2021年7月11日~20日

2021年7月20日

御理解第93節

氏子は神の守りをしておる者を神と心得て参詣する。守りが留守なら、参詣した氏子は、今日はお留守じゃと言おうが。神の前をあけておくことはできぬ。万事に行き届いた信心をせよ。常平生、心にかみしもを着けておれ。
人には上下(かみしも)があるが、神には上下がない。人間はみな同じように神の氏子じゃによって、見下したり汚(きたな)がったりしてはならぬぞ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年)

せねバならぬ修行ハ苦しく疲れる

せねバおれぬ修行ハ有り難く楽しい

金光教亀有教会ミニ御理解

御用柄、他の教会へ電話をかけることがよくあるが、その半分はつながらない。中には日に何回かけてもつながらないところもある。それぞれ事情を抱えているのだとは思うが、自分がもし悩みを抱えた未信奉者で勇気を出して教会に電話をしてみたにも関わらず、つながらなかったら「なんだ、この宗教は電話も出ないのか」と思うであろう。もし危篤の者がいて藁にもすがるような思いで電話をかけたにも関わらず、出てもらえなかったら絶望的な思いに襲われるだろう。

教会をあずかる者は広前を空けることはもちろん電話一本もおろそかにしてはならない。

2021年7月19日

御理解第92節

神は一体じゃによって、此方(このかた)の広前へ参ったからというて、別に違(ちが)うところはない。あそこではおかげを受けたけれど、ここではおかげが受けられぬというのは、守(も)り守りの力によって神のひれいが違うのぞ。神の守りをしておれば、諸事に身を慎(つつし)み、朝寝(あさね)をしてはならぬ。早く起きると遅(おそ)く起きるとは、氏子が参詣(さんけい)の早い遅いにかかわるぞ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年)

神の守りをする者ハ
一、朝寝(あさね)ハシマセン
一、諸事ニ身ヲ慎(つつし)ミマス
と神様に誓いを立てるがよい。

はじめのうちは涙の出るほど辛(つら)いことだが、辛抱(しんぼう)して居るうちに我情もとれ我慾(がよく)もとれてくる。辛抱の有難さが身に沁(し)みてくる。
他のご比礼(ひれい)をうらやむようなことでは、いつまでたっても神の比礼ハ現われない。

金光教亀有教会ミニ御理解

朝を大切にすればその日一日の守りとなり、月初めを大事にすればその月一月間の守りとなり、正月を大切にすればその年一年間の守りとなる。

何事も始まりを大切にすることが肝要です。おのずと終わりも大切にせずにはいられなくなります。

2021年7月18日

御理解第91節

もとをとって道を開く者は、あられぬ行(ぎょう)もするけれども、後々の者は、そういう行をせんでも、みやすうおかげを受けさせる。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年)

『本(もと)を執(と)って道を開く者はあられぬ行もするけれども』というのは、たとえば舟を出しイカを釣(つ)り、これを干(ほ)しあげ、スルメにするようなものである。
後々(のちのち)の者ハ噛(か)めばかむほど味のあるスルメを食するようなもので、要ハどこまで味わいを深めるかは後々の者の真心(しんじん)である。

金光教亀有教会ミニ御理解

2年ほど前、合楽教会の二代親先生が当時、たびたびお話しされていた福岡県星野村へ続くトンネルに一人で行ったことがあった。そのトンネルは合楽の初代がその昔、一日がかりで歩いて山越えをして星野へと向かわれた、その山の下にできたトンネルで、まさに「後々の者が見やすく通れるようになったトンネル(道)」という触れ込みであった。しかし、なかなかそのトンネルの入り口を見つけられずに迷ってしまい、逆に峠道、茨道のようなところを通らされたことがあった。

「みやすうおかげを受けさせる」と言っても、まずはそのもとをとって開いてくださった道(トンネル)がどこにあるのかを知らなければ、みやすうおかげを受けることはできない(みやすく目的地に着くことはできない)。道のありかは、その時その時の成り行きによって変わってくる。取次者はその道(トンネル)がどこにあるのか、どうすれば行けるのかを伝える道先案内人です。

