2023年7月20日
御神訓
一 信心は本心の玉を磨(みが)くものぞや。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月24日)
自らの心に頼れる内容をつくれ。
先ず心の垢(あか)をとれ、洗い清めることじゃ。心が輝き出す、総てが輝いて見えるようになる。
心研くに砥石(といし)はいらぬ
己が心の悩みがといし
研けば輝く尊き光
周りの闇を照らすなり
世の明(あか)りともならんには
人を拝める心をつくれ
金光教亀有教会ミニ御理解
今日のミニ御理解を作るにあたり、成り行きの中で「マスキングテープ(保護テープ)」と頂いた。本心の玉は磨くこともさることながら、くもらせたり汚さないこともまた大切である。
「腹立つは心の鏡のくもること。」「世の中に一番汚きは欲」
くもらせてしまいそうな時や、汚してしまいそうな時は「金光様、金光様」と唱えよ。マスキングテープとなってくださる。
2023年7月19日
御神訓
一 まめなとも信心の油断をすな。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月23日)
「畏(かしこ)み畏みも白す」と言い
「おかげ頂きました」と言う
「有難うございます」と言う
これがマンネリ化せんように精進せねバなりません。
教会を遠ざかるのは油断のはじまり。
忘れませんと言いながら、遠ざかれば遠ざかるほど見えなくなります。
金光教亀有教会ミニ御理解
一般的にも「油断大敵」とか「油断は怪我の基」とか言われますが、ここで言われている油断の内容は「信心の油断」ということです。「信心の油断」とは自分の心の中から神様やみ教えがお留守になることであります。
亀有教会は来年で布教30年を迎えますが、これまで片時たりともお広前を空にしたことはありません。教会の者が御本部や親教会に参拝する時でも必ず誰かがお広前を守り、留守にすることはしてきませんでした。
「信心の油断をすな」ということは教会のお広前を決してお留守にすることはしないように、お互い一人一人の心の中もお広前の如く、神様やみ教えを片時たりともお留守にさせないことです。
2023年7月18日
御神訓
一 障子一重がままならぬ人の身ぞ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月22日)
神の経綸(けいりん)は一分一厘違わない。
その中に生かされてある私どもとわかれバ、その働きに素直に合流する生き方を体得する以外に真の道も人の倖(しあわ)せもあり得ない。
障子一重がままならぬ人の身なれど
吾神と共にありけるしるしぞみゆる
成行(なりゆき)を尊びうける生き方を
学びて永遠(とわ)の生命(いのち)とぞせん
金光教亀有教会ミニ御理解
頭の中ではよくわかっているつもりだったみ教えでしたが、前教会長と二十年間、四六時中共に過ごさせて頂いて初めて身に染み込んできたみ教えです。
前教会長は食事、着替え、排泄など日常生活のほぼすべてのことが自分一人ではできませんでしたが、とりわけ私にとって衝撃的だったのは「寝返りができない」ということでした。それまでは人間の睡眠は毎晩、頻繁に寝返りをすることによって保たれていることなど、ほとんど意識したこともなかったので・・・。
しかし一番の驚きはそんな前教会長が、誰しもが想像もできないような運命を開かれていったことです。
寝返りひとつがままならぬ人の身なれど
心ひとつで開ける人の身ぞ
2023年7月17日
御神訓
一 心配する心で信心をせよ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月21日)
本来、信仰とは任せすがるところからはじまるのです。
信仰体験がつまれにつまれて神の確信が育ちます。
心配が大きけれバ大きいだけ、おかげもまた大きいと悟り、修行力行(しゅぎょうりっこう)が大切です。
心配は広前(ここ)に置いて帰れるだけの神さまを頂きたいものです。
まかせきる心の内ぞ尊けれ
神を信ずる心厚けれバなり
金光教亀有教会ミニ御理解
心配は吐き気、むかつきのようなもの。抱え込んでいたら毒です。出した方が良い。
ただ出す場所(ところ)はどこでもというわけにはいきません。出す場所(ところ)は御結界(ここ)です。御結界(ここ)はお手洗いのような場所(ところ)ですから。
2023年7月16日
御神訓
一 体を作れ。何事も体がもとなり。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月20日)
願わずにおれぬが、又、作る精進を忘れてはなりません。
其(そ)の精進とは「天地金乃神と一心なり」の信心を目指すことであります。
嵐の前の静けさや降る前の雲行(くもゆき)の上に、その前ぶれのように、前兆(ぜんちょう)としての現象が起こる。
大音声(だいおんじょう)に又、或る時はささやくように、天地自然の生きた動きハ実に親切である。
お道の信心は、天地との交流を生活のリズムの中に受けとめられる生活を願いとせねバならぬ。
金光教亀有教会ミニ御理解
「何事も体(たい)がもとなり」ということであるが、では「体(たい)を作るもと」はどこにあるのだろうか?
