人の章 一切神愛論③

合楽への道

《御理解第23節》氏子が神と仲ようする信心ぞ。神を恐れるようにすると信心にならぬ。神に近寄るようにせよ。

 ある時、神様は合楽に至るバス停の名前をもって、神様と人間氏子が合楽し合う世界に至るための道程をお説き下さったことがある。それはそのまま親先生のたどられた道でもあった。久留米からバスに乗ると善導寺(ぜんどうじ)・勿体島(もったいじま)・椛目(かばめ)・常持(つねもち)を経て合楽(あいらく)に至る。
 「善導寺」、まずは善い信心のお導きをうけねばならない。親先生は善導寺町にある親教会(金光教三井教会)にご縁を受け、幼少の頃に、ない命を助けられ善導をうけられた。善導を受け、お道に入ると、次々に思わぬおかげが受けられ、「勿体島」、このような自分にもったいない、もったいないと思うようになり、いよいよ教えにも本気で取り組み行じて来ることになる。
 そこにいつしか、「椛目」、心に信心のよろこびの芽が生まれ喜びの花(椛目・木は心即ち心の花)が咲くようになる。
 親先生の心に信心の喜びが生まれ椛目の神愛会(合楽教会の前身)で人が次から次に助かるようになっていったのもこの頃である。そして、その信心のよろこびを育てて常に持ちつゞける心が「常持」。これがいわば極楽の世界である。だが、ここにとどまっていては氏子は満足しても神様は満足されない。そこからもう一歩我が助かりのみにとどまらず、その信心のよろこび、ありがたさ、安らぎをもって神様に向い、「お役に立ちたい立ちたい」の一念を燃やし神様との交流を深めていく。そこに「合楽」へ。願わずともおかげが生みなされてくる神様と人間が一体となった神様も楽なら氏子も楽という合楽する世界が生まれてくるのである。
 この神も助かり氏子も立ちゆく世界こそ、教祖様あってはじめて到達された前人未到の世界であり、神と氏子が仲良うする究極の世界。そこではどういうことがおこっても、もはや信心のよろこびは消ゆることなく、又、天地のおかげが無尽蔵に生みなされてくるのである。ここにどうでも、人間氏子とあいよかけよで、助かっていきたい神様のやむにやまれぬ思いを感じて、合楽理念に基づいて、善導寺・勿体島・椛目・常持・合楽へと信心をすすめていってもらいたいものである。
 なぜならこの道こそ、人間が人間らしく生きながら、誰もがたどっていける人間幸福の絶対の大道であり、いよいよ日勝り月勝り年勝り代勝りのおかげ、貧争病ない真善美に輝かんばかりの合楽世界に住まわせて頂くことが出来るからである。
 難儀があり問題がある。又、心にひっかかることもある。しかしそれを罪だ、因縁だ、めぐり深い私だから、と自分から求めて十字架を背負っていくような生き方は神を恐れるようなものである。
 過去、数千年の宗教はそこまででとどまっていた。合楽ではその難儀問題が神様が氏子と交流したいばかりの誘いかけであると説き、神様と仲良うする手立を善導寺・勿体島・椛目・常持、合楽へと誘導して下さるのである。
 ここに天地の親神様のお心と一体となった合楽の信心の真骨頂があるのである。(昭54・9・27)