2021年7月17日

御理解第90節

(かみ)から下(しも)へ水を流すのはみやすいが、下から上へ流すのはむつかしい。道を開くというても、匹夫(ひっぷ)の俗人から開くのじゃから、ものがむつかしゅうて暇(ひま)がいる。神のおかげで開かせてもらうのぞ。たとえ一時はむつかしいことがあっても、辛抱(しんぼう)してゆくうちには徳が受けられる。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年)

凡夫のことですから、ああもしたい、こうもなしたいと心を千々(ちぢ)にくだきます。それでも道ハ開けません。それハ我情だから、我欲だからです。
次第に自身の無力さに気付きます。はじめて神さまの十分の働き場が出来るのです。
『辛抱(しんぼう)して行く間(うち)には』とは、その間に我情をとり我欲をはなす修行が出来ます。神徳の中にある自分がわかります。
真実、神徳の中にあることがわかることは神徳を受けたも同然です。

金光教亀有教会ミニ御理解

道は「神のおかげで開かせてもらうのぞ。」と教えられていますが、「自分で開くのぞ」とは教えてはおられません。匹夫の俗人から道を開くのは確かに難しいことですが、「匹夫の俗人の自覚」なくしては道は開けてこないとも教えられているように思います。
教祖様は人から生神さまと呼ばれるようになってからも、この御理解のようにご自身を「匹夫の俗人」であったり、あるいは「肥かたぎの百姓」「平人(へいにん)」「生身の人間」と称し、合楽の初代においても、そのご信心の根底には常に「屑の子、吾(われ)」「吾、無力無能無才にして」という自覚がありました。

自分を外していくところから縦横無尽な神様の働きが生まれてくるのです。

2021年7月16日

御理解第89節

此方(このかた)の道は傘(かさ)一本で開くことができる。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年)

無明の闇(やみ)に光明がいる。
さまざまな迷いに苦しみに
光明世界への導きがいる。
導くものに光がいる。
「此の方の道ハ光一つで開くことが出来る」とも言えるわけです。

金光教亀有教会ミニ御理解

此方が傘一本と言うことは、真(まこと)一心になりきることである

(金光大神御理解集 第二類・押木マスの伝え1)

好天(平穏)の時には傘は開かない。雨天・炎天(難儀)の時こそ真一心の傘が開かれる時。

2021年7月15日

御理解第88節

昔から、親が鏡を持たして嫁(よめ)入りをさせるのは、顔をきれいにするばかりではない。心につらい悲しいと思う時、鏡を立て、悪い顔を人に見せぬようにして家を治めよということである。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年)

世の禍事(まがごと)の 迫りきて
われらの智恵の 如何(いかん)とも
なし得ぬことの あるときは
教えを鏡と なすならば
必ず道は 開かれん
日々を素直に 朗(ほが)らかに
すべてを神に 任すべし

金光教亀有教会ミニ御理解

金光教も含め、ご神前に「ご神鏡」が奉納されているところは多いですが、「ご神鏡」はそのまま今のあなたの「心境」を映し出す鏡であります。鏡は光を反射するという性質もありますが御利益、御比礼を頂きたいなら、あなたの「心境」を磨いていくことです。教えはそのための手立てです。

2021年7月14日

御理解第87節

腹は借り物というが、借り物ではない。万代の宝じゃ。懐妊(かいにん)の時は、神の氏子がわが胎内(たいない)におると思うて大切にせよ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年)

気づかぬ裡(うち)に 種々(くさぐさ)
お粗末ご無礼 あらむをば
(わ)びに徹せよ 親神の
御心悟(さと)り 日々を
感謝で過ごせ 必ずや
胎教(たいきょう)みごとに 育つらん