体は自分のもののようであって決して自分のものではない。意識するしないにかかわらず、眠っている間でも息ができたり、大小便で体の毒を取ったりできるのは皆、神様のお働きとお守りによってである。
そんな体を自分のもののように思ったり、我が良いように扱ったり、不足を出したりしては丈夫な体は作れない。神様から賜りしものとして大切にさせて頂くことが「体(たい)を作るもと」である。
2023年7月15日
御神訓
一 体の丈夫(じょうぶ)を願え。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月19日)
私の健康管理はどんなに苦しく、きつい時でも弱音(よわね)をはかぬことです。
「きつい苦しいと言うと死神が集まる」と頂きました。
以来、きつい苦しいと言わずお陰を頂いております。
結構な修行をさせて頂いていると御礼を申すことです。
これハ金銭面の事でも同じ道理です。
金に困るとか「貧より辛(つら)いものはない」と思うたり言うたりすれバ貧乏神は離れません。
何事によらず有難く頂く事は、神さまに対する間違いのないお答でもあります。
金光教亀有教会ミニ御理解
体の丈夫だけでなく、何かを願う時は必ず「和賀心にならせて頂くことのために」「御神願成就のお役に立たせて頂くことのために」ということを先に立てて願うと良い。同じ願いでも我が心や私願成就のために願うのと、和賀心や神願成就のために願うのとではヒレイが全く違ってくる。
何より願った後の自分自身の姿勢が変わってくる。和賀心や御神願成就のために体の丈夫を願うのであれば、横柄な食事のいただき方や飲み過ぎたり食べ過ぎたりすることは出来なくなってくる。
2023年7月14日
御神訓
一 何を食うにも飲むにも、ありがたくいただく心を忘れなよ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月18日)
私は飲食に当たって先ず願います。
どうぞ頂いたものが血肉となり活動の元になりますよう。
又、大小便としてお取り払い頂きますときは、心よりお礼申し上げて居ります。
「願い」「頂く」「御礼」の繰り返しであります。こんなわけですから、真実有難しの一念で頂くことが出来ます。
食物ハ命のために親神の
作り与えしものなれバ
頂く心あつくして
健康(まめ)に過ごさん今月今日
金光教亀有教会ミニ御理解
同じ食物でも、その時の心理状態によって消化にかかる時間が変わり、機嫌が悪い時などは倍くらい時間がかかるという。おそらくその後の栄養物の吸収、排泄という一連のサイクルの上にも何かしらの影響を与えるのであろう。
何を食うかよりも、どういただくかが大切。ありがたくいただく心に勝るものなし。どうしてもそういう気になれない時は嘘でもいい、形だけでもいい。それでも貫いていけば徐々に真実(ほんとう)になっていく。
ありがたくいただく心には体質も性格も運命も改善していくほどの要素が秘められている。
2023年7月13日
御神訓
一 食物はわが心で毒にも薬にもなるものぞ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月17日)
一粒の米、一滴の醤油でもお粗末にしてはならぬという心掛けが大切です。
しかし余ったからと言うて、カスッて食べる心はおかげになりません。
親神(おおがみ)の 願(ねがい)に生きる 吾なれバ
小さき事にも 心許さず
金光教亀有教会ミニ御理解
「徳(とく)」も濁点をこしらえれば「毒(どく)」となり、反対に「毒(どく)」でも濁点を払えば「徳(とく)」になります。濁点をこしらえるのも払うのも心ひとつです。
2023年7月12日
御神訓
一 大酒大食するは絶食のもとになるぞ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月16日)
あれを食べてはならぬ、これハ飲んではいけぬという戒律的な教えハない。
人間らしい生き方を自然に則して教えながら、絶食の元になるようなことは神さまにもご無礼、自らも身体をこわすことになると教えられたところに、金光教十全の教え躍如(やくじょ)たるものを、やさしく感じさせるみおしえである。
金光教亀有教会ミニ御理解
節酒節食は快食のもと。
最近、お茶碗一杯のご飯の量を少し減らした。途中お腹は多少すいてくるが不思議とその分、次にご飯を頂く時のおいしさが上がった。体の調子も以前にも増してすこぶるよくなった。
食事だけでなく万事に節度を心がけていくことは一見、不自由で満たされないことのように思えるが、心も体もありがたい方へありがたい方へと循環させる作用があるようだ。
2023年7月11日
御神訓
一 わが心でわが身を生かすこともあり殺すこともあり。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月15日)
神人(しんじん)の歓喜(よろこび)は現在過去をも生かして居る時です。
然(しか)も未来への光ともなるのです。
その反対の心ハお先真っ暗の時、お陰(かげ)をも殺しておる時と知らねバなりません。
自分を殺し神をも殺すことになります。
金光教亀有教会ミニ御理解
どんなに便利ですばらしいものでも、それを生かせなければ宝の持
心も同様。信心は心という宝の生かし方、使い方を身につけていくための標(しるべ)である。
