2024年7月01日~10日

2024年7月10日

御神訓

一 わが身がわが自由にならぬものぞ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和55年7月14日)

我が身が自由になりませんが、心は稽古(けいこ)次第で自由自在に使うことが出来るようになります。
喜びに喜んで過ごせる稽古が信心です。
ルールを守り約束に従う行き方、信心も教えにもとづく生き方ハいかにも窮屈(きゅうくつ)のように見えますが、身につくと有難く楽しい生活が出来るようになります。
自由以上の自由を頂くことのために。

金光教亀有教会ミニ御理解

私は前教会長(重度身障者)や長男(喘息持ち)との出会いがなければ、信心しているならば体の上にもおかげを頂くはずだと思い込んでいたと思います。私自身も妻も、双方の両親や兄妹も医者や薬にかかったことは、ほとんどないままおかげを頂いてきていたからです。そして信心しているのにわが身ひとつがままならいならば、それは信心しているようで信心していないからだと見ていたことでしょう。何とおごりがましく、せまい偏った見方であり、とらわれた心であっただろうかと思います。
体の上に修行を抱えていた二人を通して様々なことを学び、気づかせて頂きました。そういう中にも生き生きとした神様の働きを感じ取ることができ、そういう中だからこそ心も育ってくることを知りました。

わが自由にはならない身を通して、わが心を自由にさせよ。

2024年7月9日

御神訓

一 疑いを去りて信心してみよ。みかげはわが心にあり。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和55年7月13日)

拝む気になる、おかげがあります。
改まって信心すれば心が助かります。
本心の玉を研く気になって信心すれバお徳が受けられます。

金光教亀有教会ミニ御理解

疑うも疑わないも、信ずるも信じないも、銘々の自由でありますが、疑心を優先するよりは信心を優先した方が、やはりみかげになります。神は天地の鏡のようなもの。神も鏡も目には見えないようですが、氏子の心のありのままを映し出します。

疑えば疑われ、信ずれば信じられる。

2024年7月8日

御神訓

一 出産の時よかり物によかるより、神に心を任せよかれよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和55年7月12日)

 よりかかって よりかからず

私は信者の皆さんによりかかって居ます。けれども心ではひとつもよりかかって居ません。
一心にたより、よりかかれるのは神さまだけです。
神さま任せですと言うても心が不安定であるなら、まだまだ他の人や物や金によかっておる証拠です。
「神に心任せてよかれよ」ということです。

金光教亀有教会ミニ御理解

合楽教会の現・名誉会長の現職(小学校の校長)時代からのモットーは「よかじゃんの」(いいじゃないの)だったそうで、そのこと一つで多くの人を助け育ててこられました。
神に「よか」るとは「どうでもよか!」とか「もうよか!」といった投げやりや否定、諦めの「よか」ではなく、「よかじゃんの」の「よか」、つまり責めない、許容の「よか」を大切にしていくことです。

※「よか」とは福岡地方の方言で「いい」という意味で使われている言葉です。

2024年7月7日

御神訓

一 懐妊(かいにん)の時腹帯をするより、心に真(まこと)の帯をせよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和55年7月11日)

真の帯とはどんな帯でしょうか。しっかり真の信心をせよと言うことです。
そこで真の信心かとは、と言うことになります。
私共には七人の子供があります。長女長男ハ難産でした。三人目は逆(さか)産でしたが不思議に安産でした。
終戦そして外地よりの引揚げ・・・・・・、その頃から私共の信心が本調子になってきました。家内ハ四人目を懐妊した時から、教祖の御教えどおり腹帯をいたしませんでした。ひたすら神様一心とおすがりいたしました。それから次々と三人の子供に恵まれましたが、四人共、隣知らずの安産でした。
思いますに、真の帯とは教祖の御教えを本気で守ることだと悟りました。
真の帯とは真の信心とは、御教えを頂き守ることの外(ほか)なしと言う結論に達しました。

金光教亀有教会ミニ御理解

腹帯は今でもする人はするようですが、当時の締め方は胎児が大きく育つと難産するといって固く閉めていたそうです。これは今では血液の循環を悪くすることがわかっており、腹帯をするにしても注意するべきこととなっていますが、当時はこれが本当、大切と信じ込まれていたようです。
しかし、このようなことは今なお私たちの日常の至るところにあるのではないでしょうか。とりわけ様々な情報が溢れかえっている現代では、よくよくこのみ教えの内容を心得ておかないと情報を使いこなしているつもりが、情報に振り回され、知らず知らずのうちに真でないものに乗せられてしまいやすいように思います。

「人間の知恵は知れたものである。少しは神様から知恵をいただくがよい。」(『金光教教典』537頁21節)

2024年7月6日

御神訓

一 子を産むは、わが力で産むとは思うな。みな親神の恵むところぞ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和55年7月10日)

その気にならぬでも催しがあれば其の気にならざるを得ません。生むまいと思うても生まれ、生みたいと思うても生まれない。気張(きば)る力も自然(おのずと)出てくる。
「気張り」もみんな神さまの御はたらきとわかる時、一切が神さまのおかげを頂かねバという心も出てくるのです。
生みなす信心と最近言われますが、この厳粛な神の摂理にもとづく時、はじめて真の生みなすおかげに会うことが出来ます。

金光教亀有教会ミニ御理解

今日はどれほど頭をひねくり返しても、なかなかミニ御理解を生み出すことができませんでした。まさにお手上げです。ミニ御理解ひとつも自分の力だけで生み出せるものではないということを思い知らされます。
何事も躍起になりすぎるとかえって難しいようです。思うようにいかない時は何とかしようとするその思いをいったん神様に預けて、自分のタイミングではなく神様のタイミングで生み出させてくださいという心で願ったら、啐啄同時(そったくどうじ)のお繰り合わせが受けられます。
いささか変化球気味ではありますが、今日のこのミニ御理解のように。