金光教亀有教会ミニ御理解

心は万代の宝じゃ。難儀の時こそ、神の願いがわが心にかけられていると思うて大切にせよ。

懐妊も難儀も尊いものを生み出すための修行である。たとえどのような中にあっても、その思いだけは投げ出してはならない。その理由は実際に取り組めば必ず分かる。

2021年7月13日

御理解第86節

女は世界の田地である。世界の田地を肥やしておかねば貴いものができぬ。女は家の家老じゃ。家老がようなければ城がもてぬというが、女がようなければ家がもてぬ。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年)

世界の田地であると同時に家の田地でもあるわけですから「豊穣美田(ほうじょうびでん)」でなければなりません。
「いよいよ豊かに美しく」を目標に精進せねバなりません。
よい土(どろ)になるために、どんないやな問題でも拝んで受ける気になれば、心は肥え、問題ハ問題でなくなります。
豊かな心に豊かなおかげ。

※ウ冠(うかんむり)に女と書いて安(やすらぐ)になります。ウ冠は家の意、家の女は安らいでおらねば家は繁昌しません。

金光教亀有教会ミニ御理解

女は「世界の田地」とも「家の家老」とも教えられる。「世界」と「家」ではあまりにもスケールが違うように見えるが、世界平和のもとは家庭の円満にあると教えられているように思えてならない。そしてその家庭を更に絞り込めば夫婦、つまり男と女ということになるのではなかろうか。
今の世の中ならその役前(やくまえ)は女だけとか、いつもどちらか一方とか決めつける必要もないだろう。いずれにしろ家の中に「田地」役、「家老」役がいるのといないのとでは天と地ほどの差がある。

心改めて男一人女一人、夫婦仲よう、親大切、内輪むつまじゅういたし。

(お知らせ事覚帳16章13節)

2021年7月12日

御理解第85節

女の身の上、月役(つきやく)、妊娠(にんしん)、つわりに、腹痛まず、腹帯をせずして、産前、身軽く、隣(となり)知らずの安産。産後、よかり物、団子汁をせず、生まれた子に五香(ごこう)いらず、母の乳をすぐ飲ませ、頭痛、血の道、虫気(むしけ)なし。不浄(ふじょう)、毒断ちなし。平日のとおり。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年)

少しばかりの知識が間違った観念を作る。
生神への道と言われる道が観念により狭(せば)められ障害となる。
この御教えハ今の観念を捨てねバ行じられぬ御教えの一つである。

金光教亀有教会ミニ御理解

今日のミニ御理解からフリガナを小さくしてみました。だいぶ見やすくなりました。ミニ御理解をはじめてから4年目を迎えて、ハタと気づいたようなことです。
何事についてもそうですが「これまで是(ぜ)としてきたことに囚われない眼差し」がいります。

2021年7月11日

御理解第84節

おごりがましいことをすな。ものは、細うても長う続かねば繁盛(はんじょう)でないぞ。細い道でも、しだいに踏(ふ)み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな。

初代金光教合楽教会長・大坪総一郎師ミニ御理解(昭和52年)

「理」「情」に徹してみて得る、潤いと光彩(こうさい)と、そして躍動を与え、恰(あたか)も駱駝(らくだ)のごとき気の利(き)かざる存在かに見え、実は限りなき感銘を人々に与えながら、地道に、『細い道でも次第に履(ふ)み拡(ひろ)げて通るのは繁昌ぢゃ。道に草を生やすような事をすな』を実行させる不思議な力を感ぜずにおられない。

金光教亀有教会ミニ御理解

「おごりがましいことをすな」ということは、裏を返せばその反対のことを大切にしなさいということになります。「おごりがましい」の反対は「謙虚」ということです。

昼になると、「屋根屋さん、おりてご膳おあがり」「井戸屋さん、あがってご膳おあがり」と人は言う。自分が高い所にいれば人は下げ、低い所にいれば人は上げてくれる。屋根屋信心よりも、井戸掘り信心をせよ。おりて食うより、あがって食え。

(金光大神御理解集 第二類・大本藤雄の伝え2)