頼むは此方御一人

《御理解第57節》金の杖(つえ)をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ。

 神を杖につけば楽ぢゃ」とある。ということは、信心していて楽でないなら、まだこれは神を杖についていない証拠だということになる。そこで心をよくよく探ってみると、確かに楽でない証拠に、神を杖についているつもりが、人や金や、果ては自分の腕を頼ろうとしていることに気付かされる。
「たよりなきものを たよりにする故の この頼りなき心なるかも」と現教主金光様(四代金光様)のお歌にもある。
 ここで本気で、神様以外の頼りなきものを頼ろうとする観念を、捨てさらねばならない。そして、自分は神様のおかげを頂かねば、ここ一寸も動けぬ人間である、という思い込みをつくっていくことがいる。自分は無能、無才、無力な人間であると、そこまで心を見極めていく時、はじめて神様だけを杖につかせて頂く他はない、という心が生まれて来て、神様の方も、そこまで頼まれればと、十二分の御神情をお示し下さるのである。
 親先生は三十年間、一日として欠かされることなく、朝三時半から御神勤をされる。ところが昨夜はそういう大切な朝をひかえて、体調をくずされ、疲れきって寝(やす)まれた。すると、朝方観先生の御心耳に「〽逃げた女房にゃ未練はないが・・・」と浪曲子守唄の一節が聞こえ出した。思わず聞き入っておられると歌詞が「・・・・・・ひとつ聞かしょうか、トンコロリ」と、「ネンコロリ」のはずが「トンコロリ」となった。その語呂のおかしさに、思わず吹きだされ、おかしくておかしくて、笑いながらフトンからはね起きられた。すると、笑いがおさまった時には、眠気も疲れも吹き飛んで、いつものように清々しい朝の御祈念をつかえられた。神様がこうまでして有難い目覚ましをさせて下さると、その時に親先生は厚く御礼申されたと言われる。

 神様と親先生の妙なるまでの心通う世界。
 それは神様を杖にしなければ頂けない、おもしろく有難く楽しい不思議な世界。
 このような楽の世界にも住まわせて頂けるのが「神を杖をつけば楽じゃ」と仰せられる内容である。生活全般の上にこういう働きが頂けると分かる時、もう人や金や物をあてにするのは馬鹿らしいことになる。
 この世一切を御支配される神様を杖につかせて頂いてこそ、限りない楽の世界が広がるのだと合点して、頼むは此方御一人と神様一心の観念づくりに精魂をかたむけていきたいものである。(昭54・10・25)

清く貧しく美しく?

《御理解第2節》先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳じゃ。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。みてる(尽きる)ということがない。

 「宗教は貧をもって旨とすべし」と観念されて来たのはいつの頃からのことであろうか。「焚くほどは風がもてくる落葉かな」という歌で名高い禅僧良寛は、後年、郷里(ふるさと)越後の国上山(くがみやま)に五合庵という庵(いおり)をむすび、いつも五合の米があればそれが仏の功徳、仏恩と悟り、生涯を慎ましく暮したといわれる。
 過去の宗教観念には、そういう、清く貧しく美しく、という生き方を正法とするむきがある。
 金光大神の世界は神徳・人徳・金の徳・物の徳・健康の徳の五徳足ろうた世界。金光教は仏教でいうあきらめの悟り、即ち今ある境遇に「吾、唯足るを知る」と、ただ満足しているというのでなく、どういう中からも天地の心を悟り、有難し、という境地をひらいていく事を教えるのである。その有難しの心、喜びの心が大きくなるにつれ、人間が幸福になる為のすべての条件も整ってくる世界を説くのである。
 お金には恵まれているが病人が絶えない。人には好かれるけれども貧乏している。といったどこか幸福の条件が欠けているなら、自分の信心のどこかが欠けているから、とまず気付かねばならない。そこから「天地日月の心になること肝要なり」と言われる、天の心の、あるいは地の心、日月の心のどれかが欠けてはいないか、と天地足ろうた修行へと改めていかねばならない。十の信心には十の足ろうたおかげがあり、百の信心に育てば百の足ろうたおかげが頂けるように、真の信心には真のおかげが伴う道理である。
 それなのに、心の助かりだけを言って貧しく暮しているような事があってはおかしい。なぜなら神様は、人間氏子に幸せになってもらいたいばかりであり、「氏子信心しておかげを受けてくれよ」とは、この世での人間の幸福の条件がすべて足ろうたおかげが頂け、あの世にまでも持っていける御神徳を受けてくれよ、ということだからである。
 「良し悪しを捨てて起きあがり小法師(こぼし)哉」とそれこそ物事の良し悪しを捨てられたり、何もいらないという、心の状態が生まれて来るような修行をして、独楽(どくらく・自分だけの助かりの世界)の境地に至っても、それでは限りないおかげの世界にふれる事は出来ない。
 ここは黙って治める土の心で、ここは麗しい、無条件のしかもいさぎよい天の心で、ここは貫く日月の心で、と欠けたところを本気で身につけていく精進に五徳足ろうた金光大神の世界に誰でも住まわして頂くことが出来るのである。(昭54・10・31)

