超常識 超道徳
《御理解第7節》天地金乃神は昔からある神ぞ。途中(とちゅう)からできた神でなし。天地ははやることなし。はやることなければ終わりもなし。天地日月の心になること肝要(かんよう)なり。信心はせんでもおかげはやってある。
生身の人間が人間らしく生きながら、限りなく生神を指していける教祖金光大神の極められた御信心は、これまでのあらゆる宗教の開祖宗祖が極めた真理をはるかに超えた超真理である。それ故に、時には非常識に見えるときもある程に、常識を超えた超常識の生き方や、不道徳に見える程の道徳を超えた超道徳の生き方を教え示しておられる。
教祖様がまだお取次をされる以前のある日、神様は、教祖様に、「小坂の伯父が死んだから葬儀のしたくして親族をさそいゆけ」とお知らせ下さった。教祖様はさっそく、親類のものをつれて出かけられた。ところが、訪れた家から現われたのは、神様が死んだといわれたその当人であった。普通でいうなら、穴があったら入りたいような思いにかられる所。その時、神様は教祖様に、「もどしの風は十層倍と唱えながら帰れ」と仰せられた。すると、教祖様は素直にその通りにされながら帰られたという。
神様が過去の誰にも打ち明けられなかった天地の真情を伝えたいばかりに、教祖様がどこまで神様の仰せなら非常識と思えるようなことでも信じていかれるかを、お試しになられたのであろう。それを神様がウソをいわれた、神様もあてにならんと常識的に受けたのでは、神様の御本心にもふれることができず、教祖様にはじめて神頼まれた「神も助かり氏子も立ちゆく」程の超真理の世界の顕現はありえなかったのである。
この教祖金光大神の御信心をより深くより広く、日々、極めに極めていかれる親先生。
そのためには、親先生は、誰からも愛されたいのは山々だが、人に笑われても神様に笑われてはならないと神様の仰せ通りに神情一筋を貫かねばならなかった。それ故、非常識にも不道徳にもみえたのであろう。
「合楽の大坪は人非人」とまで非難された時代もあられた。
その時でも神様は、『そうだおまえは人非人だ。ただし、おまえは、人間から神へ変っていっている人非人だ』と励まして下さり、おかげで超常識、超道徳の生き方を貫いて来られた。
そこに、流行(はや)ることもなければ終りもない、天地と共に限りなく繁栄していける超のつくおかげが受けられることになってきたのである。(昭54・3・22)
難儀の構造
《御理解第3節》天地金乃神と申すことは、天地の間に氏子おっておかげを知らず、神仏の宮寺(みやてら)、氏子の家屋敷(いえやしき)、みな神の地所(じしょ)、そのわけ知らず、方角日柄(ひがら)ばかり見て無礼いたし、前々の巡(めぐ)り合わせで難を受けおる。この度(たび)、生神金光大神を差し向け、願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ、末々まで繁盛(はんじょう)いたすこと、氏子ありての神、神ありての氏子、上下(かみしも)立つようにいたす。
御理解第三節は、教祖金光大神が明治六年十月十日、天地金乃神様よりお知らせを受けられた神様直々の神伝であり、教典の中でも最も重要な御理解とされている。
いうまでもなく教祖の教えのすべては、人間が真実おかげを受けて助かっていく為に、神様が下さったのである。だからその教えの一カ条一カ条、一節一節がおかげを受ける為の頂き方でなければならない。それを従来から、とりわけこの第三節を人の助かりとは縁遠い学究的、哲学的に解釈して煩雑(はんざつ)にしてきたきらいがあった。どんなに様々な角度から理路整然と説かれてもそれが助かりにつながらないなら役には立たない。かえって教祖様にも相済まぬことである。
天地の間に住む人間に、神様は、いつも様々な物を与え、事柄を通して働きかけて下さっているのに、人間氏子は少しもそれを神様のお働き、おかげとわかっていないと言われているのである。元来、海川山野、人間の持つ財産から枯れ葉一枚にいたるまで、一切の物が神様の御物であり、又、この天地の間に起こってくる事柄は、一切神様の神愛(おもい)のあらわれである。
