実意とは貫くこと

御霊月最後の日、遠方から一本の電話を受けました、信仰熱心で20数年前お子さんを亡くされた方、合楽教会修行生の頃は「異次元の信者さん」のように思ってい人た。亀有教会で様々な信者さんと関わりを頂き、ふとあの方は一見ではわからない思いを抱え続けていらっしゃるのだと、私の見方も平面から少し多面になりました。今日の電話で初めて話して下さったこと、教会長はじめ誰も聞いたことのない日々の取り組み、私はその場でひれ伏したいほど心を揺さぶられました。すぐにおかげとは思えないことは誰しもあります、その中でどのように何に向かい取り組むのか、日々どのくらい神さまへお礼を申せるのか、その方の人離れした取り組みは親として無条件の愛情から数十年貫かれ決して真似はできません、しかし今月の広前貯金に回しておきます。

昨日は御本部から教報が届き、昨年お国替えされた先輩修行生のお子さんが、金光教教師を拝命されたと知りました、困難な中に道を継いで下さる、それはきっと親の信心の真をひたむきに受け継ごうとの表れだと思います、皆その場で頑張っている、今日も一日、今月ひと月ありがとうございました。

“実意とは貫くこと” への1件の返信

  1. やはり、謙虚な心、貫く心が大切だと思います。この道の教えが、間違っていないか、本当に正しい生き方なのか、日々の生活の中で検証すること、そして判断することなのかと。私の場合、晃子を通して、生死のギリギリを二回体験して確信することが出来ました。人が成長する為には、難儀は必要だと思います。そこで初めて神様と向き合えるからです。自らの力では、どうすることも出来ないと悟ったところから、神様の働きと出会うことが出来ます。そこから謙虚な心と貫く心が生まれます。晃子に感謝ですね😃今日も1日宜しくお願いします🙇⤵️合掌。

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