受け継ぎ、受け継がれるもの

《信心乃心得》一 神は声もなし、形も見えず、疑わば限りなし。恐(おそ)るべし、疑いを去れよ。

 ある時、親先生は、合楽教会の二代を継がねばならない若先生を、どこか厳しい教会に預けて修行させようかと思われたことがあった。すると、神様は、筑後平野に連なる耳納連山の頂上を、峰づたいに楽々と歩いていく若先生の姿を、お知らせ下さったのである。
 そして、御理解下されたことは、例えば、山の頂上をきわめるのに、下から登らねばならないような難しいことはもはやいらない。耳納連山の頂上に開かれているような、平易な道を間違いなく歩いていけば、それでよいということであった。
 そこで親先生は、「私のあとを継ぐものは、私が命のように大切にしているものを大切にしてくれればよい。私が究めたものを受け継いでくれればよい」と思われたという。
 「このような氏子はみたことがない」と天地金乃神様が仰せられたような、教祖金光大神様の尊い御修行によって、はじめて誰もがみやすく行じられ、天地のおかげをあますところなく受け止められる、前代未聞の道が開かれた。
 しかし、せっかくの道も、教祖様がおかくれになり、百年たった今日、いつのまにか人情的生き方や道徳的生き方、あるいは、古い修行観念等にとらわれて、再び見えなくしてしまったり、難しいものにしてしまったのではなかろうか。
 だからこそ、教祖金光大神様の偉大な御信心の真髄を頂きぬこうとされた親先生は、再び道を求めてあられぬ修行からせねばならなかった。様々な難行苦行もされた。同じ人間、出来ないことはないと、直信先覚諸師のされた荒行もことごとくされた。もう、断食・水行などはあたりまえのこととさえ思われていた。こういう修行をしておかげを受けたという人の話を聞かれると、その日のうちにその通りにされもした。しかしそれでも親先生の場合はおかげにはならなかった。心もひらけなかった。
 そこで翻然として思われたのが、私の上に起こってくることなら、どういうことでも黙って受けていこうという修行であった。こうして神様からの御試練を受けて受けて受けぬかれた親先生の尊い御修行によって合楽理念が誕生し、後々のものが、みやすうおかげの受けられる、天地の道が再び開かれることになったのである。
 声もなし形もみえない神様が、声以上の声をもって、形以上の形をもって、その姿を示し現わされる容易(みやす)い道が誕生したのである。だから、もう次代を継ぐ者は、このみやすい道を歩きさえすればよい。
 悟り以前の修行は、きびしくつらい。悟ってからの修行はみやすく楽しい。合楽での修行はもはや悟り以前の難行ではない。生身ではとてもできないというものは一つもなく、行ずればそれに応えて下さるかのように、天地のリズムが必ず感じられてくるから、楽しく有難くしかも愉快にさえなっていく修行である。だが、あまりにもやろうと思えばみやすく出来ることだから、いつでも出来るという気持でおろそかにしてしまってはいないだろうか。いつでも出来ると思うその心こそ恐るべし恐るべしである。
 天地のはかりしれないお心を、限りなくお説き下さる親先生の日々のみ教え。しかもその気になりさえすれば誰でも行じれるのであるから、どうでも直信先覚諸師が荒行にうちこまれた情熱に、勝るとも劣らぬ迫力をもって、日々のみ教えを自らの血肉にしていかねばならない。天地の偉大な道が開けていくために・・・・・・。

親さまが魂をすみにそめながして
かきて候ぞ信じさせ給え
神の御心ハ天地書附なり
親さまが魂ハ合楽理念に過ぎたるハなし(昭54・11・2)

自分を知るものには、いつもお与えは、過分であります

《御理解第84節》おごりがましいことをすな。ものは、細うても長う続かねば繁盛(はんじょう)でないぞ。細い道でも、しだいに踏(ふ)み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな。