それを、自分の物でもないのに自分の物と思ったり、困った事が起こってくると、何か悪い祟(たた)りさわりがあるのだろうと日柄方角を見たり、人間の知恵、常識で良し悪しを判断して、少しも神様の下さったお働きとして頂こうとしなかった。例えていうならば、晴れれば吉い日、雨が降れば凶い日といったような事で、神様からみれば有難い日ばかり、お恵みの日ばかりなのに、自分の都合に合せて不平不足ばかり言っている。そういう天地の働きに対する思い違い、考え違い、見当違いが御無礼となり、それが積り積ってめぐりを形成しているということである。
そこで、今般、金光大神を差し向け、そこの道理を言い聞かせ、理解させて、神も助かり氏子も立ち行くようなおかげの世界の顕現に、天地の神様がのり出されたのである。
ここがわかると、以後はめぐりをつくらずにすむということになり、神様が「末々まで繁昌いたし、氏子ありての神、神ありての氏子、上下立つように致す」と言われるように、人間氏子が真実おかげを頂いていく道が、いよいよ開けていくことになるのである。(昭54・4・3)
想念の世界
《信心乃心得》一 やれ痛やという心で、ありがたし、今みかげをという心になれよ。
眼には見えない想念の世界。怨みの念、憎しみの念、あるいは有り難いという念。生活の中にはそういう様々の念が飛び交っているものである。
例えば、商売がたきから怨まれたり、人間関係のもつれから憎しみの念を強く受けて、それがもとで病気をしたり、物事に行き詰りが生じたりすることが実際にある。
けれども有難いという念こそ、自他共に助かる想念である。
神様は「嫁姑の仲悪きは、天地に響く」という喩(たと)えをもって教えておられる。怨みつらみの念は相手に行くだけではなく、神様へも響いていく。そして、そのあげくに”人を呪わば穴二つ”ということになって、自他共に助からぬことになってくる。
だから、とりわけ信心させて頂く者は、人を怨むことはもってのほかだが、信心して心に力を頂いてくると、そういう念でもはねかえせるようになり、今度は、その相手の方が不幸に陥ることがある。それは、信心さして頂くと、一般に”念”というものが強くなるからであろうか。しかし、これでは、自分は助かっても相手が助からないことになる。
金光教で説かれる和賀心。それはどういう悪念邪念といえども、さながら霜に煮え湯をかけるが如く消えて浄化され、自分はもちろん、相手も不幸にすることなく両方が助かる有難い念に変えることができるものである。
ブラジル国ビリグイ教会の末永先生は、渡伯当初、「マックンバ」という現地の秘密宗教によって呪いをかけられた人のお届けを受けたことがある。それは、人を呪詛(じゅそ)することを専門にする宗教らしく、呪いを受けたその人は本当にある日突然、食物が食べられなくなって、体が日に日に衰弱し始めたという。話を聞いた末永先生は、そのすさまじい呪いに身震いするような戦慄を覚えたが、そのことを御祈念していると、「その呪いとても天地の中のこと、一切神愛!」と悟られたら途端に有難くなられ、ただ、神様にお礼を申し上げられただけという。するとその人は食物がのどを通るようになって元どおり元気になられたということである。
このように、やれ痛やという時に、”今、神愛真只中”と受ける和賀心の前には、どんな悪念邪念とても有難い念に変えられ、一切が浄化されおかげとなって自他共に助かる有難しの世界が開けるのである。(昭54・5・10)
求道の前に光を
《御理解第21節》信心せよ。信心とは、わが心が神に向かうのを信心というのじゃ。神徳の中におっても、氏子に信なければおかげはなし。
カンテラに油いっぱいあっても、芯がなければ火がともらず。火がともらねば夜は闇なり。信心なければ世界が闇なり。
親先生が本部参拝された時、金光教学院に行かれたことがある。講堂二階広前に上がられると「求道」と見事な筆跡で書かれた額ぶちがかかっているのが眼に止まった。そしてその額の前に立たれて「そもそも求道とはどういうことだろう」と思われたら、神様からお声で『求道といっても、まずは光を持たねば道は分からぬ』とお言葉があった。
