2023年7月01日~10日

2023年7月10日

御神訓

一 我情我欲を放れて真の道を知れよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月14日)

  大神(おおかみ)の威徳にふれる歓喜(よろこび)
   我情我慾をふり捨てて
    神の御胸(みむね)に抱(いだ)かれてこそ

話を聞いてわかるだけでなく、我情を放し我慾をせず、そこから真の道が開かれる。
我があっては真の和ハ生まれぬ。
真の和があれバ光は与えられる。
光があれバ真の道がハッキリわかってくる。

金光教亀有教会ミニ御理解

「賀情賀欲」を求めて真の道を知れよ。

雑草は何もしなくても勝手に育つが、人間の滋養となる作物は恩恵条件を受け手間暇をかけないと育たない。お互いの心の土壌も然り。我情我欲は放っておいても育ってくるが、賀(よろこ)びの心は稽古しなければ育ってこない。
成り行きという恩恵条件のお繰り合わせを願いつつ日々、神様に心を向け祈念をこらし、み教えをきめ細かく丁寧に実践していくことが賀(よろこ)びの心を育むただ一つの手立て。

2023年7月9日

御神訓

一 神信心のなき人は、親に孝のなきも人の道を知らぬも同じことぞや。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月13日)

天地の大霊(たいれい)に対する小天地的小分霊である私共人間が、天地との関係(かかわりあい)を知れば知るほど、その道理(ことわり)にもとづく生き方をせずにはおれぬ。
それを教祖ハ親神と氏子と説かれた。
いわば人間ハ神の真子(まなご)であり愛子(いとしご)である。私共がその心になって子が親に対する思いをもって向かえば、そこからなるほど親神様だなあというみかげの実感が限りなく広がって行く。信心はそこがわかり、ここを進めてゆくのがお道の信心である。

 世の中の 難儀のもとは 人々の
   親神(かみ)の心に 添わぬからなり

金光教亀有教会ミニ御理解

自分に神信心がなかったら今頃どうなっていただろうかと思うと心底ぞっとする。世の中には神信心はなくとも幸せに立派に生きている者も多いのだろうが、私の場合は「神信心なかりせば」そして「縁ある方々の祈り願いがなかりせば」確実に悲惨な運命を辿っていたであろうことは、昔の私を知っている人ならば皆が皆、大いにうなずくことであろう。

何の取り柄もない、どうしようもない私が神信心のおかげで唯一、もうこの形でしか助かり立ち行きようがなかった「もったいないような今」のおかげを頂いております。

2023年7月8日

御神訓

一 神の恵みを人知らず、親の心を子知らず。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月12日)

 千万の富にもまして嬉しきは
  親子仲よくつつがなく
   生きる身の幸

 親神(かみ)の思いにくらぶれば
  万分の一にも足らねども
   誠のしるしと受けさせ給え

 こころよきは子の親を
  大切にする状(さま)ほどに
   うれしき事はなかりき

 如何(いか)ならむ
  宝といえど孝行の
   徳ほど宝はあらじとぞ思ふ

 子の思い
  親の思いと交(かよ)ふとき
   神の心に交ふ時とぞ知れ

金光教亀有教会ミニ御理解

神様に限らず、親に限らず、恩を知らない、もっと言うなら恩を知ろうともしないのは盗人も同じ。

信心の有る無しにかかわらず痛いかゆい、損か得かに敏感になるよりもご恩に敏感になれ。

2023年7月7日

御神訓

一 真(まこと)の道をゆく人は肉眼をおいて心眼を開けよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月11日)

「真の道」いかにも真っすぐい道のように思うけれど、決して一直線ということではない。又、常識的でもない。
むしろ曲がりくねった道である。
真の道をまっすぐなものと思うところに至難の道とはなる。
心の眼を開けばハッキリとわかる、わかる迄が信心である。

山頭火の句に、
「まっすぐな道で淋しい」と。
真の道は茨(いばら)の道ではない、楽しく心はずむ道である。
要心せよ、身欲(みよく)は迷い道となり理屈はまわり道となる。

金光教亀有教会ミニ御理解

心眼を開くというと何か特別な人しか出来ないような難しいイメージがわきますが、本来、心眼は誰でもが持っているものです。「生神の性」と同じようなものかもしれません。
ただそれを自分の常識や観念、好き嫌いや思い込み・・・、そういったものでさえぎったり、曇らせているだけなのです。それを一つ一つ、丁寧に外していくことです。

2023年7月6日

御神訓

一 信心する人は何事にも真心(しんじん)になれよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月10日)

守護(まも)られて居る実感が真心にならずにおれぬ。
わかっただけでなくそれを感じる時、湧いてくる心が真心。
どんな立派な着物でも、しめている帯との調和が欠けて居たら、着物も台なし。
どんなにスタイルがよくても肩桁(かたゆき)がちょっと短かったらスタイルも台なし。
どんなに十全に教えと言われる金光教でも真が欠けていたら又、台なしと言わざるを得ない。
人間関係、物事、総てのことに真心になること。其の気になれバさほど難しい事ではない。

