2023年7月21日~31日

2023年7月31日

御神訓

一 不浄(ふじょう)のある時は先に断りおいて、願いあることをたのめよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和55年7月4日)

一、拝む心のまちまちに百人百様、その内容こそ我が身の信心と悟り、かぎりなく内容を高め深めてゆきたい。

一、臭(にお)いと香りは違います。臭いはくさいのです。おわびが要ります。
臭いから香り、そして無臭を目指し、そこから徳の香りが出るようなお陰  を受けたい。

ご無礼もお粗末も平気な横着時代から、お粗末ご無礼がわかり身のほどを知り、そこからかぎりない信心の世界がひろがってくる。

金光教亀有教会ミニ御理解

願いたいことはありのまま、素直に神様に願えばいいのです。こんなことを願ってもいいのかとか、これを願ったらご無礼とか思うなら、そのこともそのまま神様にお伝えしてから願えばいいのです。最初から自分で勝手に判断したり、蓋をしたりしてはもったいないです。

まずは願ってみる、投げかけてみるところから神様とのあいよかけよが動き出します。

2023年7月30日

御神訓

一 信心して、まめで家業を勤めよ。君のためなり、国のためなり。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和55年7月3日)

国の為とか君の為とか、むずかしいことは思わぬでも、自らの為、そして「はたが楽になる」ための「働く」であれバよいのです。
「その時代にはそれが真(まこと)」、「今の時代ではこれが真」とコントロールしてゆくことが真(ほんとう)です。
山頭火の句に「まっすぐな道でさみしい」というのがあります。まっすぐまっすぐばかりでは興がありません。

金光教亀有教会ミニ御理解

「生活のために」まめで家業を勤めるでは真っ直ぐだが面白みがない。
「信心のために」まめで家業を勤めるというところに真っ直ぐなだけではない面白さがある。おのずと君のため国のため、ひいては神様のためにもなってくる。

2023年7月29日

御神訓

一 わが子のかわいさを知りて、神の氏子を守りくださることを悟(さと)れよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和55年7月2日)

幸福の原点とは、親の喜びを我が身の喜びと感じられる人にしてのみ、許されるものです。
信心も親神(かみ)の心を悟ってはじめて真の信心が出来ます。
おかげ目当ての信心ハ神の心がわかっただけで悟れていない証(しるし)です。
すべてが、御事柄(おんことがら)として受け止め御物(おんもの)としての頂き方からの実験から、悟りへの実証が生まれます。

金光教亀有教会ミニ御理解

かわいいがゆえにその分、気を揉んだり心をかきむしられるような思いにならされるのもわが子である。それでもあの手この手を使って、時には「負け手」を出してまで、どうか育ってくれ、幸せになってくれと願わずにはおられないのが親心である。同時に自分自身も親にこのような思いをさせながら、今日まで来させて頂いていることにも気づかされるのである。

わが子へのもどかしさ歯がゆさを知って、それでも神の氏子を守りくださる心を悟れよ。

2023年7月28日

御神訓

一 心にかくる守りは汚(けが)るることはなきものぞ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和55年7月1日)

神愛の中にある自分を悟れた時、守りが心にかけられた時である。
(けがれ)と思っていたことがおかげであったと気付くとき、穢に対するイメージアップが出来たときである。
金光大神ハ人間が人間らしく生きる手立てを教えているのに、穢でもないものを穢と思い苦労する。

 穢と思う心が けがれである

金光教亀有教会ミニ御理解

伯父の教会で修行していた時、肥汲みと生ゴミを土中に入れる御用をさせて頂いた。生ゴミを埋める穴にはウジ虫がわくこともよくあった。首都圏在住、サラリーマン家庭で育った私にとって最初はかなり衝撃と抵抗があった。しかし、いつの頃からか黙々とそれができるようになり、やがてそれらを受け入れ滋養に変えるお土のありがたさが身に染みだし、拝まずにはおられないような思いがこみ上げてくるまでになっていった。
もとは肥かつぎのお百姓だった教祖様の上(かみ)も下(しも)も、清も濁もへだてない世界観を味合わせて頂き、その後の亀有教会での御用にも生かされる大切な経験になったように思う。

すべてを拝む心、汚れを言わぬ思わぬ確かな守り。

2023年7月27日

御神訓

一 信心する人は常に守りを心にかけておれよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月31日)

大金を懐中しておるような気持ちでおれ。落としてはならぬ、掏(す)られたり盗られてはならぬと思うて大事にする。
心に神さまを頂き守れ、神さまが御守護下さる。
神さまを頂き切っておる時、真心、愛の心がおのずと身についてくる。

 真善美(しんぜんび) 輝く世界に 住まんには
  真愛(しんあい)の こころ行い おしむべからず

金光教亀有教会ミニ御理解

冷蔵庫は常に電源が入っていてこそ、その用を成す。
信心も常に教えが心にかけられていてこそ、その意味を成す。

2023年7月26日

御神訓

一 心で憎(にく)んで口で愛すなよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月30日)

嫁姑(よめしゅうと)の仲によくあるケースです。
恰好(かっこう)を付けるより「心ぼとめき」の心がありがたい。

 上辺(うわべ)より 中味を大事に なすことは
   真の道の 信条とぞ知れ

 人のため 世のため 道のため
   祈れや祈れ 我を忘れて

 さもしきは 己が心の 裏表
   人知らずとも 神ぞ見給ふ

 尊きは 己れをころし 他を生かし
   私心を捨てて 奉仕する人

金光教亀有教会ミニ御理解

心で憎むまではいかなくても、好きでもないものを好きなように言ったり、さして心にもかけていないことを心にかけているように言ったりすることも神様の機感にはかなわない。
成り行きを尊ぶ三要素「リズム」「バランス」「ナチュラル」は口に出すことにもそのまま当てはまる。何事も等身大、かつ分相応が肝心。神様は裏腹や美化、脚色や誇張をお嫌いなさる。