成程、道を求める、又、人を導く、といっても、まずは自分が光を頂かねば歩む道も分からないし、ついて来る人もいないだろう。
〽ついて来なされこの提灯にけっして苦労はさせはせぬ
椛日時代によく御理解となったこの唄は、その頃の親先生の確信をほうふつとさせる。
その頃より、三十年近く経った今日、親先生の信心の光は、金光教が世界に広がる為の大道を照らし出すほどのものとなり、求道の道程を誰もがみやすく行じられるように合楽理念としてまとめられることになったのである。
それでは、そういう信心の光とは何であろうか。
親先生はかって「晃 日と光の旋律」というお知らせを神様から頂かれたことがある。日とは神様。光とは信心して頂く心の光のことをいう。「わが心が神に向ふのを信心と言うのぢゃ」とあるように、神様に心が向う時、心に光が灯り、神様と人間氏子の間に、織り成すような旋律が聞こえ始めると言われるのである。合楽教会でいう「天地のリズム」が正(まさ)にこのことである。
たとえば、この頃より、少年少女会のリーダーとしても熱心に信心活動が出来ているある女子大生が中学校へ教育実習へ行くことになった。ところが、生徒が言うことを聞かないばかりか、意地悪までする。それで、ついに実習半ばで学校へ行くことが嫌になり、その事を親先生に御取次を頂いた。すると親先生は、「神様の御用と思っておかげを頂きない」とお諭し下さった。それで、意を決して学校へ向かってみたが、心はなんとなく暗くなるばかり。学校へ着いて、憂うつな気持で乗って来たタクシーを降り、何気なく車のナンバーを見ると「4154」とある。思わず、はっとして「これは、親先生の言われた通り良い御用(4154)だ」と思ったらそこに神様が見守って下さっている実感を覚えて、途端に心が明るくなり、有難いという感動までわいて来た。そして、そういう心で学校へ入ると、不思議にも生徒がうって変って良くいうことをきいてくれ、先生方からも大変親切にされて、有難く実習がつとまるおかげになったという。
天地のリズムに乗るということはこのように、日常生活の中に、神様が間違いなくお働き下さる実感を頂いていくことである。
なるほど、これなら道を前にして迷うことも、手探りすることもない。まずは、わが心が神に向うこと。即ち、成行きそのものの中に、神様のささやくように、あるいは大音声のように教えて下さる声が満ちていることを、心の耳で聞きわけていくところに、自ずと天地のリズムに乗れて来て、有難く楽しく愉快なまでの心に光を感じる信心になってくる。この道を行きさえすれば絶対間違いないという、確信も生まれて来る。そういう助かりの光をもって道を求めるなら迷うことも手探りすることもない。このような信心をさせて頂くところに自ずと伴ってくるおかげの実証をもって、人に伝えていくなら、生き道を見失った、さながら闇の中に難儀であえいでいる人々も、助かりを求めて、ついて来ずにはおられないだろう。
闇の夜に等しい現代社会の中に救いの光を投げかけることが出来るのは、信心の光をもってする他はない。(昭54・6・1)
天の配剤
《御理解第89節》此方(このかた)の道は傘(かさ)一本で開くことができる。
傘とは信心による安心を頂くこと。
傘一本あれば雨が降ってもぬれないですむし、暑い日ざしの中でも日よけになるように、どういう天気でも不安、心配がない。同様に、信心による安心という傘一本を頂けば、人生における雨風とも言える難儀なことがおこってきても、少しも不安、心配がおこらない。
これは、何か問題が起って来た時、親先生にお取次を頂いたから、もう安心、又、お話を頂いたら不安がなくなったということとは違う。確かに親先生という、絶対の権威あるお取次を頂くことによって、問題は解消し安心が頂けたように思う。だがそれは、その場かぎりの傘一本を借りたようなもので、安心というよりは安全感という程度であろう。こういう借りものの安全感から、どのような場合でもくずれない絶対の安心を頂きたいものである。
