そこに居るということ

教会長のお国替え以降夕食は少ない人数になりましたが、思えばみんなが食べるとき金ちゃんは教会長に食べさせていました、その後大まかに片付けをしてだいぶ遅れて1人で食卓へ、理由はもう一つ子どもたちが食べきれなかった分で、「満漢全席〜」と言っては主人が「オオ〜〜!」と返したり(おバカ夫婦)、そこには教会長も居てそんな日常でした。家族が増えると悩みも増えますが喜びは更に倍増です、今まで教会長の手足として勤めた日々の積み重ねから、さらに大きく亀有教会の手足となれますよう日々稽古です。

今日は午後から雨になりました、今月はよく降ります、アゲハチョウやクマバチも元気に飛び回り出しました、教会長が嬉しそうに見ていましたね、今週もどうぞよろしくお願いします、ありがとうございました。

“そこに居るということ” への1件の返信

  1. 誰かの手足になるということ。口でいうのは簡単だけど覚悟が必要ですね。金ちゃんは今不思議な感覚があるのではないでしょうか。私も会社を退職後、晃子のサポート佳恵のサポート父のサポートということから、父が亡くなり、その後は晃子と佳恵のサポートになりました。生きることは辛く苦しい、生かされて生きることは嬉しく楽しく有難いと。日々稽古ですね😃今日も1日宜しくお願いします🙇⤵️合掌。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA