人の章 一切神愛論④

信心の理想郷

《御理解第29節》桜の花の信心より、梅の花の信心をせよ。桜の花は早う散る。梅の花は苦労しておるから長う散らぬ。

 〽梅の香りを 桜にもたせ しだれ柳に咲かせたい
 これが合楽教会の信心の理想郷。梅の花のような馥郁(ふくいく)とした香りを、目にもあでやかな桜の花にもたせ、姿態も見事なしだれ柳に咲かせてみたいという、何とも欲ばったように見えるが、金光教のおかげを一口で言い表わせばこのようなものであろう。
 誰でも同じおかげを頂くなら、華やかであればある程いいと思うだろうし、また神様も、そのようなおかげを受けて、大きく金光教を表してくれよと願っておられる。そこで求められるのは梅の信心、桜の信心、柳の信心である。

 ここで梅の花は苦労しているから永う散らぬと云われているが、これは、ただ苦労に耐えてじっと辛抱していれば、いつか楽になるだろうといったようなことではない。
 どんな極寒の中にあっても、どんな風雪にさらされながらも、「梅にも春」という花開く春を楽しみに、じっと耐え忍んでいる梅の花に、かえって何とも言えない風情が感じられるように、どんな人生の雨風に直面しても、喜びを静かにたたえながら、受け抜いていく信心辛抱を、梅の花の信心というのである。

 又、柳なよなよ風次第といわれる。柳がどんな風にも逆らわず、風まかせであるから、折れも曲りもしないように、柳の信心は神様まかせの力強い素直心をいうのである。その素直心が養われていく時、「何事も素直心の一つにて雲の上までのぼる道あり」と仰せられるように、天地と通う世界も開けていくことになる。

 さらに、桜の花は昔から散り際の潔(いさぎよ)さから、潔いものの代名詞のように言われてきた。そのように桜の花の信心は、潔さをもって、問題と取り組み、右になろうが左になろうが、ままよの潔さを作っていくこと。そこに、華やかなおかげも伴ってくる。

 こういう梅の信心、桜の信心、柳の信心が足らうてこそ、自ずとどんな時でも楽しく有難い心が芽ばえ、そこからはじめて、夢にも思わないような、嘘のようなおかげの花が咲き開く。これが合楽教会で説かれる金光教の真のおかげの花である。
 「金光大神は子孫繁昌、家繁昌の道を教えるのじゃ」と云われるように、繁昌に繁昌を重ねて、おかげの花が次々に咲きほこっていくような信心。こういう信心の理想郷を目指していきたい。(昭55・1・26)

自然との対決

《御理解第81節》氏子、十里(り)の坂を九里半登っても、安心してはならぬぞ。十里を登り切って向こうへおりたら、それで安心じゃ。気を緩(ゆる)めると、すぐに後へもどるぞ。

 信心になるにつれ、教えの鏡に心を照らされて見えてくることは、これではおかげを受けられまいという自分の汚さ、醜さである。「ここも改まりたい、ここも研きたい」と焦燥にかられて様々に取り組んでみても来た。しかし一朝一夕で改まれるものでなく、ついには、私は助かりようがないと落胆して、お詫びの信心に陥ってしまう人が多数あった。それは、改める手立て、研く手立てが分からなかったからである。
 合楽理念では、そこのところを、成り行きを尊ぶことに精進していれば、自ずと心は研かれ、改まれてくるものである、と説く。
 天地自然界には様々な法則がある。
 それを、色々な角度から、科学者が、あるいはまた宗教家が明らかにしてきているが、人間の日常生活に密着して、根源的な利益をもたらすような法則というには、決定打に欠けていた。
 合楽教会に御神縁を頂き、信心をはじめると、私の上に起きてくる様々な出来事が、私を中心にしての神様のお働きであることがまもなく分かってくる。天地には私を改まらせよう、研かせよう、そして真の幸福に至らせようという働きが法則として遍満していることに気づくのである。
 合楽教会で言われる「自然との対決」。
 むろん、それは争いをもって対峙(たいじ)することではない。自然の成行きの中に起きて来る事柄を、神様の働きと信じ、「それによって改まり、これによって研く」という、神様に向かう精神を言うのである。
 「氏子十里の坂を九里半登っても安心してはならぬぞ・・・・・気を緩めると直に後へもどるぞ」とお説き下さってあるように、信心に油断が出た時は、自然との対決の姿勢が、はやすでに崩れたと言っていい。
 信心は日々の改まりが第一。そこをはっきりと心得て、自然との対決において、成行きそのものを一つ一つ大切にしていくところに、改まらせたい研かせたいとの天地の働きに便乗して、有難くみやすく巧まずして十里の坂を登り切った本当の安心の世界に到達できるのである。
 自然との対決!その真剣勝負において敗れをとってはならない。(昭55・2・9)