それでは、親先生はどのようにして、この安心の傘一本を頂く信心をすすめられたのであろうか。親先生の御修行時代の一ページを『和賀心時代を創る』から抜粋してみよう。
私はその頃、福岡で、家内子供を、余りに難儀が続きますから、椛目の方へ帰しました。それで、私一人であちらへ残って修行させてもらった。勿論、御神意のままの修行でございました。秋の御大祭、ちょうど御大祭前に、二、三日前から御用に参ります。それで、今日はその日に当りますから帰らなければならん、家内から葉書がきておった。
こちらでこうやって家族中、親子三人がたとえ親の家であっても、食糧も不自由な時ですから、そちらで配給がとられるなら、少しでも持って帰ってくれ、ということであった。
それで無理算段を致しまして、当時は黒いようなメリケン粉ですよね、そのメリケン粉一俵買わせて頂いて、それを持って善導寺に向って帰って参りました。ちょうど西鉄の昔の改札口のところにずーっと並んで待っておりました。私は足もとにメリケン粉の袋を置いてしみじみ感じた。
今度の大祭には、おかげ頂いて祭典費の方はおかげ頂いたけど、この大祭に、それこそ年に一回しかないという大祭に、お供えもできん事は本当に淋しい事だなあと思った。思うたら、とたんにですね、足もとにあるメリケン粉を、神様は指をさすように示しなさるものですから、私は「はっ」と思うてね、お供えはここにあったたいと思うたです。これは家内、子供が食べるために持って帰りよるところですから、これをお供えとか全然気づかなかった。けれども、「ここにあるじゃないか」と神様はいわんばかりに示しなさるから、あ、今度の御大祭には、これをもってお供えさせて頂こうと腹が決まった。
そしたら、有難うなってから、それこそ目を閉じておるとおかしいぐらい涙がこぼれる。そういう中にね、心眼(しんがん・心に映像として映る神様からのお知らせ)を下さった。丁度鶏ですね、雌鶏(めんどり)が首を羽根のところへこう突っ込んで、いわゆる思案投首といったような感じ。二、三羽のひよ子がばたばたと餌がつれして倒れて行くところを頂いた。そして私の心の中に、家では家内がメリケン粉を首を長くして待っとるぞと。子供達は、「そうなったらばたばたと倒れてもよいか」という感じであった。
私はそれに答えた。「神様、日頃御教えを頂いておりますと、私どもの命は、神様が預かっておって下さるのであり、神様のおかげを頂かねば立ち行かんのであり、この大祭というのは、私にとって年に一度の大祭でありますから、この大祭にお供えも出来んと思うておるところにお気付を頂いて、あゝ、ここにあったとわかった以上、それはお供えさせて頂かなければおられません。どうぞ、家内のことは子供のことは、どうぞ宜敷くお願いします。」という事を、そこでとっさに御祈念させて頂きました。
そしたらすぐ、ず-っと私の目の前にね、海のような大きな湖にですね、小さい水鳥が五、六羽、こう泳いでエサを探しておるけれども、エサが無いような状態で向うへずーっと、ばらばらで泳いで行くところを頂いた。そのずっと後から、その十倍もあろうかと思われる水鳥がね、口に何やらをくわえて、矢を射るような勢いでね、その小さい水鳥の後を追うて行くところを頂いた。
本当に神様はね、こういうおかげを下さる。
大祭を終えて、後片付けも終わってから福岡に帰らして頂きましたら、家の前に自転車がメリケン粉一俵積んで立っとる。そしたら、私が闇商売さして頂いとった時分に中国人との商売があって、私が闇でひっかかった時にその人の分まで私がひっかぶって、いろいろまあ、私が犠牲になっておったんですね。それを、半年ぶりぐらいでしょうかね、その人がお礼にというて、あの当時、あの人達の頂くメリケン粉というのは、進駐軍のとですから、真白いメリケン粉でしょう。そのメリケン粉を一俵お礼に持って来ておるところでした。
なるほど、私が御心眼に頂いた大きな水鳥が、後を矢を射るような勢いで追って行ったのは、この事じゃなかろうかと思わして頂くような事がありました。
