2018年7月01日~10日

2018年7月1日

御神訓

信心して、まめで家業を勤めよ。君のためなり、国のためなり。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和49年7月24日)

信心により健康のおかげを受け、家業に実意を込めよとのご神意ですから、其の内容が奉仕(神に仕える)、仕事(事に仕える)、働く(はた楽)の内容になっておらねバならぬのです。
其の事が、そのまま君の為なら国の為でもあり、自分自身の為にもなるのです。国の繁栄が世界総人類の繁栄にもつながらねバ、ご神意に応(こた)えた事にはならぬのです。
最高にして絶対の道ハ中心を神意におくこと、いわゆる神さま任せの生き方になることです。

金光教亀有教会ミニ御理解

ただ、まめで家業を勤めるのと、「信心して」まめで家業を勤めるのとでは雲泥の差がある。まめで家業を勤める内容が、我が計らいではなく、どこまでも御神意であり、神信心を中心に据えてのものでありたい。
またのみ教えに「人がよいのと神に信心しておかげを受けるのとは別物ぞ。」ともあります。

2018年7月2日

御神訓

不浄のある時は先に断りおいて、願いあることを頼めよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和49年7月25日)

穢(きたな)い心が不浄です。即ち我情我欲です。いよいよ「真、善、美」の中に住みたい。「偽りのない」「悪のない」美の世界、即ち神徳の中にある歓喜に満ちた生活。そのには争いのない病気のない、勿論(もちろん)、物金等に不自由のない世界が限りなく開けてくるのです。
神徳の世界とは不浄のない別天地。

金光教亀有教会ミニ御理解

神様はすべて見抜き見通しである。にもかかわらず隠そうとしたり、ごまかそうとするから不浄になるのである。 不浄を「断」つ一番の秘訣は、何事も実意に神様に「断」りをさせて頂くことである。

2018年7月3日

御神訓

人の身が大事か わが身が大事か 人もわが身もみな人。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和49年7月26日)

「仲よき事はよき哉」これは武者小路(むしゃのこうじ)さん画(えが)く南瓜(かぼちゃ)、ピーマン、茄子(なす)の絵に対する自画自賛です。
人の身もなく自分もないという以前のものです。お互いに長所を認め欠点をおぎない合う心が必要であります。
同じ時間に同じ汽車に乗り合わせる、こんな不思議はありません。せめて同席の者同志だけでも親切を尽くし合いたい。
同じ屋根の下に住み、親と呼ばれ子と呼び、夫といい妻と呼ぶ者同志です。拝み合い尊び合いで行きたい。
同じ時代に同じ地球上に住む人間同志、励まし合い助け合いでありたい。

金光教亀有教会ミニ御理解

「自分さえ良ければ」という心を外すことはもちろんだが、「自分なんて・・・」という心を外すこともまた大事である。自分を大事に思えなければ人を大事にできるわけもなく、人を大事に思えなければ結局、自分も大事にできないこととなる。
人も自分も、どちらも大事に思えるようになりたい。
「大事に思える心が大事」

2018年7月4日

御神訓

天(あめ)が下に他人ということはなきものぞ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和49年7月27日)

一体、人間というものは科学が造ったものか、医学で出来たのか、それとも神が造ったものかを、よくよく考えてみるがよい。勿論(もちろん)、科学者又は医者といえども科学が造った、医学で出来るとも思うまい。
「神が造った」に異論はあるまい。この論法から言うても大祖(おや)は神御一人ということになる。
他人などあろうはずがない。

金光教亀有教会ミニ御理解

今の時代、日々、様々な情報が溢れている。雨あられのごとく溢れる情報にまみれ、他人の大事を見ても何も思わないようにならないよう、よくよく心得ていかなければならない。憐れみ、慈しみ・・・、人間として本来誰しもが与えられている、かけがえのない性が麻痺してしまわないように・・・。
自分には関係ない、知ったことではないという心が神様の機感にかなわない。

2018年7月5日

御神訓

陰とひなたの心を持つなよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和49年7月28日)

目に見えるところより目に見えない所を、人が見ているところより人が見て居ない所を大切にさせて頂くようになりましたら、その心が有難くなり豊かな思いが心の底から湧いてまいります。
自分が助かるということや「和賀心(わがこころ)」とは、このような生き方からお育て頂くのではないでしょうか。

金光教亀有教会ミニ御理解

神様からご覧になれば、陰もなければひなたもない。氏子が陰ひなたの心を持ったとしても、すぐさまそれを指摘したり、とがめることもないが、すべて筒抜けでありお見通しである。
ある先生がただの私用のためにもかかわらず、もっともらしい理由をこしらえるため、順子先生の体調不良をでっち上げて密かに上京されたことがあった。本人は今でもそつなくこなしたと思っているであろうが、思いもよらぬ成り行きから順子先生ご本人がそれを知ることとなった。恐るべし恐るべしである。

2018年7月6日

御神訓

縁談(えんだん)に相性を改め見合わすより、信(まこと)の心を見合わせよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和49年7月29日)

