第六感!?

4年ほど前、夏祭りに行った子供が金魚を2匹持ち帰った。そう長く持つまいと思い、エアポンプはもちろん、水草ひとつ準備せず、使わない桶に入れておいた。そして現在に至る。
お玉ですくうのも無理なほど大きく育った彼らは、もはや金魚というよりはフナのような出で立ちで、早朝には餌をせがみ食事を与えると喜びを現すように泳ぎを始め、食事が終わると少しずつ動きが鈍くなり、昼頃には2匹寄り添って桶の底にじっとしている。判で押したような生活ぶりは、なかなか教会向きだなと思う。
ところが今年昼頃から普段にない動きをした日があった。不規則に動き回り落ち着かない様子で、翌朝食事の要求もなく寿命が来たかと思ったが、その日に北海道で地震が起こった(9月6日・北海道胆振東部地震)。その後平常の生活に戻ったが、先月、和歌山で震度4の地震が起こる前日も同じく行動が不規則になった。偶然かもしれない。しかし夜店の金魚だからと言って天地自然の力を感じないとは言えない。
このことがあって以来、「これ以上(体が)大きくなったら入れ物がないよ」と憎まれ口ばかりささやくのはやめた。自分が持たない第六感をこの子たちは育んでいるんだなと、毎朝拝むような気持ちで見る・・・それにしても、いったいどこまで大きくなるのだろう・・・。

落ち葉盛り

教会前の桜並木道、30年ほど前までは川だったそうだが、今では150本の桜が並び、春夏秋冬様々な姿を楽しむことが出来る。区内には5箇所ほど桜の並木があるが、航空写真で見ると教会前はとりわけ緑の具合(夏の盛り)が濃く茂っているように思える。半世紀ほど住んでいるご近所さんによれば、景気の良い時代だったので桜と桜の間隔が短く、ぎっしり植えられているらしい(あくまでご近所さんの主観)。

ということで今、その落ち葉が盛況だ。今年は猛暑と雨の少なさから発育不良の葉が9月頃から落ち始めたが、正常に育った葉は無事色づき、ぱらりぱらりと落ちてきた。風が吹くとまるで雨音のように葉の落ちる音が聞こえる。落葉する秋はもの悲しいイメージだが、桜とお付き合いしていると花の時期よりも紅葉し落ちていく時こそ「千両!!」という声をかけたくなる。見事だな~と見ほれてしまうし、路面に落ちる音がいい。桜については言葉が止まらない。一年中尊敬することが山ほどある。

「桜の花の信心より梅の花の信心をせよ」

教祖様のお言葉ですが、ともかく私は桜が好きです。

霜月です!?

連日雨続きで「一雨ごとに寒くなる」と構えていたら・・・ものすごい日射し。この時期はお広前のブラインドを床に日射しが落ちる角度にしているが、今日は日中あまりの暑さに夏と同じく上に光が抜けるよう変えた。そういえばまだヒーターを出していない。主人は相棒の扇風機を未だ片付けず使っている。

「天地のことは人の力に及びませんでなあ」三代金光様のお言葉の一つに感じ入るばかり。今日いっぱいの日射しに御礼申し上げよう。そういえば天気への不平不足を3日言わない取り組みを師匠の一人が以前奥様と実行されていた。素晴らしいお話だったので私も教会長と真似をしたが、互いに半日も持たなかった。助かりがたい!合掌。

心配する心で・・・

今朝子供が起きてこない、見に行くと「ちょっと遅れて出る」と。朝はリズム良く家事にかかるが、いつも家を出る時間を過ぎてくると、何だか調子が出ない、もしや・・・?と不穏なことを考える自分が顔を出す。毎日学校の開門に合わせ登校する真面目な子、日頃は「そんなに早く行かなくてもいいじゃない」と言う私、にもかかわらず日常と違う流れに心がざわついている。

こういう時こそ日課にしている親教会の初代のお話を頂く。開口一番「心配する心で信心せよ」と教祖様の教えを拝読された。この時点で頭をコツンとされた感覚。内容は三男M三郎先生が頬の(肉腫成長中)大修行で「病院に行けば治してもらえる、それでホッとするだけではもったいないよね。だからといって私も親だからあの姿を見ると当然心配です・・・。心配の質を高めなければならない。神様に祈念の姿勢が・・・」というような話し。『心配の質が』と言われた時、頬を真横に引っ張られるような感覚、痛っ。
いつもより一時間遅れたが元気に家を出た子、朝礼には間に合うだろう。初代のお話を頂き直しながら、教えを嘘にしてはならないなとつくづく反省。頑張っている子供の成り行きを信じよう。「心配する心で信心せよ」神様の教導は日々新鮮だ。

表も裏も

先日の大祭は、講話を親教会のM昭先生の奥様にお願いさせて頂いた。M昭先生は癌を「がん様」と頂き抜き、共存共栄を成就され、6月にお国替えされた。その濃密な「がん様」との関わりを中心にお話し下さり、M昭先生ご夫妻の信心の集大成そのものだった。

「M昭先生もきっとおいでになっているな~」
お広前がまるで記念祭のようなざわめきにあふれ、奥様が語られる『がん様』を頂かれる姿に信者さんも集中して聴き入っていた。

そして後日、九州へ帰られる日、再び参拝して下さった奥様。わずかな時間を惜しむように教会長と懇談される中、中学生になったお孫さんの話へ。小さい頃は「超」が付くほどやんちゃで周囲が眉根をよせるほどだったそうだが、M昭先生と奥様は黙ってその子がすることをすべて受け入れてきたという。そして今では学校の先生から『どのように育てたんですか』と尋ねられるほど、思いやりにあふれた大きな人間へと成長し「僕は僕を受けてくれたじいじい(M昭先生)のような金光教の先生になる」と、夢を語るという。

修行生時代、教会ご家族の側で御用していたが、どのご家族も生きる中心は「神様のお役に立たせて下さい」一本だった。自分はそんな憧れのご家族に近づいているのか・・・我が家族に尋ねたら口ごもりそうなので・・・やめておこう。