親先生は、このようにあらゆる場合も、我身我事は後まわしにして、一にも神様、二にも神様、三にも、というように神様に接近していかれた。そこから確かな神様の御働きを頂かれて、神様への絶対信をいよいよ育てられ、必要なものはどれだけでも神様のおまかない下さるという無限の天の配剤を確信されるようになってこられたのである。こういう信心の積み重ねから、偉大な安心の傘一本が頂けるのではなかろうか。(昭和54・7・5)
(花押)
《御理解第99節》無学で人が助けられぬということはない。学問はあっても真(まこと)がなければ、人は助からぬ。学問が身を食うということがある。学問があっても難儀(なんぎ)をしておる者がある。此方は無学でも、みなおかげを受けておる。
久留米教会初代・石橋松次郎師も教祖様と同じ農家の出であられたが、この教えの通りに大勢の人が助かる働きをされた。
三代金光様から「この人こそ真の人ですなあ」と評されたほど、学は無くとも手厚い真をもって神様と交流された方であった。
ある時、本部で教会長講習会が開かれ、「信心生活」と題して講演がもたれた。大変難しい講話であったため、無学な師にはそのお話の意味が分られない。せっかくのことなのに残念なことであると思われた師は、あらためて神様に「信心生活とはどういうことでしょうか」とおうかがいされると、「丸裸の赤ん坊が、真新しいフトンに寝て、それに大きく水引きがかけてある」ところをおしらせに頂かれた。
これによって師は、はじめて信心生活という意味を悟られたということである。
人は生まれた時は誰もが、丸裸であり、本来無一物である。信心生活とはそこを分って、自分のものは何ひとつない、一切が神様の御物であると、身にも財産にも水引きをかけて神様に奉った信心姿勢の生活をいうのである。
『我、無芸・無能・無才にしてただ、信あるのみ
』
これは親先生のぎりぎりの御自覚を言葉にされたものである。自分のものは何ひとつとしてない。また、自分には才も力もない。ただ、神様を信じ申し上げるのみ。そこから、ここ一寸動くにしても神様のおかげを頂かねば動くことの出来ない自分であり、神様にすがらずにはおれない私であるという、神様に心が向かい通しに向かっていく、信心生活の根本が生まれてくる。
自分の力で出来ておるという考えは思い上りであり、自分で出来ないところだけを神様にしてもらうというのは身勝手な信心である。「障子一重がままならぬ人の身」が人間の実体である。そこが分かる時、生活の為に信心があるのではなく、信心の為に生活のすべてがあるという、真の信心生活が生まれてくるのである。
【注】
この花押は、神様から親先生が頂かれたもので、「〇」は宇宙を表わし、
「、」は、その中で浜の真砂の一粒ほどもない自分ということを示し、
「一」は、ただ、神様を信じる心ひとつがあるのみということを意味している。(昭54・7・24)
実意をたてぬき候
《信心乃心得》一 打ち向かう者には負けて、時節に任せよ。
時節(なりゆき)そのものが神様の働きと信じられねば、この教えのように討ち向かう者に負けることも、時節に任せることも出来ない。
教祖金光大神様が様々な御修行をなされた中にも、そこに起きて来る事柄を神様の働きと信じられ、素直に時節に身を任せていかれる一貫した御信心の姿勢が伺われる。
例えば当時、教祖広前が幕府未公認であることをよいことに、修験道の山伏が、度々広前を襲い、神前のお供えものや神具を持ち去る横暴を重ねていた。
しかし、教祖はそれに対しても、「このくらいのことは神様のお力でお払いのけになることはへんはない。それに、さように度々来るのは、神様がおやりなさるのじゃから、われは一向に腹はたてぬ。・・・・この神様のお道は、年々に御繁昌なさる。氏子さきで合点せよ」(教祖御伝記より)という態度であられた。
また明治の変革によって、大谷村戸長から「神前を片付けよ」と命じられた時でも、事の成り行きに淡々と身を任せておられる。
周囲が狼狽する中にあって、教祖様は神前撤去のその命(めい)に素直に服され、その後、戸長自身が「内々に拝んではどうか」と言われても、「内々ではいたしません、お上様、お役場へご心配かけてはあいすみません。」との態度であられた。
