、神様との交流が始まろうとする前提である。それを、結婚式を前にした女の人で表現されたのである。だから、逃れよう逃れようと一生懸命に願うのは、鎖を一生懸命ひっぱってはずそうとしていることになる。これでは難儀から解放されることは難しい。そこに、神様がこうまでして交流しようとされてあるお心を分かり、「おかげで信心が出来ます」と、有難いと合掌して、御礼の言えれるところまで信心辛抱していく事である。そこに、手を合わせればスッと外れるように、一切が解けていき、一切が有難いものになってくるような、限りのないおかげの展開となってくるのである。(昭56・2・19)

百発百中

《御理解第67節》何事もくぎづけではない。信心をめいめいにしておらねば長う続かぬ。

 祈りの大きさで信心の段階がわかる。いつまでも自分のことばかり、自分一家のことばかり、店の繁昌のことばかりが祈りの内容で終始しているのでは、あなたの信心は釘着(くぎづ)けであるといってよい。
 学校も幼稚園から小学校、中学校、高校・・・・・・とあるように、お互いの信心も、自分の祈りの内容を見極めて限りなく育っていかねばならない。信心が育ってくるから祈りも大きくなる。おかげも育ってくる。だから、信心の楽しさ、有難さも増してくるのである。
 「和賀心時代を全世界に、十三日会の精神を全世界に、その為に日々御理念の実験実証をさせて下さい。そして合楽示現活動に参画させて下さい。」
 これは合楽の全信奉者の願いであり、切実な祈りでなければならない。中でも終生道の御用に立たしめたまわん事を願い、一生を神様に捧げ奉った修行生は、いよいよ自分を空しくして、神様が受けとって下さり喜んで下さるような、全身全霊にのしをつけて、その大願に向かって邁(まい)進させて頂かねばならない。
 先日から沢山の修行生が北米・南米・アフリカ・ヨーロッパへと布教の願いを立てているのを聞かれて、大変喜ばれた親先生は、その事の成就をお願いされていたところ、神様からお知らせを頂かれた。それは『立派な弓を満月のように引き絞っている、ところが矢が短くて、これでは的に届く前に落ちてしまう』といったところであった。

 願い(弓)は確かに立派だが、それに釣り合った精進(矢)が足りないのである。矢というのは、矢も楯(たて)もたまらんと身も心も捧げての信心が射貫くような勢いでなされねばならないということ。そこから、標的に向かって繰り返し繰り返しの稽古がなされるところに、段々と的中するようになり、「百発百中」というおかげにもなってくる。そこに信心の育つ手応えがあるから、精進することの喜びも楽しみも頂けるのである。

 世界の平和を願わぬものはあるまい。お道の信奉者ならば、日々その為の祈りもなされている事であろう。けれども、その願いがより切実なものでなければならないと同時に、「その為には自分の信心のお育てを頂きたい」と願い、その精進に一生懸命取り組まずにおれない内容がなければならない。
 大きな願いを立てさせて頂くと共に、その願いにふさわしい行動力の伴ったお育てを頂いて、いよいよ釘着けでない限りなく広く大きな信心を頂いていかねばならない。(昭56・4・12)