 〇心身一如

 〇水に映は)ゆる明月(めいげつ)
   波打ち立てばゆがむなり
    すべてが真の現象(すがた)とぞ知れ

金光教亀有教会ミニ御理解

人に対して正直、実意丁寧を尽くすことが真心(まごころ)、神に対して正直、実意丁寧を尽くすことが真心(しんじん)
祟り障りと忌み恐れられた金神が、天地金乃神という慈愛あふれる神として現れたのは教祖の金神に対する真心(しんじん)から。

ことわざに「赤心(せきしん)を推(お)して人の腹中(ふくちゅう)に置く」とあるが、信心する人は「赤心を推して神の腹中に置く」でありたい。

2023年7月5日

御神訓

一 わが心でわが身を救い助けよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月9日)

    〇
(しん)の幸(さち) 人の力にては
 成されぬものぞ
  神の与える特権なれば
    〇
みおしえを
 奉(ほう)じて総(すべ)てを神まかせ
  心安らに暮す楽しさ
    〇
拝み合いつつ拝まれつ
 共に磨きつみがかれつ
  今日のよろこび何にたとえん
  (親奥様の誕生日に親先生がおくられた御歌)

金光教亀有教会ミニ御理解

腹を立てぬが、わが身も周りも救い助ける一番の薬。

2023年7月4日

御神訓

一 生きたくば、神徳を積みて長生きをせよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月8日)

 「天地の御守護の中に生活あり」
此の実感が生きるリズムになって来る。
嬉しゅう楽しゅう有難く愉快に過ごせる信心を身につけてゆきたい。

直き誠の心もて
  人の世すごせ功(いさお)しく
 神恩報謝の明暮(あけくれ)
   天命天寿成就せん

金光教亀有教会ミニ御理解

長生きもさることながら、神徳を積みたいと意欲できるおかげをどうでも頂きたい。

徳積みへの飢えと渇きは、自他共に生かし育む最高の原動力。

2023年7月3日

御神訓

一 神徳を受けよ、人徳を得よ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月7日)

道徳的生き方をする人に人徳がつき、超道徳を身につければ神徳が受けられる。
心が培(つちか)われ、悟りの境地が開かれる。
この世にあるうちに真の信心により神徳をうけておきたい。  

    尊きは真なりけり
     真とは真理(まこと)を求めて限りなく
      すすめてやまぬ心なりけり

    現世(うつしよ)をおへて先の幽世(みよ)までも
     もって行けるは神徳ぞ
      残しておけるも御徳(みとく)のみ

金光教亀有教会ミニ御理解

神徳を受けなくても人徳を得られればそれで十分ではないかと思えなくもありません。しかし人徳を得ても、それだけでは心許ないのが私たち人間の実相であるようです。
日々、御結界に持ち込まれるお届けの内容や周囲を見渡してみても一見、あの人はすばらしい人、幸せそうに見える人でも、実は人知れず不安や焦燥に駆られていたり、苦しさや辛さを抱えている人がたくさんいます。

三代金光様が仰せられた「安心の大みかげ」は許されてこそ、神徳を受けてこそ頂けるものであり、さらに神徳は信心あってこそ受けられるものです。真の安心に出会うにはわが思いや計らいの向こう側を尋ねてみることです。

 人徳  安心、神徳 安心

2023年7月2日

御神訓

一 真(しん)にありがたしと思う心、すぐにみかげのはじめなり。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月6日)

 論理もて説き得ぬ
  不思議をねむごろに
 説き明かしあり合楽理念は

「真(しん)に有難し」とは内には我が心が拝めるとき、外には天地の大恩が悟れたとき。
わが心が拝めていよいよ信心が深められ、天地の大恩が悟れてはじめて、信心が大きく広く育つのである。

    鍬(くわ)をもつ手に天地(あまつち)
     心しみじみ味わえば
    思わず感動自ずからおこる

金光教亀有教会ミニ御理解

ありがたしと思う心の対象が人や物や事柄のみにとどまらず、それらすべてを司(つかさど)る神様に対してのものでありたい。

「神(しん)にありがたしと思う心、すぐにみかげのはじめなり。」

2023年7月1日

御神訓

一 真(まこと)の道に入(い)れば、第一に心の疑いの雲を払(はら)えよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月5日)

おかげを受けずして、神さまがわかるだろうか。
おかげを受けずして、不動の信念が得られるだろうか。
御利益(おかげ)を言うと低級視する宗教があるとしたら、それハ片輪(かたわ)の宗教だと思う。
おかげを重ねて行くうちに、神さまがわかり信念も確立してゆくのである。
先ずハ救われよ、そして信ぜよ。

 疑いの雲を払へばあるものは
  神愛のみとわかる嬉しさ

金光教亀有教会ミニ御理解

十服のむ薬は五服で全快できるよう願い、五服で済ませる信心は十服いただく心持ちでいけば御利益(おかげ)が受けられる。