2022年7月20日
御神訓
一 ご地内をみだりに汚(けが)すなよ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和53年7月24日)
私の祖母ハ私共が幼少の頃、怪我(けが)でもすると金光さまを唱えながら、傷口にお土(つち)をつけてくれました。
日頃、大地を拝み、お土を御神体と信じて大切にして居る者でなけれバ出来ることではありません。
金光教亀有教会ミニ御理解
地面にゴミを捨てたり、唾を吐く人を見るとどうしようもない嫌悪感がふつふつとわいてくる。なんてご無礼なことをするのかと・・・。しかし、ご地内は何も目に見えるところばかりとは限りません。
思いが強いばかりに、かえって心のご地内を汚すなよ。
2022年7月19日
御神訓
一 大地の内において金乃神の大徳に漏(も)るる所はなきことぞ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和53年7月23日)
孔雀(くじゃく)の雄鳥(おんどり)は美しい。雌鳥(めんどり)は貧しく汚(きたな)らしくさえある。
然(しか)し、生みなすのは雌鳥であります。
大地を穢土(いみど)とも言い思うてきた。
教祖ハ大地の滋味(じみ)豊かな働きに感じ、大地と共に土(どろ)にまみれ、大地の徳を身を以(もっ)て感得された御方であります。
この上もない実意な信心ハそこから生まれたのです。
金光教亀有教会ミニ御理解
いくら「大徳に漏(も)るる所はなきことぞ」と言っても、こちらの受け物が小さかったり、穴が開いていたり、余計なものが入っていたり、汚れていたりでは大徳を大徳として十分に受けることはできない。
せっかくの大徳を漏らさないためには、それとは反対の受け物をつくらせて頂くことである。
2022年7月18日
御神訓
一 表行(わぎょう)よりは心行をせよ。
※表行・・・何らかの形に表してなされる修行のこと。身体的苦痛を課すなどの修行を指していう。
心行・・・心の中で行う修行のこと。(『金光教教典用語辞典』より)
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和53年7月22日)
はがゆいこと
残念なと思うこと
それを有り難いと思える
稽古(けいこ)が心行です。
すべてのこと
それ神愛(しんあい)
神願(しんがん)だからです。
金光教亀有教会ミニ御理解
確かに表行は身体的苦痛を自らに課す激しい行ではあるがゴールのある行、オフのある行である。
心行はその気になれば子供でもできる見やすい行ではあるが、死ぬまで常に続けていく行、ずっとオンの行である。見やすいようで実は表行をするくらいの心意気が求められる行とも言える。
心行には表行を凌駕するほどの内容がある。
2022年7月17日
御神訓
一 清き所も汚(きたな)き所もへだてなく天地乃神はお守りあるぞ。わが心に不浄(ふじょう)を犯すな。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和53年7月21日)
家の中でも不要な物、使い物にならぬ物ハ思い切って捨ててゆかぬと、家の中の整頓(せいとん)ハ出来ません。
心の中も捨て切ってゆかねバならぬもの。おかげにならぬ、特に不浄心を捨て切ってゆかぬと本当のおかげの成就になりません。
未練心、執着心に取り組んで心の整理を心掛けてまいりますと、すべてが清いもの美しいもの、大切なものと感じれるようになります。
おかげになるだろうかと思う心はすでに不浄心。
金光教亀有教会ミニ御理解
へだてなくお守りくださっている神様。私たちもへだてのない心でありたい。すべてに御礼を申し上げていく心こそへだてのない心。
「御礼しかありませんね。」
(昨日御本部参拝の折、六代金光様より賜りしお言葉)
2022年7月16日
御神訓
一 神は昼夜も遠き近きも問わざるものぞ。頼む心にへだてなく祈れ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和53年7月20日)
これで充分、これでよいということはありません。
これでは足りぬ、これで済んだとは思いませんという心が必要です。
そこに不充分でも、出来ぬでも、出来たかのように神様のおかばいがあります。「昼夜もなけれバ遠きも近きもない」おかげが受けられます。
要ハ信頼心(たのむこころ)の内容が大切です。
金光教亀有教会ミニ御理解
神様に頼む、祈るといっても、いつも必ず神前でなければならないということはない。暇(いとま)がない時や体が動かぬ時はたとえお手洗いの中からであろうが、ベッドの上からであろうが神前に額(ぬか)ずいている時と変わらない心持ちで手を合せ、心を向けるならば神様は聞き取ってくださる。反対にたとえ神前であっても、心ここにあらずでは神様には届かない。
心に常に神前をこしらえておけ。いかなる時、いかなる場からであっても隔てなく神様に心を通わせられる構えをつくれ。
2022年7月15日
御神訓