「はい」の一言は吾、死するも同じこと

《御理解第15節》氏子が真(まこと)から用いるのは神もひれいじゃが、寄進勧化(きしんかんげ)をして氏子を痛めては、神は喜ばぬぞ。

 丁度三十年前、親先生は、門外不出の行をされていた頃があった。歩く足がありながら、門から外へは一歩も出ることを許されずに、終日、ただ御結界に端座されていた。
 黙々として、その行に従われていた六月のある日、小雨の中を二人の子供たちが幼稚園から帰って来た。そして、きょう習ったばかりだという童謡を、親先生に歌ってきかせた。

〽雨ガ降リマス 雨ガ降ル
 遊ビニ行キタシ 傘ハナシ
 紅緒ノカッコノ緒ガキレタ

 親先生が、じっと耳を澄ましてきかれていると、思わず知らず涙がこぼれて来て、しきりと雨の中を歩いてみたい衝動が、悲しいまでに込み上げて来るのを感じられた。
 しばらく、その心を押さえ兼ねておられると、神様から、「それほど外に出たいなら出てもよい」と御声があった。思いがけない御言葉に、親光生は喜び勇んで、すぐに外へ出てみられた。
 家を出たすぐ前に小川かある。その土手にたたずんで久しぶりの外の景色を楽しんでおられると、突然、それまでは何ともなかった足元の地面が崩れ落ち、親先生は、体ごと土砂といっしょに、アッという間に水の中に落とされてしまった。
 びしょぬれになって、ほうほうの体(てい)で家に戻られ、着物を着替えて御神前に座られると、神様から「濡れたいと言うから神がぬらせてやった」とのお諭しであった。
 親先生は、そこから、また改めて門外不出の行に従われ続けられたと言われる。
 親先生を御教導される神様も一心なら、その神様に「はい」と従っていかれる親先生もまた一生懸命であられた。その「はい」と言い続けられた中には、人知れぬ辛抱も忍徒もあったのであろう。
 「はい」ということは、こうしたい、ああしたいという自分の思いや我情我欲を捨ててしまわねば言えることではない。
 今日の合楽教会があるのも、親先生のこの「はい」の一言から生まれたと言われる。
 昨日、修行生の高松和子先生(初代亀有教会長)は、「はい、の一言は、吾、死するも同じこと」と神様からお知らせを頂いた。
 人間氏子を幸せに導かんとされる天地の親神様の願いは、人間の想像もつかないほど大きい。ひとたび信心に打ち込むと、一喜一憂する目先のおかげのことよりも、より真実のことへ、より幸福な世界へ、是が非でも導かんとされる親情を働きに現わしてこられる。それが人間の眼には、時に理不尽な働きに見えたりするものだが、ここにどうでも「はい」という馬鹿ほどに、素直な心が求められるのである。
 「はい」と神様の仰せに従い、その働きに身を任せていくことは、そのまま天地の氏子を幸せにせずにはおかぬ時流(リズム)に乗ることになるのである。
 むろん、人間が人間らしく、生身の人間として切実な願いもまた時には聞いて頂いて、おかげを頂きながら・・・・・・。
 そこに、我情を出しては馬鹿らしい、我欲をしてはもったいないということになる。そういう生き方こそ、氏子が神様を真から用えることになり、天地金乃神様の偉大なヒレイに真実浴していくことになるのである。

 何事も 素直心のひとつにて 雲の上まで のぼる道あり (御神歌)(昭55・3・6)