貫(ぬ)ける

《御理解第67節》何事もくぎづけではない。信心をめいめいにしておらねば長う続かぬ。

 「終生お道の御用に立たしめ給わんことを願い奉る」
 神様に身も心も捧げ、お道の教師にお取り立て頂くことは大変尊いことである。特に、春秋に富む若い者が、青春の夢を信心修行にかけ、将来は御神命のままに世界の隅々までも、布教の御用に立たせて頂きたいと情熱を燃やす程すばらしいことはない。
 親先生は、そういう合楽教会修行生のことをお願いされていたら、金の帯のついていないのしを頂かれた。
 のしは奉(たてまつ)るものだから、生涯を神様に捧げ奉った修行生のことであり、金の帯とは信心の帯をしっかりするということ。
 せっかく一生を神様に捧げますといって修行しているのだから、信心の帯がしっかりなされ、信心が一歩一歩育っていかなければ、いつまでたってもおかげは釘着けであり、人が助かる程の徳も力も受けられない。
 かつて、ある修行生が、荷物整理を口実に自宅に一日帰ったことがある。その時、親先生はお知らせに『ラムネの飲み口にはってある封の紙(神)を破るところ』を頂かれた。
 それは確かに実家に帰って手足を伸ばせば、少しは気は楽になるかもしれない。しかし、それは丁度ラムネを飲めば「べスッ」といって胸がスーッとする位のもの。ラムネを飲んだからといって栄養にもならないし血肉にもならないように、このような修行では、せっかく積み上げたものまで崩し、たとえ十年 二十年そのような修行が続けられたとしても、超えた世界には住むことはできない。そこで、親先生は『何事もぬけるまでが信心辛抱』と仰せられるのである。
 せっかく大願を抱いての信心修行に一心発起したのであるから、只今修行中の看板をあげている時には、自分から求めては楽はせんぞというくらいの決心がいる。そこには神様が楽をさせて下さろうとする働きも体験でき、そこには修行そのものが楽しく有難くなってくる。又、自分の心にグイグイ力がついて、心が育っていっていることがわかってくる。そのために、いよいよしっかり信心の帯をしめ、貫(ぬ)けるまでの信心辛抱をさせて頂かなければならない。
 神様は、心が育ち、喜びに喜んで、人の為、世の為、神様の願いの成就する為に、手と足と口と心が、その御用につかえる氏子を待ち望んでおられる。

  神の御用とは、神の目になり口になり耳になり心になること。(昭56・5・29)

鈍な人

《御理解第59節》習うたことを忘れて、もどしても、師匠(ししょう)がどれだけ得をしたということはない。覚えておって出世をし、あの人のおかげでこれだけ出世したと言えば、それで師匠も喜ぶ。おかげを落としては、神は喜ばぬ。おかげを受けてくれれば、神も喜び、金光大神も喜び、氏子も喜びじゃ。

 親先生に御神意をお伺いして、大工職に弟子入りしたA少年。ところが三年たっても、人の半分も仕事が覚えられない。両親も心配であり、不憫(ふびん)でならないから、「今のうちなら、まだやり直しが出来ますが、どうでしょうか。」とお届けがあった。
 それを聞かれた親先生は、御自身の若い頃のことを思われて、身につまされるような思いをされた。
 悲しいまでに鈍な人。人の半分も覚えられない要領の悪い不器用な人。親先生御自身もかつて、あまりに鈍な性格の為、「こんなことでは商売はやっても、もうけることは出来まい」と悩まれた時代があった、そのことを思い出されたのである。
 けれども、その少年が「だから自分はもうだめだ、何をやっても出来まい。」と大工の弟子をやめても、師匠は喜んでくれない。鈍なら鈍で、人が五年かかるところは十年かけてでも辛抱し、貫いていかねばならない。その辛抱が人の倍かかったとしても「おかげで人の真似の出来ないような技術も覚え、家の一軒も建てられるようになりました」ということになったなら、ことさら師匠は喜んでくれるであろう。
 親先生は十三才の時、酒の卸屋をする願いを立てて、酒の調合では当時、久留米一番の酒屋に修行に入られた。主人が厳しくて、奉公する人が永続きしないという店であったが、親先生は、人が寝静まってから、酒の調合を覚えられたという。人が一時間かけるなら、私は一時問半かけてでもと、いつもその三十分は『まけときましょ(おまけしておこう)』の構えでの修行であったから、人の覚えられないところも覚えられたのである。
 信心も同じ事。一を聞いて十を知るというような人は、往々にして早く覚えても、信心が粗雑であったり、すぐ忘れてしまうことが多い。かと思うと、日参り夜参りして一生懸命信心しても、なかなか信心が分からない人が、人の倍かけても稽古する気になった時、人の真似(マネ)の出来ないような信心も体得できるようになる。人より短い時間で早く覚えようとするよりは、「まけときましょ」の精神で、人の倍の稽古をする構えが貫かれることが、信心にはとりわけ大切である。そういう修行が貫かれて、人より年月はかかったけれども、おかげでこういう有難い信心が身についた、こういうおかげにもなって来たということになった時、神も喜び金光大神も喜び師匠も喜び氏子もの喜びとなるのである。
 「神様、まけて下さい、というような信心修行は死んだ修行。こちらからまけときます、という様な修行は、生きた修行。」(親先生手控え覚集より)(昭56・7・2)