 神様のお指図が著しい親先生の御修行時代のこと。道を歩くにも神様が「右ぞ左ぞ」と事細かに教えられ、四神様(二代金光様)の名を唱えれば四神様が、桂松平師(初代金光教小倉教会長)の名を呼べば桂師の霊様が現われて下さる。
 そういうある日、神様は親先生に、「その方ぐらい結構なおかげを受けている者はないなあ。このように、神や霊と自在に通いあえて結構じゃなあ」と仰せられる。それに対して親先生が「はい、私ぐらいの信心でよもやこういうお徳が頂けるとは真に勿体ない限りです」と言われると、神様は、「その方の徳は借り物じゃ!」と仰せられた。「神様、真にその通りでございます。私ぐらいの信心でこういうお徳が受けられるはずがございません。神様が勿体ないことに貸して下さってあるとしか思えません」と即答された。すると、神様は「一生借り続ければその方のものじゃ!」と重ねて仰せられた。
 天地の間に自分のものは何ひとつとてない、総てが神様のものであり、信心の徳すらが神様からの借りものだと自覚された親先生には、驕(おご)りがましいことをすることなど思いもよらないことであり、ただ慎みと喜びをもって押し頂く御姿勢があられるだけである。
 「神からも恩人」とまでたたえられた教祖金光大神様ですら、「この方といえども、油断をすれば、いつ神様からおヒマが出るか分からぬ」と仰せられたように、神様のおかげを頂かねば立行かない自分だと分る時、神様をはずすことも、驕りがましいことをすることも、到底できるものではない。しかし、お互いの生活の上には、何でもないことの上におごりがましいことになっていたり、こんなぜい沢をと思うことが何でもなかったりすることがある。
 一見、ぜい沢と思える物でも、神様が人間氏子の上に与えたいばかりのおかげとして下さるのなら、それを自分にはもったいないと遠慮しては、かえって神様は悲しい思いをされる。それが頂ける資格を頂いて、有難く受ける時、神様もこよなく喜んで下さるのである。
 問題は、資格もないのに手の届かないものを欲しがったり、これくらいのことは何でもなかろうと、些細なところをおろそかにする心が、おごりがましいことになる。
 今日の合楽教会の繁昌も、まずは親先生が、食べる資格も着る資格もない自分だと悟られ、そこから神様にすがっていかれたところから、次第に踏み広げて来られた今日の繁昌である。だから、全館に冷暖房は完備し、各部屋に調度品が飾ってあっても、神様は少しもぜい沢とは仰せられない。それどころか、親先生の、神様が、いつ離れられるか分らないという油断の起こらぬ信心に、神様も離れようにも離れられず、おかげを下さり続けてあるのである。(昭54・11・7)

水子供養?

《御理解第65節》日柄(ひがら)方位は見るにおよばぬ。普請(ふしん)作事は、使い勝手のよいのが、よい家相じゃ。よい日柄というは、空に雲のない、ほんぞらぬくい、自分に都合のよい日が、よい日柄じゃ。いかに暦(こよみ)を見て天赦日(てんしゃにち)じゃと言うても、雨風が強うては、今日は不祥(ふしょう)のお天気じゃと言うではないか。日のお照らしなさる日に良い悪いはないと思え。