2024年7月5日

御神訓

一 家柄人筋(いえがらひとすじ)を改むるより、互(たが)いに人情柄を改めよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和55年7月9日)

百姓ハ百姓同志、商人ハ商人同志でなけれバ話も合いません。
が、一度其(ひとたびそ)の気を起こして商売に縁のない人が商人になろうと決心し、百姓を知らぬ人が百姓を覚えようと一念を発起(ほっき)して之(これ)につとめるとき、見違えるように商人になり切り、又百姓が身について、その楽しみまでが身についてくる。
(ことわざ)に「氏(うじ)より育ち」ということがあるが、育とうとする所に、育てるというはたらきも加わってくる。
人情柄も家柄も同じことである。

金光教亀有教会ミニ御理解

時代の流れを受けて近年、うつ病や発達障害、摂食障害といった類いのお届けが御結界にもよく持ち込まれるようになってきました。よくよく話を聞いてみると一見、家柄がしっかりしている家庭の方が意外と多いことに驚かされます。そこから見え隠れしてくるところは本人の家族や周囲(特に親)が自らの体面や言い分を先に出したり保とうとするあまり、本人が自分は認められていない、自分を受け入れようとしてくれていないという感覚を抱いているということです。
本人はもちろん家族もまた行き場のない辛さや苦しみを抱えているのが根の深いところではあるのですが、まずは何を差し置いても大切にすべきもの、重きを置くべきものとは何かを考えさせられるのです。
このみ教えはそのことを問うみ教えだとも思います。

2024年7月4日

御神訓

一 縁談(えんだん)に相性を改め見合わすより、信(まこと)の心を見合わせよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和55年7月8日)

合楽(あいらく)世界(あいよかけよで生みなす世界)に住むに『相性を改め見合(あわす)より』信心になれ。

永遠の徳につながる生き方をめざせ。

心して正道(まさみち)をゆけ道のともがらは相たずさえて。

迷信に迷うことは道を違えると知れ。

永遠の幸福に至るためにも夢忘れるな真の道を。 

金光教亀有教会ミニ御理解

今朝ある方から電話があり、離婚届も準備し、ほとんど空中分解しかかっていた娘夫婦がよりを戻すことになりましたというお届けがありました。ご主人がかなり問題のある方で、かねてから娘さんの方が離婚を望んでおり、お子さんもおられなかったこともあって私も離婚した方がいいと思い、またそう願っておりました。人の助かりには色々な形がありますので。
ですのでその娘さんの決断には驚きましたが、相手の信じられない性癖や気質をいやというほどに味わってきた上で、それでも二人で再出発したいという心になったということは少なくとも相手ではなく、自分を見つめ直そうとする心がなければできる決断ではなかっただろうと思います。
(まこと)の心を見合わすとは、こういうことではないでしょうか。

2024年7月3日

御神訓

一 陰(かげ)とひなたの心を持つなよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和55年7月7日)

自然のはたらきほど正直で間違いのないことはありません。
其のはたらきを神のはたらきと頂くところに合楽理念の根本があります。
自然のはたらきの中には妙なるまでのリズムがあります。
そのリズムにのっての刻々であり、日日であります。
蔭日なたの心などもつ暇(いとま)がありません。

 自然を大切にすることは
  自然を生かすことになります

金光教亀有教会ミニ御理解

人が見ている時と見ていない時とで「落差」はありませんか?

陰で心を変えれば「陰」も「影」に変わり、影を「落」とし、影が「差」す。
陰でも心を変えずに大切にすれば「陰」は変わらず「御陰(おかげ)」につながる。

2024年7月2日

御神訓

一 天(あめ)が下に他人ということはなきものぞ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和55年7月6日)

世界のどこかで血腥(なまぐさ)い戦争(あらそい)が続いていると思うだけで悲しい、他人事とは思われぬ。
こういう思いの人達がたくさん出来れバ人間同志の争いはなくなるだろうと本気で考える。
それが世界真の平和達成の御神願成就の強い祈りになってくる。

金光教亀有教会ミニ御理解

先日、ある信者さんのご主人が外出したきり帰ってこなくなるという出来事がありました。ご主人の所在を確認する手段もなく、家族も大変心配されましたが、まったく見も知らぬ通りすがりの方が、意識のないままベンチでうずくまっていたそのご主人に気がつき、色々と手を尽くして連絡先を突き止め家族に知らせ、家族が到着するまで見守っていてくださったそうです。更にすばやく救急車も手配してくださっており大事に至らずに入院をさせて頂いたとのことでした。

私も同じような局面に遭遇したら、そのような心を使わせて頂きたいと思わずにはおられませんでした。

2024年7月1日

御神訓

一 人の身が大事か、わが身が大事か。人もわが身もみな人。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和55年7月5日)

了見(りょうけん)のせまい人がこの御教えを本気で頂き、大きな心、豊かな心になる精進をしたら、すばらしいお陰(かげ)になることでしょう。
手立てとして『人が助かることさえ出来れば』の精神をおこせば、人がみんな難儀の氏子に見え、親切心(親が子を思う切実心)が自ずとおこります。

金光教亀有教会ミニ御理解

人のことも自分のことも責めないこと。

人のことも自分のことも祈ること。

信心は人も自分も生かしていくことにつきます。