2023年7月25日

御神訓

一 過ぎたることを思い出して、腹立て苦をすなよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月29日)

過去・現在・未来までも生かし生きることが信心ですから、すべてのことに御礼の言える信心を頂きたい。

 あれもおかげ
 これもおかげとわかるとき
 無明(むみょう)の闇はいつしかに
 光明世界と変るなり

 心眼を開きてみれバいまわしき
 こととて今は神愛と
 悟りて真広(まひろ)の道ゆかん

金光教亀有教会ミニ御理解

このことは誰しもが、よく経験することではなかろうか。過去のことにどうしてもとらわれてしまうというか。腹の立つ出来事や、悔やまれる出来事には人の悪口並みに妖しいまでの引力があるように思う。それを掘り起こしたからと言って何にもならない、それどころかど壺にはまってしまうと分かっていてもとらわれてしまう。ズルズルと引き込まれていく術にかかっているようなものである。
そういう時は御理解第77節と同様、なるたけ逃げた方が良い。逃げたり離れることで人を助けることもあれば、自分自身を助けることもある。それも難しい時は御結界に届けよ。術も薄らいでくる。

2023年7月24日

御神訓

一 打ち向かう者には負けて、時節に任せよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月28日)

燃ゆる心ハおさえることは出来ません。おかげの水を打てば治まります。
治まってみれバ何も争うこともないことがわかります。
勿論(もちろん)このみおしえハ勝負(かちまけ)を争う勝負事でハありません。勝負を楽しむことでも、「よい勝負が出来ますよう」に願わねバなりません。

 豊かなる心をつくるに己が先づ
  打向ふてくる人に勝をゆずらん

 打向ふものには負けて祈るこそ
  人をば救ふはじめとぞ知れ 

金光教亀有教会ミニ御理解

「おかげは受け徳、受け勝ち」(金光教祖御理解60節)と言うが、
「おかげは負け徳、負け勝ち」でもあるぞ。

(お)う=お蔭をこうむる。恩義をうける。(広辞苑第二版)

2023年7月23日

御神訓

一 用心せよ。わが心の鬼(おに)がわが身を責めるぞ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月27日)

信心のないとき気にもとめなかった事が、しきりに心にかかり出した。我が身を責めるのである。慚愧(ざんき)の念と言うのであろうか・・・・・・。
真っ暗な心の中に信心の灯(ともしび)がともりだした。心の隅々に迄ハッキリとわかるようになった。
これに取り組んで行くことが改まりだと心づく時、生き方が変わってきた。これから真の助かりが出来るという喜びが湧いてくるのである。

  執着と きりなき欲の その果ては
   身も魂も 滅ぶほかなし 

金光教亀有教会ミニ御理解

「わが心の鬼」というところに目がいきがちだが、本当に気をつけるべきは対象が人であれ自分自身であれ「責める」ということである。責める心そのものこそが鬼なのである。

2023年7月22日

御神訓

一 慢心(まんしん)が大けがのもとなり。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月26日)

教主様御歌

 こればかりのことなるからに
  よからんと心ゆるすに
   あやまちおこる

台風の眼にあたるところは無風状態ということです。
無事息災のときこそ油断なく信心をすすめるときです。
教主様の御歌と併せて頂いて下さい。  

金光教亀有教会ミニ御理解

教主様(四代金光様)御歌にある「こればかりのことなるからによからん」という心が起こるのはどんな時だろうか。「めんどくさい」「誰も見てないから」「大したことない」そんな時ではなかろうか。

今日のミニ御理解に取り組んでいる最中に突然、地震が起きた。自信(地震)も大きくなりすぎると大けがのもととなる。過ぎた「自信」は「過信」となり、「過信」はやがて「慢心」へとつながる。信心する者はよく心がけておきたい。

2023年7月21日

御神訓

一 若い者は本心の柱に虫を入(い)らせなよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和54年7月25日)

若者よ雄飛の心を抱(いだ)け。
神の悲願に応(こた)えまつる願いを立てよ。
若者でなければ出来ぬ御用がある。
「和賀心時代を萬国(ばんこく)に広げん」の精神。
寒天危地(カンテンキチ)と言われる人間世界を歓天喜地(かんてんきち)の世にする手立ては他にない。
ふるい立て若き血に燃ゆる心を。

 天地の真理陰陽の
  法則(のり)にしたがいまっしぐら
   人とし生まれし使命果さん

 若き教えのともがらと
  力を合(あわ)せいざないて
   迷える人を導かん

 真の光赫赫(かっかく)
  我等を照らし悟らしめ
 示現(じげん)の世界を示さるる
  神の願にこたえなん 

金光教亀有教会ミニ御理解

今月七日(7/7)、自分たちで前日に取り付けた雨戸戸袋の板と板の隙間を網で塞ぐ作業を夫婦で行った。家内からの提案で、文字通り虫や鳥の戸袋内への侵入を防ぐためである。提案を受けた瞬間はそれこそ「そこまでしなくてもいいだろう」という虫が起こったが、「いいや違う。これが成り行き」と思い取り組ませて頂いた。おかげで一抹の不安要素が払拭され、何より自分自身の心がスッキリした。
本心の柱に虫を入らせないとは、このような姿勢にならせて頂くことではないかと思う。