線香花火

去年の夏にお供えになった国産手作りの線香花火、もったいなくてしまったまま1年が過ぎ、下の子が「そろそろやろう」と持ちかけてきたのでそう言えばそうねと準備した。
長い時間をかけて花のような火を放ちながら一本の細い線香花火が燃えていく、こんなに厳かな花火は私も初めてだった、もちろん子供もかつてない経験、じっと弾ける花火の先端を見つめていた、二種類20本ほど入っていたが全部を使い切ることはためらわれた。
片付けを終えると主人がパソコンのニュースを開いて「これ見て」というので記事を読むと、広島の大雨による土砂災害から5年が経ち、子供達が線香花火で被害者を弔う写真付きのものだった。一年越しの線香花火を燃やした日、時を同じくして広島での追悼線香花火、意識してはいなかったが災害復興を願い続けている亀有教会、神さまが線香を手向けさせて下さったのだと畏れいるばかりです。御霊さまがた、被災者の助かりを祈念申し上げます。

雨〜

1日の中で青空と曇り空と激しい雨が繰り返す、なんだか忙しい1日でした、とは言え私は教会にいるだけで全然忙しくないのすけど、
こういう天気の中に自転車参拝の方が!!雨降りに参拝を見合わせようかと思った直後止んだそうです、30分の道中も降り出すことなくおかげを見せて頂かれ、金光教の神さまは氏子の真からの願いに応えてくださるなと、爽やかな気持ちで皆お礼申し上げました、きっと帰りもおかげの中に道を進まれたことでしょう。
今日は大きなスイカのお供え物も届きました、スイカは暑いほど甘い、酷暑を難儀と置き換えるなら、それを修行の材料としていけば、自分も丸いみんなが好きな和賀心に近づけるはず。毎日修行の材料はさまざまです、だから神さまに心を向けること、教えを頂くことがまずは大切なことだと今更ながら実感します、今日も一日ありがとうございました。

※楽ママさまコメント頂き恐縮です(~_~;)

感話発表

今年は金光教立教160年のお年柄、亀有教会では月4回お仕えする月例祭が土日祝日に当たる場合、信者さんに感話発表して頂く取り組みを打ち立てている。年代性別問わず発表者の培ってこられた信心に、刺激を受けたり反省したりと、得難いものとなっている。
10月のご大祭本部参拝が近づく中に、あと3回分の感話発表の手が上がらなかったが1週間の間に三名の方が舞台に上がりますと決意された、それぞれに神さまから肩を叩かれてのことで畏れ多さともったいなさでいっぱいです。
私はこのブログを日記がわりにつけています、子供の頃から日記を書くことが好きでしたが書いたものを半年後や1年後に見返すと、自分が馬鹿馬鹿しく結局捨ててしまうその繰り返しで、大人になっても卒業アルバムや写真類も何かおぞましく処分しました。信者さんのお話を聞くたびに程遠いものを感じますが、後に続く縁のある人たちが堂々と自分が頂く神さまを語れるよう願っています。ブログは消しようがないので私なりの覚悟で続けています、今日も一日ありがとうございました。

ちょっと調子が外れてもいいか

ここのところ気持ちは引きこもり気味、20代の後半はエンジン全開と電池切れがジェットコースターのように繰り返して訪れ、合楽教会での修行も途中で諦め実家にこもった。主人と結婚して辛抱強く私の心の調子に合わせてくださることで、だいぶ浮き沈みは小さくなったが、今でもちょっと辛くなる時があり、そんな時はボーッとさせて頂く。それでも毎日のさせて頂くことは途絶えることがなくなった、台所で包丁を持つことが怖かった時期もあったが、そういう激しい濁流のようなものからは這い上がることができた、主人と子供達には本当に迷惑をかけてばかりで申し訳なく思っている。
今日は月例祭でした、太陽をいっぱい浴びて育ったような信者さんのお話を聞かせていただき・・・まぶしいな~、以前なら自己嫌悪に入っていくパターン、今は自分を見極め比較などという無駄なことはやめました。まだ信心と出会って30年、私の和賀心への道はようやくこれからです。今日も一日ありがとうございました。

千と千尋

亀有教会への御用入りが決まり気が重い日々を送っていたころ、大好きな宮崎駿の新しい映画が上映されるというので、最後の思い出のつもりで主人と倉敷の映画館に行ったのが18年前の8月のこと。当時1日1日と刑を受ける日を待つような心境で、主人がお休みの日はなるべくどこかに出かけて思い出を作ろうとしていた、それほど亀有教会で始まる日々に戦々恐々としていた。
昨日地上波でその映画が放送された、今では子供たちも好んで見る映画だ、未だ私もつい手を止めて画面を見てしまう。初めてスクリーンで見た時は気持ちが塞いでいたこともあり、本筋よりもサブキャラの哀れさばかりが目についたが、昨日ちょいちょい見ていると主人公の必死な様子や成長に素直に感動した、この世ならぬ世界での物語に人間の欲や日本人としての礼節の大切さがちりばめられていて、やっぱり宮崎アニメは面白いと半世紀近く生きてもそう感じた。
18年という時の中で生かされるだけ生かされ、分かったのは散々神さまへ手間をかけているということ、素晴らしい縁の中にあり続けているということ。これから亀有教会でどうご恩をお返ししていけるのかわからないが、こうやって見える世界は変わっていくのだろう。
今日も一日ありがとうございました、合掌。