難儀は神のウインク

《御理解第87節》腹は借り物というが、借り物ではない。万代の宝じゃ。懐妊(かいにん)の時は、神の氏子がわが胎内(たいない)におると思うて大切にせよ。

 懐妊というのは、女性にとって尊い仕事であると同時に、苦労でもあろう。悪阻(ツワリ)に悩まされながら、お腹が段々大きくなって、身体も自由がきかなくなってくる。けれども、その姿を見て「おめでとうございます」とは言っても、「難儀なことですね」という人はいない。大変な苦労だけれども、やがてそこから新しい生命が生まれてくることを思えば、まぶしい程に尊いものに感じられて「おめでとうございます」と言わずにはおれないのである。
 この御理解第八十七節に「懐妊の時は神の氏子が我が胎内におると思うて大切にせよ」とあるが、それは婦人の懐妊中に限ったことではない。私たちの上に起きてくる辛い苦しい、それこそ血の涙の出るような問題に当面しても、今こそ何ものにも変え難い御神徳の元が宿っているのであり、やがてそれが、無事に出産ということになるまで大切にせよ、という御神意が込められている。
 親先主は、先日神様から『難儀は神のウインク』とお知らせを頂かれた。難儀を感じる時には、神様がいわばモーションをかけてある時であり、難儀の真最中という時は、御神徳の元を懐妊しているようなものである。
 だから、そのことが分れば、もうこの苦労が苦労でない、難儀が難儀ではない、いやむしろおめでたい、喜ばしいこととして、神様に御礼を申しあげずにおれないのである。そこに初めて御神徳という「万代までの宝」を生みなすことになるのである。それをきつい、苦しい、この難儀から逃れたいとばかり思うなら、たとえ難儀から逃れられるおかげになっても、ついに流産となってしまって、この世にも残しておけ、あの世にも持っていける御神徳は受けられないことになる。
 そういう例は多い。過去の様々な苦労話を涙ながらに語り、聞くものも又、思わず同情の涙をこぼすといった信心の苦労話をする人は多い。けれども、それは苦労を苦労と終わらせただけであって、しかも、そういう人たちに限って「今の若い者は、自分たちに比べて苦労が足りない。」と苦労を次代の者に強要してしまう事にもなりかねない。
 ここで、どうでも苦労に対するイメージアップがいる。難儀は苦労ではない、御神徳を産み出すおめでたい事であり、神様に御礼を申し上げる事なのだということである。

 「尊い御徳を受け、有難いお蔭を生みなし現わした人たちは、皆この懐妊とも言うべき苦難を大切にされ、真心一杯でうけ切り、大事にした人達です」  親先主教典感話より  (昭55・3・8)

道は教えを踏む他なし

《御理解第65節》日柄(ひがら)方位は見るにおよばぬ。普請(ふしん)作事は、使い勝手のよいのが、よい家相じゃ。よい日柄というは、空に雲のない、ほんぞらぬくい、自分に都合のよい日が、よい日柄じゃ。いかに暦(こよみ)を見て天赦日(てんしゃにち)じゃと言うても、雨風が強うては、今日は不祥(ふしょう)のお天気じゃと言うではないか。日のお照らしなさる日に良い悪いはないと思え。

