潔さ

4月28日亀有教会天地金乃神大祭まであと20日を切りました、祭典の度に願うのは神さまが躍り出てくださるよう、お邪魔になりませんようにという思い。ただ今回は人智を尽くして迎えようとしています、疎遠になっている方にも案内状を送付することにしました、講師の大坪幹三郎先生の「今」に触れて頂きたい、25年の布教活動の中、一筋でも神さまのおかげを実感した方々へ、来る来ないではなく小石程度でも投じたいと。
基本的に足が遠のいた方を追いかけることはしない、金光教の姿勢です。布教25年の間に縁あって住所録にとどめてきた方々を、案内状を以て整理しようと思います。

 

 

 

生き方の勉強

人生100年時代、どう生きるか?
今日は一人暮らしをしている80代女性がお参りになった、毎日とても忙しい人。元々都内に長くお務めになっていたので電車で出かけることは生活の一部、10数年前に退職後は生活を楽しむお手本のような日々を過ごされている。健康のために二駅分歩き食事はきっちり調理して出来合のものは買わない、家では手芸やパソコン活動に余念なく、ボーリングや絵画教室、たまに観劇や旅行などでスケジュールはいっぱいだ。その方向指示が「成り行きを尊ぶ」だ、リズムはある?バランスはいいかな?気力体力・財力の面で不自然さはないか、お届けをして取り組まれている。だから若い、いつも心が神さまに向いている人は初々しい。
夕方は電話お届け専門の人、丈夫な体や優しい家族に恵まれ裕福だ。病院や習い事にはお金を厭わないが、車の修理や家の修理などの職人さんには出し渋る、神さまにも不平が出る、いよいよ心は老齢化している。
おかげは和賀心にある、このこと一つが難しい、なんでかなぁ。

日々がさら

統一地方選投票日、今まさに開票の真っ只中にあり、携わる方々の心中如何ばかりかと・・・。桜は花吹雪おさまり小さな葉も見え始めた、どんな結果が出ようとも新しい門出には違いない、胸を張って新しい日を迎えて頂きたい。
明日は区内の小中学校始業式、亀有教会家族も再出発を迎える、少し緊張、そして御礼!

桜・・・です

夜、桜の下を歩く、ゆっくりゆっくり。風も同じくらいの速度、今日は緩やかで優しい。
23年前教会購入時の写真を見ると、まるで子供のように若々しい桜並木、人の胴回りと変わらないくらい?今は大人でもすっぽり隠れられそうなどっしりとした太さになっている。成長が早いソメイヨシノならではともいえるが、この並木の下を通り生活している人々の生業の様子を栄養にしたのではないかとファンタジーめいたことを考える。
満開になった桜はまんべんなく枝に花を付けている、その付き方は花の集合体がポンポンと間隔良く施されているようで面白い、重たそうにしなっている。昨日学校での面談の帰り、桜吹雪の中子供が「幻想的だね」とつぶやいた。お日さまが高い時間で「幻想」という表現がふさわしいのかどうかと思う私は野暮で、きっと彼の中でこの日の桜は一生忘れがたい光景として残るのだと思う。
そんな忘れがたい想い出を刻みつける、桜は記憶のカメラマンのようだ。

桜舞う中に

桜舞吹雪く本日、教会の子供1名学校を変更する手続きを終えた、月曜日より地元学校に編入する。子供は毎日休まず学校に行き、学業だけではなく部活動クラスメイトとの関係、どんな大変な時もトラブルに遭遇しても頑張っていた。このままでも良いかもしれない、しかし行動する時は今しかないとお働きを頂き、春休み中一気に退学編入の手続きとなった。
今日編入先の校長先生方と面談があり「こちらでも嫌なことはあると思うよ、大丈夫かな」と言われ子供は「はい」と返事をした、立派だった。親は親ばかでいいのだと思う、神さまから預かりし子が何処で手足を思い切り伸ばし笑い悩み学べるか、甲斐のある環境をひたすら探し見つけ出す係なのだ、その葛藤は根肥やしにすればいい。親ばかは高度なのだ、私が尊敬する方はみなそろって親ばかだ。
下の子もあと5年もすれば自分で成り行きを探し進み出すだろう、残されたわずかな時間だ、みっともなくじたばたさせて頂こう、神さまの願いの子を預かっているのだから。