一 神はわが本体の親ぞ。信心は親に孝行するも同じこと。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和53年7月19日)
一、親孝行の心で参ってこい
二、親孝行の心で教えを受けよ
三、親孝行の心で教えを守れ
親孝行には限りハない。
限りないおかげを受けて、親神様じゃナァという実感はつのるばかりである。『神は我(わが)本体の大祖(おや)ぞ』ということを、心で肌で体得してゆくのが限りなく有り難うなるのです。
金光教亀有教会ミニ御理解
親に孝行しているつもりであっても親の親である祖父母に不孝をしては親も喜べないように、親に孝行しても神に不孝をしては親も喜べぬぞ。
親が喜んでも神は喜ばぬということはあるが、神が喜んで親が喜ばぬということはないぞ。
2022年7月14日
御神訓
一 天に任せよ、地にすがれよ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和53年7月18日)
まかせてすがるというは、神の心にこたえて願うということである。
「天真地心(てんしんちしん)」
無条件に与えてやまぬ心こそ天の真(まこと)。比礼伏(ひれふ)して受けぬく心、即ち地の心。
「地真水心(ちしんすいしん)」
天が与える御恵みとうける心ハ地の真。低きへと流れてやまぬ心、器に従う心、即ち水心。
金光教亀有教会ミニ御理解
任せているようで任せ切れていない氏子がいる。すがっているようですがり切れていない氏子がいる。任せる心、すがる心に切なる思いを添えよ。中途半端ではおかげは頂けない。信心も育たない。任せるなら徹底して任せ切り、すがるなら徹底してすがり切れ。
天に届かせよ、地に響かせよ。
2022年7月13日
御神訓
一 生きても死にても天と地とはわが住みかと思えよ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和53年7月17日)
人間ハ土(どろ)より出(いで)て土に還(かえ)るといわれる。故に、その道中とても又、土の性根を身につける生き方こそ、天地人一体となれる唯一無二の融合世界に住むことが出来る。
天地の御守護の中にある実感も生まれる。
金光教亀有教会ミニ御理解
まさにこれぞ金光教の死生観と言えよう。このみ教えを頭の中だけでなく心の底から信じることができたら、どれほどの安心につながるだろう。
教祖は「人間は天地の間に生まれて、天地の間に生き、死んで、また天地に帰るのぞ。」と仰せられた。合楽初代のお言葉を引き合いにしながら、これに続きを付け加えるならば「故に、その道中とても又、天地の性根を身につける生き方こそ・・・」ということになろう。
土の性根に加え、天の性根も身につけていくことこそが、このみ教えを心の奥底にまで染み込ませてゆく源となる。
2022年7月12日
御神訓
一 疑いを放れて広き真(まこと)の大道(おおみち)を開き見よ。わが身は神徳の中に生かされてあり。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和53年7月16日)
おかげを受け、これほどの神の働きを身をもって実証し、神を疑い神を知らぬ氏子に神の認識をさせてゆくのが、おかげを受けた者の使命である。
が果たして、おかげはうけても、信心をうけていないから、『我身は神徳の中にいかされてあり』の実感をもたない者が多い。実感なければ神ハ現われて下さらぬ。
金光教亀有教会ミニ御理解
「疑い」という言葉を「人間心」や「わが計らい」と読み替えても良いかもしれません。いつもかつも自分の知恵分別、常識観念、価値基準、損得勘定・・・そういったもの優先では難しい時、苦しくなる時があるのです。言い換えればそれらを外して神に縋っていくことを求められる時が・・・。
人間心を超えた心から 人間心を超えた働きが生まれてくる
2022年7月11日
御神訓
一 今月今日で一心に頼め。おかげは和賀心(わがこころ)にあり。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和53年7月15日)
安心と和賀心ハ裏表
和賀心を求めて行くところに安心があり、安心の中味は歓(よろこ)びであり和の心である。
歓びはかぎりなく広がり、和の心ハ不壊(ふえ)のものと定まって行く。
おかげも無限大のものへと進展し、和賀心は人間幸福の要(かなめ)をなしてゆく。
あなかしこ
*あなかしこ=ああ恐れ多い、ああ勿体ない
金光教亀有教会ミニ御理解
金光教の中枢である天地書附は、その前段としてまず明治6年の新暦3月15日(旧暦2月17日)に神様より「書付いたせい」と命じられ、同じ年の旧暦3月15日(新暦4月11日)に実際に「書きつけはじめ」られたところから端を発している。
生きていると様々なことが起きてくるが、金光教の信心に良い日、悪い日はない。金光教の信心は今日この日こそが最高(315)の日と受け止めて、一心に頼み、願っていくところからおかげが生み出されてくることを説く宗教である。