 迷信打破の宗教を看板に、「使い勝手のよいのが吉い家相ぢゃ・・・日のお照しなさる日に吉い凶いはないと思へ」などの教祖の御教えに基づいて、日柄方位なる迷信を打ち破った金光教。教祖金光大神様は、この広い大天地に墨金をあてるような窮屈な世界から、自由な世界に住みかえさせて頂ける程の手立てをお説き下さったのである。
 ところが、教祖様が神上られて百年、迷信打破の宗教であるはずの金光教の中に、次第々々に様々な、金光教独自の迷信を作り出し、自らの首を締めるような窮屈な生き方を生み出してきた。
 例えば、その一つに手続きがある。
 もし、ここに二軒の八百屋があったとして、一軒は新鮮な野菜がいつでも安く手に入る。もう一軒は、高くてしなびた野菜しか置いていないとするならば、お客は自ずと前者の方へ集まるだろう。
 そのように、助かりたい一心の信者が「守々の力によって神のヒレイが違うのぞ」と教祖様がいわれるような生き生きとして人の助かる働きのある教会に集まるのはごく自然の事ではなかろうか。それを取次者自身の小さな了見で、信者を取ったの取られたの、またそういう信者に対して「道を間違えてはおらぬか」というような言葉で縛ってしまう傾向に現在の金光教があるとするならば、残念なことである。
 この事について親先生は神様より『道という 言葉に迷う事なかれ 道は教えを踏む他なし』と頂いておられる。そして、「人が助かりさえすれば」との教祖の御精神に基づいて、「流れきたって流れ去らせる」ことを信条にされ、教えを求めて来る者は拒まず、また去って行く者は追わずの生きられ方で、日夜お取次の御用をして下さっている。
 また、教会間の手続きということについても、それは、親が子に強要するものとして手続きがあってはならない。どこまでも、子が親を思う情念から自ずと生まれて来るものでなければならぬ。
 例えば親先生は、いざ親教会に何かという時には、出来る限りの真を尽される。そういう親先生へ、以前ある先生が「大坪先生、あなたは親教会へ大変な御用が出来ていますが、どういう心からですか。」と聞かれた事があったが、その時、親先生は答えに困ったと言われる。それ程に、親先生の心の中には、せねばならんからとか、おかげを受けねばならんからというような条件がさらさらあられなかった。
 それどころか、したいと思うても出来なかった信者時代の事を思うて、当然の御用が、こうしてあたり前の事として出来ている事が有難いと言われる。そして、私と親教会との関係だけは、合楽教会のある限り、子々孫々までも伝えて行かねばならないし、どれ程つくしえたとしても利払いにしかすぎないとも仰せられているのである。
 親孝行の念あつくあられた親先生が、親教会を親以上の親と気づかれ、大切に思われた時代を経て、最高の親として天地の親神様に出会われ、一にも神さま、二にも神さま、三にも神さまと、どこまでも神様中心の御姿勢を貫いていかれた。そこから神様もまた、親先生を中心に働いて下さってあるかのような生き生きとした働きが、現在の合楽教会の御広前に現われているのである。

 道という言葉に迷うことなく、迷信打破の宗教、金光教の真価を世に大きく現わして行かねばならない。(昭55・3・2)

詫びれば許してやりたい親心

《御理解第75節》人を殺すというが、心で殺すのが重い罪じゃ。それが神の機感にかなわぬ。目に見えて殺すのは、お上があってそれぞれのお仕置きにあうが、心で殺すのは神が見ておるぞ。

 腹にすえかねることや皮肉に聞こえることを言われると、それに対して一言で相手が二の句がつげられなくなるような切り返しの言葉を探していることがある。
 知らなかった。気付かなかった我が心。信心を頂いて初めて自分の心が見えてくる。自分のように汚いものがあるだろうか。自分のような恐ろしい浅ましい心の持ち主があるだろうか。このように、自分の心の姿に気付くのも、お道の信心の真の教えに心を照らされたからであり、正(まさ)しく今、真の信心の入口に立った証拠だからでもある。
 ところが、ここに大きな信心の落とし穴がある。自分のように浅ましいものはいないと詫びていくうちに、いつの間にか、こんな心ではとてもおかげは頂けまいと、自分で自分の心を傷つけ、果ては殺してしまうことである。こういう詫びの信心は、いかにも謙虚なようだが、その事を神様は『お不動様の手に持っている剣を自分の腹につきつけるようなもの』とおしらせ下さる。その剣は、本来、我が心の鬼を退治する為のものである。ところが、それが、只、我身を責めるだけのことになっては、自殺行為にも等しいと仰せられているのである。
 過去の宗教の教えは、実にこのようにして人を助からない泥沼に陥らせる例が多かった。教えが人を助けるどころか、かえって改まれない我が心を責めさいなませ、墓穴を掘らせる道具になっていたのである。むろん、そこにはおかげの頂けようはずもない。
 金光教の神様は人間氏子の親である。だから人間の持つ、どんな汚い、浅ましい心でも、詫びて、一分ずつでも一厘ずつでも、本気で改まっていこうとするけなげな心には、たとえ失敗しても、それを責められる親神様ではない。むしろ、その本気で改まろうと取組む姿勢に、出来なくても出来たかのようにして、おかげを下さろうといわれる神様である。
 そこのところを、親先生は、『詫びれば許してやりたいのが親心ぢゃ』とお知らせ頂かれた。
 詫びれば許してやりたい親心にすがって、そこから少しでも改まっていこうとする精進。そこに自ずと次第次第に心が改め清められ、いつの間にか我が心を拝みたい程の心が開けてくる。
 天地の親神様は、人間氏子を助けたい御一念の神様とわかったのだから、これからは、お詫びに徹して助かり難い泥沼へとおちこんでいく愚(ぐ)を繰り返してはならない。
 詫びれば許してやりたい親心にすがって、凡夫の人間がその身そのまま、人間らしく助かっていく道をひたすら歩んでいきたいものである。(昭55・8・10)

