2021年7月10日
御理解第83節
一年に分限者(ぶげんしゃ)になるような心になるな。先は長いぞ。一文(もん)二文とためたのは、みてる(尽きる)ことはないが、一時に伸(の)ばしたのはみてやすい。神信心をすれば、我慢(がまん)我欲はできぬぞ。ぬれ手で粟(あわ)のつかみ取りの気を持つな。人より一年遅(おく)れて分限者になる気でおれ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年)
金光様の信心をさせて頂く者ハ、必ず末広の道、広がりに広がる道に居るのだからという信念を持ち続けられる信心を、頂かねバなりません。
『我慢我欲』も『濡(ぬ)れ手で粟(あわ)』の心も起きようがありません。
決して迷うてハなりません。
昔からどろぼうで金満家になったためしはありません。
金光教亀有教会ミニ御理解
※にわかは「俄」と書きます。人偏に我情我欲の我(が)です。「お道の信心の分限者」を目指すならば、コツコツと「人間心からくる我」を外していくことです。
2021年7月9日
御理解第82節
大蔵省は人間の口をみたようなもので、その口に税金が納まらぬ時は、四分板(ぶいた)張った戸一枚で寝(ね)てはおられぬ。どこの太郎やら次郎やらわからぬようになろうぞ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年)
芽が出りゃつまれ
葉が出りゃかられ
それでも茶の木に花が咲く
摘(つ)まれまい、刈(か)られまいと思う心は行き詰まる。
お礼のしるしに、お詫(わ)びのしるしにと喜び添えて出す心は限りない繁昌につながる。
金光教亀有教会ミニ御理解
「金は天下の回りもの」とはよく言ったものである。お金も生き物。代謝や循環がないと息苦しくなり、あまり「自分のもの」という意識がすぎると「外に出たい」「自由になりたい」と言って逃げていくぞ。
2021年7月8日
御理解第81節
氏子、十里(り)の坂を九里半登っても、安心してはならぬぞ。十里を登り切って向こうへおりたら、それで安心じゃ。気を緩(ゆる)めると、すぐに後へもどるぞ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年)
おかげ信心ではつらぬけぬ。
信心ハ嬉(うれ)しゅう楽しゅう愉快(ゆかい)に出来る工夫が要る。
何としても天地のリズムにのった信心でありたい。
金光教亀有教会ミニ御理解
教会長と一緒に過ごすこと、かれこれ間もなく二十年・・・、やっと成人と言ったところでしょうか。本当にこの御理解が身に染みます。教会長の場合、ちょっと体調が良くなったと思って油断をすると、すぐまたぶり返すこと今まで数知れず・・・。「ここまで来れば良かろう」「これぐらいなら大丈夫だろう」を外し、時には鬼役を演じてまでも油断なく日々心を使い続けてこその健康であることを思い知らされております。
2021年7月7日
御理解第80節
年寄りを大切にせよ。人間は自分の考えで先へ生まれてきたのではない。みな、神のおかげで生まれてきたので、早く生まれた者ほど世のために働きをたくさんしておる道理であるから、年寄りを敬うのぞ。若い者でも役に立つ人はなんとなく人が敬うようになるが、不都合、不行き届きが重なれば、敬うてくれぬようになる。信心する者は、よう心がけておるがよい。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年)
秋晴れや 畠(はたけ)の中の 花畑
お宅の献立(こんだて)は老人向きのものになっておりますか。お部屋が日当たりのよい、夏は涼(すず)しく冬暖かに工夫がなされてありますか。
親が年寄りを大切にしますと、子も孫も大切にするようになります。
ここには信心するものの心掛けが説いてあります。
金光教亀有教会ミニ御理解
我を外し、いつも感謝の念にあふれ、「これからの時代を担う者たちのために」という気でいれば、敬うなと言っても敬わずにはおられなくなります。
人間生きていれば誰しもやがては年寄りとなっていきます。「大切にして頂くに足る」年寄りにならせて頂こう。
2021年7月6日
御理解第79節
商売をするなら、買い場、売り場というて、もとをしこむ所と売り先とを大事にせよ。人が口銭(こうせん)を十銭かけるものなら八銭かけよ。目先は二銭損のようでも、安うすれば数が売れるから、やはりその方が得じゃ。体はちびるものでないから働くがよい。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年7月31日)
信心を頂く者はこうなけれバということを、こんなに端的(たんてき)に教えてある御教えハありません。
その気になれバすぐにでも実行出来るのですが、なかなか実行出来ていません。有難いという心の中身に勇気と度胸が欲しいです。
〇愛嬌(あいきょう)一つで二つ売り
〇度胸(どきょう)一つでいつも繁昌
金光教亀有教会ミニ御理解
商売気よりも信心気。損得勘定よりも神徳感情。
2021年7月5日
御理解第78節