 雲ひとつない大空を仰ぎみるように、何ものにもとらわれることのない広々とした安らいだ心、神様から生かされての毎日、何一つとして心にかかることのない和らいだ喜びに溢(み)ちた心。こういう心を教祖様は和賀心と教えられた。この和賀心の前には毎日が天赦日という万事に使い勝手のよい自由の世界に住めるのである。
 しかるに振り返ってみて、私達の周囲にはいかに自分で自分の首をくくるような、迷信的観念が私達を支配し、窮屈にしていることであろうか。現代においても、日柄方位を言う易学、暦学、家相、墓相、印相、はては今流行している水子供養といったものさえが横行している。金光教は、教祖金光大神が、百数十年前、日柄方位は見るに及ばずとハッキリこれら迷信を打破された宗教である。確かに、これらも天地の中の一つの仕組みとして根拠のないことではない。手相ひとつとっても、ある程度その人の性格や運命を占うことができるのも事実である。しかし、天地金乃神様は、これらのものは、言ってみれば螢の光のようなものと教えて下さる。天地の働きを知らない人には、やはり暗夜に飛ひかう螢の光は明るく見え、それにしたがって生きていこうとする。しかし、天地の親神様という、明るい太陽のような偉大な光にひとたび照らしだされたなら、たちまちにして螢の光はうすれ、ないも同然となる。そのように、信心のない世界では、どんなに手相で悪い運命があらわれていても、ひとたび金光教の信心を頂けば、その日を境に運命は好転するのである。
 例えば、福岡市に住む伊藤カナエさんは、ある日、易学の本を読まれたところ、過去にあった難儀なことは驚く程、的確に言いあてられていることが分った。そして、四十才前後には、狂い死にするとさえでていたのである。ところが伊藤さんは、丁度、そのころより合楽教会に御縁を頂かれ、それを限りに運命は上昇の一途を辿っている。
 又、最近、日田から来た人で、この頃、困った問題が起きるのは流した水子の祟りと言われ、多額の供養料を納めて供養してもらったのだが、少しも問題は解決しない、という人がお願いに来られた。それに対して親先生は、「子洪を流したということは、もちろん良いことではありませんが、だからといって、水子の霊が祟り障りをするなどということは、決してありません。それは神様にお詫びすれば許して下さることであります。例えば、神様の目から見れば、『子供を流すということは、台所でお米をといでいる時、とぎ汁と一緒にお米が二、三粒流れていくくらいのこと』と神様は仰せられますから、勿体ないといえば勿体ないが、やむをえないことですから、お詫びすれば、それにとらわれることはないのですよ」と御理解されたところ、その方は心もはればれとして帰られた。そして間もなく問題も解決したという。
 この例をとってみても、いかに天地の神様の前には、これらが色あせた、迷信じみたものになってしまうかが分かる。いや、それだけでなく神様は、これら日柄方位や、家相、人相、易学などといったもので天地の働きをおしはかるようなことそのものが、自らを窮屈にするだけでなく、神様の、人間を幸せにせんが為の働きにケチをつけることになり、天地に対して無礼であると教えられているのである。
 まずは、この天地の中におこってくる事は、一切神様のお働きであるという一大見地に立っての物の見方、考え方。ここから一切がおかげ、毎日が天赦日という、許されての、使い勝手のよい日、生かされている私と分かってくる。そこには「日のお照しなさる日に吉い凶いはないと思へ」と教祖金光大神が仰せられたように、日柄方位の迷信だけでなく、心を窮屈にしておかげが受けられなくして来た一切の観念から解放された、雲ひとつない大空を仰ぎ見るような、何ものにもとらわれることのない、広々とした大天地に住めるのである。
(昭54・11・20)

魚釣る人、見ておる人

《御理解第22節》天地金乃神といえば、天地一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるが、受け物が悪ければおかげが漏(も)るぞ。神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは死んでもままよのことぞ。

 「魚釣る人、見ておる人」
 これはよく見かけることだが、橋の上などを通りかかると、釣りを見物している人達がいる。「ほら引いた、引いた、まだまだ上げるな」となかなかやかましい。まるで自分が釣っているつもりである。そして釣り上げると吾がことのように喜んでいる。何とも、面白い情景である。
 しかし、見ているだけではどんなに熱中してみても、結局、魚は自分のものにはならない。やはり、釣りのだいご味は、自分で釣らなければ味わえない。それにはまず、竿も糸も用意し、餌も吟味し、服装もととのえるといった用意周到な構えがいるのである。
 同様に、信心も「おかげは受け徳受け勝」といわれるように、ただ、人のおかげを受けている様をながめているだけではなく、自分がおかげを頂く為に本気で自分の信心の構えを作ることが大切。
 ところがこれだけではまだ足りない。一番肝心要(かなめ)のことがある。それは釣り場を選ぶという」ことである。
 親先生はおしらせに、『ある人が竿も糸も用意し、釣りの準備もできて、一日中釣糸をたれているが、浅くて挟い、雑魚もいないような川を選んでいるので、少しも釣れず、日も暮れてきて、今日も一匹も釣れなかったと、寂しく帰っていくところ』を頂かれた。まず準備が出来たら釣り場を選ぶことが大切である。
 それこそ、一生懸命に参拝もし、御用もしておりながら、何十年と年月ばかりたっても、少しもおかげらしいおかげにならない、お徳も頂けないといった例が沢山ある。
 本当に助かり、おかげの頂ける宗教かどうかをまずは見極めよ。そして師匠をえらべ。確かにここでならおかげが頂ける、お徳が頂けるとの見極めがまず大切である。
 信心させて頂くからにはおかげを頂きたい、お徳も頂きたい、とは誰しもの願いであろう。けれども、果たして、それを受ける受物ができているであろうか。それを頂く構えが出来ているであろうか。しかも、場所の選定に間違いはないだろうか。よくよく考えてみなければならない。(昭54・11・21)