天地人一如の世界

《御理解第5節》これまで、神がものを言うて聞かせることはあるまい。どこへ参っても、片便(かたびん)で願い捨てであろうが。それでも、一心を立てればわが心に神がござるから、おかげになるのじゃ。生きた神を信心せよ。天も地も昔から死んだことなし。此方(このかた)が祈るところは、天地金乃神と一心なり。

 これまで、様々な宗教が人間の幸せを求めて出現しながら、天地の心を具体的に説いた宗教はなかった。これまで神がものを言うて聞かせる事もなかった。
 これでは、例えば、天地(かみ)が水なら、私共は、油のようなもので、いつまでたっても天地と一つに溶け合うことができない。
 一しずくの水でも谷川に落ちれば谷川の水となり、大海に注げば大海の水となる。そのように、一人の人間でも、天の心を心とし、地の心を心とし、天地の働きそのものを、有難く勿体なく頂いていこうと精進していくなら、天地と同質になっていくことができる。
 「此方が祈る所は天地金乃神と一心なり」と仰せられるように、教祖様のみ教えの総てが、天地と一体となるためのお話ばかりである。その教祖様のみ教え一筋に歩む合楽では、人間が人間らしく生きて、天と地と、そして人とが、一つになって溶け合う天地人一如の世界への手立てを説かれるのである。
 親先生のみ教えに
 『天地の気息にあわせ、宇宙の呼吸にあわせる。大生命の流れの中に、神秘な体験を積むことを修行とする。』とある。
 合楽理念の実験実証、即ち、日常茶飯事に直面する出来事の中で、ここは天の心で、ここは地の心で、ここは日月の心で、と取り組んでいく生き方。成行きこそ神の働きとして、成行きそのものを大切に尊んでいく、そういう生き方が、天地の気息にあわせ、宇宙の呼吸にあわせることになり、そこに天地の御守護をいつも実感しながら、神様がものをいうて下さり、姿をみせて下さる神秘な体験を、積んでいくことができるのである。
 そこに、天地がいつもバックになって下さるばかりでなく、天地との交流ともなり、天と地と、そして人とが一つに溶け合った、天地人一如の世界が開けてくるのである。
 人類総氏子が、天地人一如の合楽世界に住まわせて頂くことになっていくことこそ、天地の親神様の切なる願いである。(昭56・9・21)

合楽世界へのご案内

《御理解第50節》とかく、信心は地を肥やせ。常平生からの信心が肝要(かんよう)じゃ。地が肥えておれば、肥をせんでもひとりでに物ができるようなものぞ。

  身にあまるおかげの世界に住みながら 何ゆえにおこる このさみしさは
  報恩の心をおこせ喜びは 願わずとても自ずから湧く
  この喜びは あの世まで持ってゆかれてこの世にも 残るものぞと悟れかし