神の機感にかのうた氏子が少ない。身代と人間と達者とがそろうて三代続いたら家柄(いえがら)人筋となって、これが神の機感にかのうたのじゃ。神の機感にかなわぬと、身代もあり、力もあるが、まめにない。まめで賢(かしこ)うても身代をみたす(尽くす)ことがあり、また大切な者が死んで、身代を残して子孫をきらしてしまう。神のおかげを知らぬから、互(たが)い違(ちが)いになってくる。信心して神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き身代もでき、一年まさり代まさりのおかげを受けることができるぞ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年7月30日)
神の機感(きかん)に適(かな)わぬと、身代(しんだい)があっても健康であっても人間が出来て居るようであっても真(まこと)の幸せは許されません。
信心によれバ先(ま)ず人柄が変わり、家柄が良くなってくる。神の大恩がわかってくるから日々が神恩報謝の心が厚うなってくるのです。
神のおかげを受け神の大恩がわかれば『無事健康(ぶじたっしゃ)で子孫も続き身代も出来一年勝り代勝りのおかげを受ける事が出来るぞ』と御教え下さるのですから、その実証者とならねバなりません。
金光教亀有教会ミニ御理解
神様との間柄は「尽くす」ことが主なら「みたされる」が、「みたされる」ことが主なら「尽きていく」。
みな人からの恩に対してはのし等をつけたりして丁重に「尽くす」が、神様からの恩は当たり前のことや我がことのように思い誠を「尽くさない」。ここ最近の教会長の呼吸心行を見ていると神様は氏子に対して、何の見返りも求めず不足も言わず黙って空気を与え、息の差し引きまで司り守ってくださっていることが伝わってくる。人間は神様の大恩がなければ、ここ一寸たりとも動くことも生きていくこともできない。
2021年7月4日
御理解第77節
人の悪いことを、よう言う者がある。そこにもしおったら、なるたけ逃げよ。陰(かげ)で人を助けよ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年7月29日)
拝み合い、助け合い、誘(いざな)い合いの世界をひろげていくのが信心であってみれば、他(ひと)の悪口など言うたり聞いたりする暇(ひま)はない。
肉の耳で聞かず、心の耳をもつ聞けば陰で祈らずにはおれぬ。
金光教亀有教会ミニ御理解
2021年7月3日
御理解第76節
人間は人を助けることができるのはありがたいことではないか。牛馬はわが子が水に落ちていても助けることができぬ。人間が見ると助けてやる。人間は病気災難の時、神に助けてもらうのであるから、人の難儀(なんぎ)を助けるのがありがたいと心得て信心せよ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年7月28日)
その場かぎりなら金ででも助けられる、物でも助けることは出来るが、心から助ける、又ハ永遠の助かりにつづく助かりハ真(まこと)の信心による他に道(て)はありません。
助ける者自身が難儀を修行とわかり、神愛と悟(さと)り心に真の喜びをうけ、その心で人に話をしていけば、そこから「神の示現(じげん)」(神仏が不思議な働きを示し現わすこと)がおこり、自他共に助かることの出来る道が開かれ、人間最高の生き甲斐(がい)ある信心生活が営まれるようになる。
金光教亀有教会ミニ御理解
形の助かりもさることながら心の助かりを頂いていきたい。
2021年7月2日
御理解第75節
人を殺すというが、心で殺すのが重い罪じゃ。それが神の機感にかなわぬ。目に見えて殺すのは、お上があってそれぞれのお仕置きにあうが、心で殺すのは神が見ておるぞ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年7月27日)
責める心、争う心、憎む心、うらやむ心、高ぶる心ハ人の心を傷つけ殺すことすらあるのです。
「心ひとつで総(すべ)てを創(つく)る」と言われるのですから、心一つですべてをこわすことにもなりかねません。
もたまほしきは和賀心(わがこころ)ですね。
※もたまほしき→持ちたいの意
金光教亀有教会ミニ御理解
「今日も一日、人を傷つけず、人から傷つけられない心身の健康のお繰り合わせを頂かせてください」とは、どれだけ経っても欠かさず毎朝、切実に願わずにはおられない私の祈りの内容です。これが私の今日一日の出発点です。
2021年7月1日
御理解第74節
かわいいと思う心が神心じゃ。
初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年7月26日)
神心(かみごころ)とは無条件の愛、無条件の慈悲、無条件の真心。
商売敵(がたき)と思うて居た人のことを祈らずにおれぬ心、自分の事を憎んだり悪口を言う人のことを祈り願わずにハおれぬ心。
神心はお道の信心の目当(めあて)。
金光教亀有教会ミニ御理解
人心(ひとごころ)としての「かわいい」よりも、神心としての「かわいい」を頂いていこう!