いつもがお徳のチャンス

《御理解第46節》痛いのが治ったのがありがたいのではない。いつもまめながありがたいのぞ。

 日本人の宗教観念の中には、「ただ苦しい時の神頼み」といって、頼むときだけの神様でよいという観念がある。お道の信奉者の中にも「今は難儀がないから」といって、足が遠のく人をよくみかける。
 果して、難儀問題がなければ信心は進まないのであろうか。信心を苦しい時の神頼みにとどめてしまっていいのであろうか。
 四神様のみ教えに「時の信心より常の信心。時の追肥より常の地肥。時のお百度参りよりはその日参りにおかげを受けるがよいぞ。とかく氏子は反対のことをするから、真のおかげが受けられぬわい。」とあるように、何か特別のことをしなければお徳を受ける修行にならないというのではない。まずは、一日を締めくくって、「痛いなら痛い中に今日も結構な修行をさせて頂きました。壮健なら壮健な中に今日は楽しい修行をさせて頂きました。」という金光教の信心ぶりがスッキリと身について来なければならない。そこから、いつもお徳を頂く(四十六・始終禄)チャンスに恵まれていることが翻然と分かってくる。
 「痛いです、苦しいです、けれども有難いです。神様がこんなにしてまで育てて下さろうとする働きだからと思ったら、涙がこぼれるほど有難いです。」という頂き方はもちろん大切である。けれども、これだけでとどまるなら、『たたかれて喜ぶ変質的な信心』とみられても仕方がない。だから、痛い時も有難いなら、常平生の時はなおさら有難いと分かり、そこから限りなくお徳を受けていく手立てとして、日参・聴教・心行・信行・家業の行に取り組んで、普段の信心(不断の信心)を進めていかねばならない。親先生は、そこのところを『楽な時、姿勢をくずさねば大きくなる』と言われるのである。そういう信心に難儀な時がお徳のチャンスというばかりでなく、平穏無事な時でも、限りなく御神徳を頂いていくことができるのである。お道の信心は「日に日に生きるが信心なり」とみ教え下さっているように、平穏無事な時ほど神様を身近に感じることのできる一日一日とするところに、お道の信心の修行がある。そこに常平生も、その生き具合いをみて、正すところは正さずにおれなくなり、いよいよ実意にならなければおられなくなるのである。
 苦しい時の神頼みといった貧しい宗教観念を打ち破り、平穏無事な中に神様を身近に感じ、日に日に信心の喜びと驚きを感じて、自ずと信心にならざるを得ない金光教の正しい宗教観念を各々の心の中に確立せねばならない。

【注】 日参・聴教・心行・信行・家業の行

 日参とは、一日のうち一度は教会に足を運ぶこと。とはいっても遠隔地の人は、そういうわけにはいかない。そこで、日参したつもりでお初穂を奉るといった、日参的信心に取り組むとき、神様は日参したものとして受けて下さる。この神様は、一足も無駄にされない神様であることを日参的信心によって体験することができる。

 聴教とは、み教えを拝聴すること。み教えを拝聴して、その日一日の心の糧を頂いていくこと。遠隔地の人なら、御理解をテープで拝聴したり、「おかげの泉」の一ページでも読ませて頂いて、一日一日の心の糧にしていくことが、聴教的信心となるのである。

 心行とは、いつも信心の目で見、信心の耳で聞き、信心の心で行うという、いつも神様を心に懸け続けておく行。

 信行とは、お道の信奉者として当然なされねばならない朝夕の御祈念などの神様への奉仕。

 家業の行とは、家業の中にみ教えの実験実証をしていくことを行とすること。生活の為に信心があるのでなく、信心の為に生活があるというところからの家業をもって家業の行という。(昭55・10・24)