 これは、今年米寿を迎えたあるお年寄りに、『合楽世界への御案内』として贈られた、親先生のお歌である。
 そのお年寄りは、財産もどれだけあるかわからない、お城のような家に住まい、優雅な生活をしておられるにもかかわらず、年を取るに従って、毎日が寂しくて寂しくてならないようになったというのである。
 喜ぼうとして喜べない、楽しくなろうとして楽しくなれない、神様から許されなければ、喜びも楽しみも感じることが出来ないのが人間の心の実相である。
 このお年寄りの例をみても、人間の幸せはお金や健康や財があればよいということではないことがわかる。
 それどころか、信心の徳の裏付けのない財産を子孫に残すのは、「毒まんじゅうを残すようなもの」と仰せられるほどである。親が財産を残したばかりに、争いになったり、子孫が堕落してしまう例は数多い。
 教祖は、信心すれば年が寄るほど位がつくものぞとも、一年一年有難うなってくるとも仰せられている。果してお互いは、そういう信心をさせて頂いているだろうか。そうでないなら、寂しい晩年が待ち受けている。
 まずは真の信心によって、心が豊かになり、美しくなり、大きくなること。そういう肥えた心に、ひとりでにものが出来るように伴ってくる財なら財のおかげであってこそ、正しく残っていくのであり、栄枯盛衰は世の理(ならい)という世界を超えた天地保証のおかげとなるのである。
 前述のお歌を頂かれて、大変なおかげの中にいることを気付かれたそのお年寄りは、信徒会館建設の願いが神様の願いであり、そのことに奉賛さして頂こうと報恩の心をおこされ、お供えの御用に打ち込まれた。
 すると、そこから自ずと喜びの心が湧いてきて、毎日が不思議と心にぎやかになってきたのである。
 お互いは恩に報いるという、その恩そのものが実感できていないから、「願わずとても湧く」といわれる喜びが頂けないのである。
 一切が神様の御物であり、御事柄であることを思い、神様のおかげをおかげと実感していくところに、一切が御礼の対象となってくる。
 そこから神恩報謝の心をおこし、信心の真を形にあらわしていく時、そこに喜びは自ずと湧いてくる。
 その喜びこそが、この世にも残しておけ、あの世にも持っていける御神徳であり、財なら財の、健康なら健康の裏付けとなって、子孫にも間違いなく伝わっていくのである。
 そこにまた、神様と交流しあえる世界がひらけてきて、哀しい寂しい哀楽世界に住んでいたのが、有難くもったいない合楽世界への道づけがついてくる。
 こういう信心に、ひとりでにものが出来ていく世界はいよいよ広く大きく豊かになってくるのである。

   哀楽の 心も老いぬ 冬ごもり

   合楽の 心もうれし 冬仕たく(昭56・11・23)

心は大きく気は小さく

《道教乃大綱》一 清き所も汚(きたな)き所もへだてなく天地乃神はお守りあるぞ。わが心に不浄(ふじょう)を犯すな。

 親先生は、今朝の御祈念中、神様からのお知らせに 勧進帳の安宅(あたか)の関の場面を頂かれた。このお芝居は、関守(せきもり)の富樫(とがし)が弁慶の忠義な心に打たれ、義経のいる事を承知で見て見ぬふりをして通すお芝居であるが、『その義経に謙虚さがなく、笠を取って大威張りで通っている場面』を頂かれたのである。いかに弁慶の忠義に富樫が見て見ぬふりをしようとしても、当の義経自身が、通るのが当り前とばかりに大手を振って通るなら、いかに富樫とても通すわけにはいかなくなる。
 合楽にあらわれているおかげは、どこまでも神様の第一の忠義者にお取り立て下さいと、願われる親先生の御修行によって、出来なくても出来たかのようにして通れないところも通して下さっているようなおかげである。
 しかし、これはお粗末だ、これは御無礼だと気付いたところも、神ながらなこと生身の人間だから当然だと、信心も出来ないのに出来たかのようにして、大威張りで通るようなことでは神様も通すことはできないことになる。だからこそ、親先生は、神様のおかげを頂かねば立ち行かん私と、願う所は願い、お詫びする所は詫びるという神様への繊細な心を使っていかれる。
 いかに合楽理念は素晴らしいといっても、有難い勿体ないの心で頂けず、どこか心にひっかかるなら、義経が謙虚な心で関所を通るような慎みの心がいる。
 親先生の場合、たとえそれが心にひっかからなくても、神様へ敬虔な姿勢で向かわれるのである。
 例えば、外出されたら必ず手を洗い、口をゆすがれる、又どんなに簡単な用事であっても、御神前に行かれるとなったら必ず羽織・袴をつけなければ出て来られないというように、神様の前にはビックリする位に神経を使われる。そこのところを親先生は、心は大きく、気は小さく使えと言われるのである。
 合楽では人間が人間らしく生きる事を教えられ、清も濁も超えた清濁一如の世界を教えられる一方、親先生御自身は、このような繊細なまでの心づかいをされるのである。
 合楽で信心を頂いている我々は、普通では通れない所を通らして頂いていることを心得て、神様に敬虔な心をもっての信心でなければならない。(昭56・12・17)