世界を包み回す

《御理解第96節》世の人があれこれと神のことを口端(くちは)にかけるのも、神のひれいじゃ。人の口には戸が閉(た)てられぬ。先を知ってはおらぬぞ。いかに世の人が顔にかかるようなことを言うても、腹を立てな。神が顔を洗うてやる。

 昨二十五日、末永建郎先生(合楽教会の修行生)は、勇躍、南米布教の途につかれた。宗教家の永住は絶対認めないという、厳しい近年のブラジルの国策の中で、堂々と宗教家として永住できるようになったということは、奇跡以上の奇跡でなくしてなんであろうか。
「人の口には戸はたてられぬ。先を知ってはおらぬぞ・・・」とある九十六節の御理解のように、まさに神様が、顔を洗って下さった今回の南米布教の壮挙である。
 去る二年前の春、最初の南米布教に旅立ち、わずか半年の間に、すさまじいともいえる御ヒレイを輝かし、布教実績をあげて、いったん帰国したのもつかの間、再渡航を足どめされてしまった。以来、この二年間は農業移民として、あるいは有力な人をつてに頼んでと、種々の方策を試みたが、返ってくる答えは、いよいよ否定的なものばかり。そして今年の六月、ブラジル渡航者の要注意人物として、パスポートにマークされていることが分るに及んでは、いよいよ再渡航は決定的に不可能となって来た。しかもその頃、末永先生は足を骨折し入院。信心がないなら、まさに泣き面に蜂というところである。
 ところが、このことをお取次された親先生は言下に、
 「これが南米行きの最後の修行」と言い放たれた。
 そしてまもなく、事態は急転直下。ある日突然、神戸のブラジル領事館より、末永先生に一度会いたいという電話がかかってきた。早速、領事を訪ね詳しい事情をうちあけたところ、一も二もなく、永住渡航の手続きに奔走してくれることになり、ここに大きく立ちはだかっていたかに思われた壁は、あっという間にくずれ、奇しくも道は開けるというおかげになって来たのである。
 それではひるがえってみて、この二年間、末永先生の信心修行ぶりはどうであったろうか。口さがない人からは、もう南米布教は無理といった陰口も耳にする中で、ただ二年間、じっと我慢していたとか、今に見ておれというような不安、焦燥の心では決してなかった。それどころか、いよいよむつかしいという事がおこる度に、いや右になろうが左になろうが、必ずそこからおかげになると絶対の確信をもって、それによって、かえって一まわりも、二まわりも心を大きくさせて頂こうと勇み立っての修行であった。
 「神が顔を洗うてやる」と言われる程のすさまじいおかげは、人から口端(くちは)にかけられるようなことを言われて、ただじっと我慢して耐えたり、心配や不安な心で過すというのでなく、そこからおかげになっていくという確信をもって、事ある度に心をひと回り大きくし、おかげの受物を大きくしてゆこうという、限りない精進によってこそ、初めて頂けるのである。
 今回の末永先生の南米布教再渡航は、二年間で、神様が顔を洗って下さった。しかし、神様の願いは限りなく大きい。全世界に金光教が広がり、世界中の人々が金光大神の御信心によって助かるという程の、途方もなく大きい願い、その御神願が御成就になる為には、たとえその為に、人からあれこれ口端にかけられても、顔にかかるようなことを言われても、少しも人情を出して厭(いと)うことは要らぬ。五十年先、百年先にでも、神様から顔を洗うて頂けばよいのである。
 合楽理念、即ち、金光大神の御信心はそれ程に大きな神様の願いがかけられているものなのである。