やがて、成行きのままに、再び神前を整えてもよいという働きになった時、教祖は、「お上ヘ出ても実意を立てぬき候」と信心姿勢を明らかにされ、神様も又、「何事もみな天地の神の差し向け、ビックリということもあるぞ」と答えておられる。
自己の宗教を貫く為には流血をも辞さぬという宗教は、歴史の中に幾多もある。しかし教祖金光大神の場合、迫害すらも神様のお差し向けとしてなすがままにされて、それを受け入れられ、ひたすら神様を信じて、時節を待っていかれた。そこに教祖の御信心の前代未聞さがある。やがては金光教が、一教独立という時節を頂き、押しも押されぬ大教団としての歩みをみることになったのも、教祖の御信心の結実として当然であろう。
それでは、時節を待たれる教祖の御信心の内容はどういうものであったろうか。
この頃に確定をみた天地書附には、「おかげは和賀心にあり」と明言しておられる。和賀心の内容こそ、教祖の御信心の内容にほかならない。
今朝方、親先生は御神前で「和賀心の和とは素直」と神様からおしらせを頂かれた。和の内容とは、普通一般でいう平穏な心といった程度のものではなく、神様が右と言われれば右を向き、左と言われれば左を向くような馬鹿程に素直な心、しかもそれが不壊のものとしての和の心を言うのである。
時節を待つといっても、ただ漠然と待つというのでもなければ、泣きの涙で辛抱するということでもない。その間を神様の働きを御働きと信じ、神様への素直心を、また賀(よろこ)びの心を限りなく育てていかねばならない。
そこに天地の、人間氏子を幸せにせずにおかない働きの時節に乗って、必ず自他共に助かる最高の道が展開してくる。
合楽教会でいわれる、成り行きそのものが神様のお働きという教えは、いよいよ金光教の信心の芯をなすものであることが分かる。
まずは、神様・親先生の仰せには背かれませんという生き方。出来事一切を神様の働きと信じ、受けていく生き方。そこに素直心を究めていって、おかげは和賀心(わがこころ)にありといわれる、和賀心の内容を育ててゆかねばならない。(昭54・8・2)
相抱性原理
《御理解第2節》先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳じゃ。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。みてる(尽きる)ということがない。
昨夜、親先生は神様から、相対性原理という語調をもって『相抱性原理(そうほうせいげんり)』とおしらせを頂かれた。
相対性原理とは、言うまでもなく、天才物理学者アルバート・アインシュタインが導きだした新たな物理学理論で、この理論によって、過去のニュートン力学ではどうにも説き得なかった自然界の未知の法則が見事に解明され、人類に一大貢献をもたらした。このように人間のあくなき知識欲から、自然科学の分野は、未知の事柄が次々と明らかにされている。
それにもかかわらず、私達の身近に、いつもまとわりつくように存在し、絶えず影響を及ぼしながら、いまだ未解決になっている事柄がある。それは、人間が生きていく上で永遠の課題のように思われる難儀という問題である。
それでは何故、この難儀という問題が根本的に解決されないできたのであろうか。それは在来の宗教が難儀というものを、嫌なもの忌わしいものとして目をそむけさせたり、因縁や罪、運命などという言葉であきらめさせようとしてきたためである。
その在来の物の見方、考え方とはまったく次元の異なる見方で、難儀こそが神様とのかけ橋であり、神愛の現れであると、難儀を通して神様に近づけ、幸福になっていける人間の根本的生き方を、神様は相抱性原理というお言葉をもってお知らせ下さったのである。
果して、難儀は本当に嫌なもの、忌わしいものであろうか。いや、実はその難儀と観念する心そのものが、嫌なもの忌わしいものを作り出してきたのである。
例えば冬は寒いからいやだ、夏は暑いから嫌いだという人があるが、水泳が好きなものにとっては、夏のカッと照りつける暑さこそが最大の魅力であろう。寒さ、暑さの中にも、そういう楽しさ面白さがひそんでいるのだから、要は起こってくる事柄の中にも、それ以上のものがひそんでいることを知ることである。
