2025年7月10日
御理解第23節
氏子が神と仲ようする信心ぞ。神を恐れるようにすると信心にならぬ。神に近寄るようにせよ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和56年7月14日)
難儀と取り組んでいると難儀がいやになり、こわくなる。
その事を通して教えに取り組むことになると、難も又有難く楽しくなる。
神と仲善(なかよ)うするための手立てである。
金光教亀有教会ミニ御理解
よく験(げん)を担(かつ)ぐ人がいるが、せっかくなら「神様いつもありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いします」と言ってから担げ。そのようにして日頃から神様を心にかけていれば自ずと神様と仲良くなり、自ずと験も現れてくる。そもそも最初にその担ぎたいと思わせるような験が現れたのは、神様があなたと仲よくなりたくて現わしてくださったのだから。
神担ぎは最高の験担ぎ。
2025年7月9日
御理解第22節
天地金乃神といえば、天地一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるが、受け物が悪ければおかげが漏(も)るぞ。神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは死んでもままよのことぞ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和56年7月13日)
『ままよとは死んでもままよの事ぞ』と教えられますがなかなかに出来ません。然し、神さまの働きを一分一厘まちがいなく感じる日日であれバ、それがいつでも「ままよ」の心が頂けます。
いわゆる天地のリズムに乗っての生き方です。
神さまから「晃(あきら)」という字をもってお示し下さいました。字引を見ますと日と光の旋律とありました。
日とは神さまのこと、光とは私どもの信心による心の光のことです。
金光教亀有教会ミニ御理解
ままよの心を阻むもの・・・執着、逃避、保身、心配、常識、観念、見栄、体裁・・・、こういった心を外していくことが、ままよの心を出していくための必要条件。
いざ大きな出来事があった時に鮮やかなまでのままよの心を出していけるよう、普段からコツコツと稽古を積み重ねていきたい。
2025年7月8日
御理解第21節
信心せよ。信心とは、わが心が神に向かうのを信心というのじゃ。神徳の中におっても、氏子に信なければおかげはなし。
カンテラに油いっぱいあっても、芯がなければ火がともらず。火がともらねば夜は闇なり。信心なければ世界が闇なり。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和56年7月12日)
合楽理念は宗教学と頂かれた方がありました。
そこで此(こ)の方ハ考えました。
「学とあるからは、予習復習が要ると思いました。早速(さっそく)、明日頂くはずの御理解を、くり返しくり返し頂くことにいたしました」
「其の頂く御理解が心からわかり、頂く事が出来ます」と言うのです。
神に向かうというのは、こういうことではないでしょうか。これが心の光に家の光に、はた又、周囲を照らす光にならぬはずハありません。
金光教亀有教会ミニ御理解
まさに今の世の中のありようそのものを現しているように感じられる御理解です。
コロナにより「あいまいな喪失」というものが取り沙汰されましたが、今の世の中はそれ以外にも曖昧というか、漠然とした不安や焦燥、閉塞、無気力といったものにも包まれているように思います。またこのような傾向はこれからも強まっていくことでしょう。
カンテラと言ったら当時にあって最先端のものですが、その頃よりも今は更に様々な物質や文明、技術、娯楽に恵まれているにも関わらず何故なのでしょうか?それは「生きる上での芯となるもの」こそが曖昧、漠然としているからです。「生きる上での芯となるもの」とは生きる目的、理由、拠り所であります。
信心はこの「生きる上での芯となるもの」を明瞭かつ確かにしていくものです。
2025年7月7日
御理解第20節
此方(このかた)が天地金乃神よりおかげを受けておることを話にして聞かすのぞ。疑うて聞かぬ者は是非におよばず。かわいいものじゃ。また時を待っておかげを受けるがよし。めいめいに子を持って合点せよ。親の言うことを聞かぬ子が一番つまらぬ。言うことを聞かぬ子は、親もしかたがあるまいが。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和56年7月11日)
思索から生まれた宗教でもなく、又、奇跡が生んだという宗教でもありません。正(まさ)に天地と教祖の交流から生まれた真の宗教です。
真の宗教とは読んで字の如(ごと)く天地が示したことを教えるのが真の宗教です。
『此方(このかた)が天地金乃神よりおかげを受けて居る事を話にして聞かすのぞ』とあります。
※宗教=「宀」は宇宙、又は自然の意。故に天地が示すことを教えるのを宗教という。
金光教亀有教会ミニ御理解
神様は氏子に直接、話しかけることはできません。成り行きを通して話しかけてきます。成り行きに耳を澄ませば、神様はこの成り行きを通して、こういうことを仰っておられるのかなという気づきが生まれてきます。その気づきが此方(このかた)だけでなく、「貴方(あなた)自身が天地金乃神よりおかげを受けること」へとつながっていきます。
「此方(このかた)が天地金乃神よりおかげを受けておること」のみをただ話すよりも「貴方(あなた)自身が天地金乃神よりおかげを受けておること」をもって話していく方が人の心に染み込みやすいようです。
2025年7月6日
御理解第19節
金光大神は形がのうなったら、来てくれと言う所へ行ってやる。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和56年7月10日)