 汝真理を語り人心を清め
 迷暗の世界に光明を与う
 恐るるに足らず萬里の波濤
 南米の地に金光教を広め
 合楽楽理念を示現せん
 萬感胸に逼る感激の涙 (親先生手記より)(昭54・11・26)

五つの願い

《御理解第12節》神に会おうと思えば、にわの口を外へ出て見よ。空が神、下が神。

 願いにあけ、願いにくれる、願いの信心は最高峰。
 先日、親先主は、御神前で「野性美に富んだ、豊満な母親が乳をはらして痛そうにしている」ところをお知らせに頂かれた。乳飲み子が母親の手にすがって乳を飲んでくれてこそ、乳飲み子も安心なら、母親も楽になる道理。
 生身の人間が生きていく上には願わねばならないことばかり。我(われ)無カであるが故に、願わずにはおれないのが人間の本質であり、人間の切実な願いを神様も待っておられるのである。それ故に天地の中に住む氏子として、家族勢を揃えてどうでも願わねばならないのは五つの願い。

 一、体の丈夫。
 二、家庭円満。
 三、子孫繁昌、家繁昌。
 四、真実の御用が出来ますように。
 五、神さまの願いが成就しますように。
   即ち和賀心時代を創ることの為の御用に役立たせて下さい。

 和賀心時代を創ることのために、この五つの願いはある。神様も願われ、私達も切実に願わずにはおれないこの五つの願いは、いくら願っても、願う度毎に、神様が合点しながら受け取って下さるのである。合楽教会信奉者として、この五つの願いが実行できているであろうか。朝晩の御祈念の時だけではない。神様に向う度に、この五つの願いだけは唱えねばならない。唱えるうちに願いもいよいよ深く広くなっていく。くり返しくり返し願っているうちに、願うだけではいけないという事もわかってくる。
 「大酒大食は絶食の元」ともいわれる。体の丈夫を願うならば、体を粗末にしてはならないことがわかってくる。親先生は、体の丈夫の願いを立てられてから、「夜食は命の切り売り」とまでいわれるのだからと、その日から夜食をやめられた。
 家庭円満を願うなら、人の足元を見たり、人を責める心があっては家庭円満はない事がわかる。それ以来、親先生は人を責めないのは勿論のこと、ついつい責めてしまいがちな家内、子供も責めない、どんな目に余ることがあっても絶対言うまいと決心され、実行されている。
 子孫繁昌、家繁昌を願うなら、繁昌の邪魔になる事は改まっていかねばならない。繁昌を願いながら、電気をうっかり消し忘れてるといった、物や金を粗末に使うような横着であってはならない。親先主は「必要な時ならどれだけ使ってもよいが、必要でないのに電気がつけっぱなしになったりしてるのをみると、身を切られるような思いがする」と言われる。
 そして真実の御用が出来ますようにとの願い。真実の御円ができてるだろうか。自分のための私用になってはいないであろうか。家業が神様に喜んで頂ける家業の行になっているであろうか。くり返し願ううちに、御用の内容がいよいよ真実(ほんとう)のものになってくる。
 そして、最後に、神様の願いが成就することの為に、和賀心時代を創ることの御用に役立たせて下さいとの願い。くり返し願うところに、どうしたら神の手にも足にもなれるかとの思いもつのり、言うことにもすることにも神様が喜んで下さる働きになってくる。このこと一つが成就するためにある五つの願いである。
 今日のみ教えに「神に会はうと思へば庭の口を外へ山て見よ空が神下が神」とある。ただじっとしていては神様はわからない。実験の対象としては「庭の口を外にでてみよ」くらいに、いとも簡単なこの五つの願いの実験である。この五つの願いに、徹していかねばならない。そこに「空が神下が神」といわれるように偉大な大天地を対象としたお道の神観も確立され、神の実感・実証も頂けるのである。(昭54・12・4)