神様が人間氏子の為に起こして下さるお働き、それは時には難儀という形をとってやってくる。しかしそれを通してスキーや水泳を楽しむように、天地と共に生きる技を体得する楽しみを身につけていくなら、天地と人間が相対的に対立するのでなく、相抱的に合い楽しみあい、抱擁できる程の楽しく有難い相抱的生き方が出来てくる。この相抱性原理とも呼ばれる生き方こそが誰でも御神徳を受けていくことが出来る手立てである。(昭54・8・22)
形の真似はできても心の真似ができぬから
《御理解第79節》商売をするなら、買い場、売り場というて、もとをしこむ所と売り先とを大事にせよ。人が口銭(こうせん)を十銭かけるものなら八銭かけよ。目先は二銭損のようでも、安うすれば数が売れるから、やはりその方が得じゃ。体はちびるものでないから働くがよい。
今年三才になる秋永静男君は、たいへん腕白な子供である。先日からも教会のレクリェーションでプールに行った時、お母さんがちょっと目を離したすきに、泳げないのに大人の真似をして飛び込み台からプールに飛び込んだ。しかもそのフォームがあまりに見事だったので、プールの監視員も「あゝ、あの子は小さいのに泳げるんだなあ」と感心してしばらく見ていたという。ところがいつまでたっても水面から顔を出さない。はじめて泳げなかったんだ、と気がついてあわてて飛び込んで、水の中でもがいていたところを助け上げた。すぐに気がついたからよかったものの、もう少し遅れていたら溺れ死にするところであった。
このように、泳ぎ方も知らずに形だけ真似て、水の中に飛びこむのは危険きわまりないように、信心も又、形だけ真似ては、かえって危険な時がある。
この御理解では商売のことについて「商売をするなら人が十銭かけるところを八銭かけよ」と教えてあるが、だからといってただその通りに形の真似だけして安くするのは、かえって損をする結果を招くかもしれない。そこで、数が多く売れるから得になる、というおかげが伴うような、この教えの頂き方でなければならない。
それには、この教えの通りにすることが、神様に喜んで頂け、商品も生きてくることだ、と教えの真意がまず分かり、そうせずにおれない内容作りをしていくことからである。
食料品店を経営している日田の高野氏は、最近近所に二軒の大きなスーパーマーケットが進出したため客足が落ち、このまま商売を続けたがよいかのお伺いに、教会に初参拝された。
すると、親先生は「個人商店でなければ出来ない商売をさしてもらいなさい。まずは商品を拝むことから始めなさい」と諄々(じゅんじゅん)と合楽理念による商売の在り方を御理解された。
初めて頂く教えに心開けるような思いをされた高野氏は、さっそくその通りにされることになった。そしてしばらくたったある日、いつものように開店前に商品を拝みながら「どうぞ今日もお客さんに喜んで頂くような商売をさせて下さい」とお願いしていると、商品の乾物から「符丁(ふちょう・価格)を変えてくれ、符丁をかえてくれ」という声が聞こえて来た。あまりの不思議さに我と我が耳を疑ったけれども確かに聞こえてくる。そこで、「それはどういうことですか」と尋ねると、「自分達は、売れないで店にいるのが一番辛い、早く売れて食べられて人間の血肉になるのが本望だから、符丁をかえて安く売ってくれ」と重ねて話しかけて来た。
生まれて初めての体験であったが、これは親先生の言われた、商品を生かす方法を神様が教えて下さってあるのだろうと思われて、その通りに全商品の符丁を変えられた。すると、客が急に多くなりだし、しかもわざわざ遠方から「お宅で買いたいから」という人まで現われだし、いよいよ繁昌するようになって来たという。
このように、形のマネからではなく、神様の教えに忠実になろうと、けいこにけいこをかさねていくところに、おかげの頂ける心のマネも、安く売らずにおれない信心内容も身について来て、真の繁昌のおかげということになるのである。
「せねばならぬ修行は苦しく辛い
そうせずにおれない修行は有難く楽しい」(昭54・9・18)