君は居候ではないぞ

《御理解第54節》徳のないうちは心配する。神徳を受ければ心配はない。

 子は親に遠慮がない。親もまた子には遠慮がない。お互い、親身だから遠慮なしで心が通う。
 人間を我が氏子と仰せられる親神様を、私どもも我が親として親身に頂き現していくなら、神様もまた親身に思って下さり、信じて下さる。
 親先生は、毎朝三時には目覚められ、そして四時丁度に一分を切ることなく控の間から御神前へ御祈念に出て来られる。御神前に座られるやいなや、拍手を打つ間(ま)もなくすぐに神様との交流が始まる。天地の親神様が心配されることを心配され、神様が願われることを願いとされての神様と親先生が一体となった心中祈念は、真冬でも汗が流れると言われる程である。このように、神様への情念を燃やされる親先生だから、神様を親身に頂く神様第一の信心生活が自ずと出来ていかれる。
 親身とは「慕わしくて慕わしくてたまらぬ」という情念そのもの。そういう情念を燃やすところに、自分のことは放っておいても、神様のことが、親先生のことが、教会のことが、第一という真心も表われて来て、自ずと教えも行じずにおれないことになり、理屈なしに親子のように信じあう、交流の世界が生まれてくる。
 「真実の親ではないか、何が気兼ねがいるものか、君は居候うではないぞ、真実愛を知れ、神の願いを知れ」<親先生手控え覚集より>(昭55・12・1)

変身の妙

《御理解第34節》ここへ参っても、神の言うとおりにする者は少ない。みな、帰ってから自分のよいようにするので、おかげはなし。神の言うことは道に落としてしまい、わが勝手にして、神を恨むような者がある。神の一言は千両の金にもかえられぬ。ありがたく受けて帰れば、みやげは舟にも車にも積めぬほどの神徳がある。心の内を改めることが第一なり。神に一心とは迷いのないことぞ。

 〽朝顔は バカな花だよ 根もない竹に 命までもとからみつく
 この度、従来の大祓詞にかわる神徳賛詞・神前拝詞・霊前拝詞が本部より発表されたが、それを耳にされた途端、親先生はこの都々逸(どどいつ)の文句をおしらせに頂かれた。
 神様は、新しく金光教的な祈念詞ができた以上、今日よりはそれに切り換えるのが真実(ほんとう)。大祓詞にいつまでも固執するのは、根もない竹にからみつくようなもの、と教えられたのである。もちろん、即日、大祓詞は廃止され、新しい祈念詞に切り換えられた。
 振り返って、親先生の過去三十数年問の信心は、いつもこのように本当からより真実(ほんとう)の信心を求めて、これが真実(ほんとう)の事とわかるとただちに改められ、そこには一片の未練やためらいもなかった。
 ある時は『表行(わぎょう・荒行の意)よりは心行(しんぎょう)をせよ』ということの御神意をおしらせに頂かれ、心行一本でいくのが金光大神の真の道とわかられるや否や、過去数十年間続けられてきた表行(わぎょう)は全廃され、心行(しんぎょう)一筋となり、以後、表行(わぎょう)をする者は破門とさえ言われた。そこには打てば響くかのように、参拝者が倍増したのである。
 又ある時、桂松平師の霊神様にお願いされていると、神様より『霊神様にお働き下さいと願うことは、死人を舞台にひっぱり出して、さあ踊れというようなもの』と頂かれた。以後、霊神様への願い事は一切やめ、お礼一筋になられた。
 そこから、神様が次々と霊の世界の実相を明らかに示し教えて下さるようになり、従来より霊の働きと思われて来たことの総てが、実は神様の大いなる御演出(トリック)の中での出来事であったということがわかって来たのである。

 このように、神の一言を千両も万両もの重みをもって頂くからこそできる変身の妙。これが、神様が示される真実(ほんとう)の事とわかったなら、本当からより真実(ほんとう)を求めて、過去の信心をサラリと捨て、神様の示される新しい信心へと飛躍展開していくことこそが、教祖金光大神の信心である。(昭56・1・21)