信(まこと)の心を見合わせるということは、各自(めいめい)が信念をもって、信じ信じられる二人になるという信が必要だ、ということと思います。
「松秀寒姿(しょうしゅうかんし)」という言葉があります。
松の秀(すぐ)れている美しさは、どのような寒にも色さえも変わらず耐えている姿だということです。
松の心を頂きたいものです。

金光教亀有教会ミニ御理解

私と家内は性格はもとより、お互いに呆れるほど食べ物の好みから、布団の敷き方から何もかもが真反対です。相性が悪いと言ったら、これ以上悪い二人はあるまいと思いますが、互いを磨き合い、補い合い、支え合えるといったら、これ以上の人はいないとも思います。家内には私には無いものがあり、私には家内には無いものがあるのですから・・・。
家内がいなかったら今日の私はありません。

2018年7月7日

御神訓

家柄(いえがら)人筋を改むるより 互(たが)いに人情柄を改めよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和49年7月30日)

喜びあふれる思いやりは、どんなにか人を喜ばせ元気づけ、人の心を生かす動きになるかわかりません。
人情柄を改めるということは家庭内だけでなく、社会での人と人とのふれあいの場でも表わせるおかげをうけたい。
明るい社会、豊かな家庭をつくりたい。人も助かり自分も立ち行く道を進めて行きたい。
それには教えを行ずる生活者であらねばならない。

金光教亀有教会ミニ御理解

「家柄人筋よりも」と言っても家柄人筋は大したものではないということではない。教祖は日柄は「見るに及ばず」と断言されているが、家柄は「見るに及ばず」とはおっしゃっていない。それだけにとらわれて自らを磨いていくことをおろそかにするなということである。
またのみ教えでは「身代と人間と達者とがそろうて三代続いたら家柄人筋となって、これが神の機感にかのうたのじゃ。」とハッキリと教えられている。人情柄を磨き上げていくことの積み重ねが家柄人筋を形成していく・・・、家柄人筋は代を超えて人情柄を磨き上げてきた結晶であり、尊いものである。

2018年7月8日

御神訓

子を産むは わが力で産むとは思うな みな親神の恵むところぞ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和49年7月31日)

昨日、田中さんの所で初孫安産のおかげをうけられました。
しんじんのない息子さんは女の子であったことが不足らしかったが、おばあちゃんの田中さんは早速お礼お届け、そして命名を願われました。授産名を「礼為(れい)」と頂きました。子を産むということは神さまへの御礼という意味です。
同日、森光さんの所でも女の子が生まれました。病院に行く途中自動車(くるま)の中で安産のおかげをうけました。
我が力で産まれるなら男、女も自由自在のはず。あと十分もすれば、病院に着くまで待てるはずですのにね。

金光教亀有教会ミニ御理解

子を産む時だけでなく、一切のことにおいて我が力でできることなど何もない。しかし、親神様の恵みだけでも子は生まれてこない。氏子の気張りや力みも無ければまた、子は生まれてこないのである。
生ませようとする親神様のお働きと、生ませてくださいという氏子の願いが相まってこそである。
親神様のお恵みあってこその私であることと共に、そのお恵みに合流することに一心発起できる私にならせていただくことを願え。

2018年7月9日

御神訓

懐妊(かいにん)の時腹帯をするより、心に真(まこと)の帯をせよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和50年7月1日)

懐妊のおかげをうけた当の本人の信心は言うに更なりであります。
その半身である主人たる者も、女だけにその修行を任せず、生まれる新しい生命のためにも、その半分の修行を担うべきです。
夫婦揃(そろ)うての信心修行こそ安産のおかげだけでなく、よい子に恵まれる為の神様に対する絶対の条件と思います。

金光教亀有教会ミニ御理解

懐妊の時に限らず、大きな出来事や変化があった時、よくよく心がけておくべきみ教えだと思います。人間、懐妊のような大きなことが起こった時、ああした方が良いのではないか、こうした方が良いのではないかと様々に思案をし、思いを張り巡らしますが、そういう時こそ心を磨いていく、改めていくということに軸を置いていきたいものです。
外に目を向ける前に、まず内の中を磨いていけ

2018年7月10日

御神訓

出産の時よかり物によかるより 神に心を任せよかれよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和50年7月2日)

「より良い有難いおかげにあずかることの出来ることの為に」
日頃の信心により頂いており分かって居るようでも、いよいよ自分の事になると案外わかっていないことに気付くものです。
出産だけのことではありません。すべての事柄の中に神を信じ、神にゆだねておる心の度合いがよくわかります。
神さま以外の「よかり物」を一つ一つ心の中からとりのぞき、よりよい有難いおかげにあずかりたいものであります。

金光教亀有教会ミニ御理解

水中で溺れかかった時、ジタバタもがけばもがくほど溺れやすいという。反対に無理にあがこうとせず、天に向かって仰向けになり、力を抜いて、いつも通り空気を吸えば体が自然と水面に浮いて助かりやすいという。
神様に身も心も預けて天地自然の働きに抗わない生き方・・・、天地自然の働きに乗らせて頂く生き方、コツを普段から身に付けていきたいものである。