人間教祖を超えたもの、神(いきがみ)の心証なしには言い切れぬお言葉だと思います。
即ち天地と同根との自信と自覚に立っての正(まさ)しく宣誓であり、宣言であります。
金光教亀有教会ミニ御理解
今朝の御理解で立教神伝を頂いたのですが、その中に「氏子あっての神、神あっての氏子」とあります。ということは「氏子あっての金光大神、金光大神あっての氏子」ということでもあります。
この御理解は裏を返せば「私が死んでも私のことを、そして私が残したものをあなたの心にかけ続けてほしい。そうでなければ私も神様も立ち行かないのだ」という宣誓であり、宣言でもあります。
2025年7月5日
御理解第18節
此方(このかた)のことを、神、神と言うが、此方ばかりではない。ここに参っておる人々がみな、神の氏子じゃ。生神とは、ここに神が生まれるということで、此方がおかげの受けはじめである。みんなもそのとおりにおかげが受けられるぞ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和56年7月9日)
山吹や 筧(かけひ)で足を 洗いおり
黙々と 断酒の心 菊作り
一、山吹の花には実がなりません。おかげは受けても徳にならねばと悟った心。
一、これが信心の生命(いのち)とりと気づいたら、本気であらたまって信心(こころ)の喜びを育ててゆく心。
金光教亀有教会ミニ御理解
教祖様の言われる生神とは決して限られた人しかなれない特別なことではないようです。むしろ人間は本来誰しもが「生神の性」を持っていて、それを育てていけば必ず生神になれるんだよということを、この御理解は示していると思います。
それではどうすることがその「生神の性」を育てていくことになるかというと、生活の中で日々神様に心を寄せながら感謝の心を忘れずに、我が考えや都合を優先したり押し通そうとするばかりでなく、身の上に起きてくる成り行きを通して心を磨き、改まっていく生き方を貫いていくことだと教わってまいりました。
せっかく万物の霊長である人間としてこの世に生を受けたからには、どうでもお互いの中にある「生神の性」に目覚め育ててまいり、更にはそれを人に伝えていくお役に立たせて頂きたいものです。
2025年7月4日
御理解第17節
神の綱が切れたというが、神は切らぬ。氏子から切るな。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和56年7月8日)
切れたとまではゆかぬでも
切れかかって居る人が
沢山いるのではなかろうか
不平不足はおかげが切れる
金光教亀有教会ミニ御理解
「綱」・・・心身が不安・危険な状態にあるとき、すがって頼みとするもの。
心身が不安・危険な状態にある時、何にすがり何を頼みとしますか?
実意丁寧を尽くして神信心を貫かれながらも七墓を築き、残念至極と始終思い暮らされていた教祖様。それでもなお神様にすがり、神様を頼りにしていかれたことから助かりの道が開け、神様の比礼もまた現れてきました。
神の綱はすがって頼みにしてこそ生きてくる。神の綱を切ることはもちろん、ただあるだけの「死に綱」にすな、厳しい時ほど強く握り強く引いて「生き綱」にせよ。
2025年7月3日
御理解第16節
無常の風は時を嫌わぬというが、金光大神の道は、無常の風が時を嫌うぞ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和56年7月7日)
お道の信心ハ有情(うじょう)の世界の発見にある。難儀と感じること、助からんものも助けてもらうとき「神の心の奥ぞ知らるる」期(とき)である。
難儀と思わるることも神愛とわかるまで大切にせねバなりません。
金光教亀有教会ミニ御理解
人の死だけでなく人生は予期せぬことの連続です。
その予期せぬことをどう受け止めていくかによって、その後の運命が変わってきます。たとえ辛く苦しくても辛抱しながら縋って磨いて改まっていくうちに、気づけばその予期せぬことが徳を受ける元となってきます。
信心は「予期せぬことを生かしていく道」です。
2025年7月2日
御理解第15節
氏子が真(まこと)から用いるのは神もひれいじゃが、寄進勧化(きしんかんげ)をして氏子を痛めては、神は喜ばぬぞ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和56年7月6日)
神の比礼(ひれい)として受けて下さる用い方とは、どんな信心であろうか。
今日は行橋(ゆくはし)地区の共励会(きょうれいかい)ですが、その中心である堀内さんの宅(いえ)では、日々朝参りの同心の方たちがふえて居ます。
先日より畳替えを申し出る方があり、御簾(みす)のお供えをしたいと言う人ができ、今日ハ全部の八足(はっそく)を作りたいと言う人が現われました。
堀内宅の神の比礼と言わずにハおれません。これは堀内さんの日頃の信心が
「真(まこと)一心」だからだと思います。
※「真一心」とは神にもちいることが、どんな場合でも「絶対」のもの。
金光教亀有教会ミニ御理解
同じ100円でも気持ちのこもった100円と気持ちのこもっていない100円とでは雲泥の差がある。お金以外のものもまた然り。神は氏子の真心を求め給う。
2025年7月1日
御理解第14節
神は荒れ地荒れ屋敷をお嫌いなさる。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和56年7月5日)
荒地荒屋敷を神がお嫌いなさるというのですから、心掛けておかねばなりません。
金光大神、またの御教えに『水をかべって行をするといっても、からだにかべっても、なんにもならぬ。こころにかべれい。(中略)水をかべるけい、まことじゃ、かべらんけい、まことでない、とはいえぬ。喰わずの行をするのは金光大神は大嫌(だいきらい)じゃ』
表行では心が荒れる。
心行をすれバ心が豊かに養われる。
金光教亀有教会ミニ御理解
荒れ地荒れ屋敷もさることながら、荒れ心や荒れ言葉も神様はお嫌いなさる。土地建物も心や言葉も大切にすることが荒らさぬ元。
