大祭翌日は

ただひたすらお供え物の整理、気づかぬ間に野菜や果物がお供えに上がっているので、この暑さをどう乗り切るか考えながら取り組むのみ。今回は果物が多いので野菜室をまず整理しようと冷凍できる野菜を切ったり晒したりしていた。お昼頃お参りが2人、真心いっぱいのお供え物を両手に抱えきれないほどお持ちになって・・・、お届けの後、久しぶりなこともありしばらく皆で歓談、信者さんも口にされるが信心の縁は親戚とはまた違うし友人でもないけれど、本当に特別な関わりだと実感する。
別れを惜しみつつお見送りして・・・さあどれをどの調理用に切るか考えつつ、その間にトマトは煮詰めましょうなどとブツブツ言いながら手を動かす、御祈念や教会長のお手洗いと水分補給などを挟みつつ、みっちり4時間ほど、始末したお野菜をピッチリとジップロックに入れ、順々に冷凍庫へ詰めて終わり。空いた野菜室には熟れそうな果物から毎日少しずつ入れていこう、これでしばらく教会長のおやつは果物三昧だ、身体にもいいし水分も取れる、コップでゴクゴク飲むことが大変なので好きな果物があるとほっとする。
何はともあれ勿体無くも畏れ多い、亀有教会での毎日です。今日も一日ありがとうございました!。

マントルのように

本日13時、亀有教会広前にて、高松順子教会長祭主のもと夏の平和祈願大祭がしめやかに仕えられました。皆の心が高揚したのは「神人の栄光」斉唱の時、中学1年の信者さんのお嬢様が伴奏に立たれた瞬間でした、今まで聞き慣れたこの曲でこれほど胸が震えたことはありません。金光教独自の典楽がこの小さな広前でお供えになるようになり5年、そして今度は転がり込んだ電子ピアノの購入により、そこに金光教の合唱曲の引き手がすでにいたというこの奇跡、それは成り行きの軌跡で人の思考など一切入る余地のないものでした。祭典後はお広前中でそれぞれの信心を発露され共励の輪が広がり、その熱量はまるでマントルの上昇のようだと眩しいように映りました。
とはいえ教会ではかつてないことが・・・、お祭りにつきもののお鏡の注文をしそびれていたという・・・、しかもつい先日大鏡(姿見)のお供えがあったというオチ、楕円の大鏡だがしっかり自分の姿を見て磨きなさい、道は半ばですよと、神前のことは主人に全部任せっぱなしな部分を、自分も責任を持って確認くらいはさせて頂きなさいと指摘された気がします、子供たちの成長も一つの成り行き。今日も一日ありがとうございました、畏れ入るばかりです。

いよいよ明日です

夏の大祭や行事の時、頭を抱えるのは冷房の効きが追いつかないこと、お広前が20人以上になると二台の冷房をフル回転させても、熱気に追いつくことは難しい。
明日のお天気のお繰り合わせ、お広前の空調においても神さまのおかげを頂かせてください、お参りされる方々の道中無事安全、本当に願うことばかりです。今日も一日ありがとうございました、明日を迎えることができますように。

夏といえば

夏の甲子園での高校野球は普段野球に関心がなくてもつい目を向ける、主人は野球大好きで一緒にいるうちに、いろいろ野球について見方が分かるようになった、ただしやはり興味がある人は覚えが早く下の子はすでに好きな高校のチームがあったりする、プロ野球にもいつのまにか詳しい。
そして花火大会、これは主人の父が大切にしていて下の子が毎年一緒に観覧に行く、お義母さんの美味しい料理も楽しみなようで、うらやましい。
日本人として胸に刻むべきは原爆の日と終戦の日、日本全国焦土と化したのは数年通しての凄まじい空襲であることも、この月は思い起こさせる。広島の土砂災害や日航機の墜落、本当にいろんな鎮魂を共有する月だと改めて思う。
いよいよ明後日は平和祈願大祭、これからも夏の球児が思い切り駆け回る世でありますように、花火が美しく夜空を彩りますように。どうぞ神さま・・・!。
その第一歩は和賀心求道、今日も一日ありがとうございました。

夏の大祭

三日後に迫る夏の平和祈願祭、主人はあれこれ準備で忙しい、私はといえば大祭前は面白いことにお野菜類が尽きてくるので、今あるもので何ができるか頭をひねっている。とはいえ漬物にしたキュウリや大事に使うジャガイモ玉ねぎ、冷凍にして保存しているかぼちゃに貴重な乾物類はおかげである、これらを中心にこの1週間は頑張っている。
拝詞に総氏子身上安全世界真の平和とある、とても大きな願い…ただしこの願いの起点になるのは「自分」、世界はまず個からなので、和賀心が軸にならないとその願いに向けて何も始まらない。そしてわが心を治めることは結構むつかしい、だから日参聴教というトレーニングがずーっと必要なのだとわかってくる。
金光教は衰退しているが、願うところ取り組むところは百年前よりも教祖さまの教えに近づいている、これからが始まりだ。
今日も一日ありがとうございました。