月末御礼!

今朝の教祖さまみ教え
御理解第78節 「神の機感にかのうた氏子が少ない。身代と人間と達者とがそろうて三代続いたら家柄人筋となって、これが神の機感にかのうたのじゃ。神の機感にかなわぬと、身代もあり力もあるが、まめにない。まめで賢うても身代をみたす(尽くす)ことがあり。また大切な者が死んで、身代を残して子孫をきらしてしまう。神のおかげを知らぬから、互い違いになってくる。信心して神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き身代もでき、一年まさり代まさりのおかげを受けることができるぞ。」

年々月日の流れが早く感じる、もう2月も終わりなの!?とため息が出そうです。
今年は元号が変わる大節の年、金光教は立教160年、合楽教会大坪総一郎初代教会長帰幽25年、そしてこの亀有に金光教の広前が開かれて25年の催しを頂いております。教祖さまの残された信心を、必ずや大坪総一郎の信心をもって解明していこうと心意気は高く、現実は地に横たわるわけです。まだまだ160年の金光教はこれからの宗教です。宝くじが当たるわけでもない、絶対受験に合格するわけでもない、病気が都合良く治るわけでもない、ましてや死を伸ばせるわけではなく。
宗教というものは何のためにあるのか、今朝の御理解78節のように人の根本的な助かりを説いてくださる金光教の意義をしっかりと確認して、歩みを進めて行きたいです。そんなことを刻んで頂いた2月でした、ありがとうございました。

教えを行じたい

今朝の教祖さまみ教え
御理解第98節 「心は神信心の定規じゃによって、お伺いする時には、とりわけ平気でなければならぬ。落ち着いて静かに願え。」

「落ち着いて静かに願え」これがとても苦手な私、信者になった30年前からお届け下手のまま今に至ります。合楽教会修行生時代も先輩を見習い1日のお願いや御礼をしようと決めますが、御結界の先生を仰いでいると、だんだん自分がアリのように小さくなった気がして、足を進めることができないままお広前を出たことは多々あります。
自分を良く見せたいのかもしれない、そのハードルを越えなければといざ御結界で赤裸々にお届けしたこともありましたが、その場合すでに平気ではなく、舞い上がって先生のお言葉が真っ白になって頭に残らず仕舞い、と言う有様でした。
教祖さまの残されたみ教えの100分の1、歳を重ねてきたからこそ身に付けたいです!

ふきのとう

今朝の教祖さまみ教え
御理解第33節「 お供え物とおかげは、つきものではないぞ。」

ふきのとうがどっさりお供えになりました、この時期だけの物が神様に上がるようになり10年ほどでしょうか、初めは馴染みがないのでどうすればよいか悩みましたが、一年一年間柄も近づいたようで、今年もはまって取り組みました。
土がついた外側を取りたっぷりのお水につけてあくを抜き、さらに水を2回ほど換えます。大きな鍋にお湯を充分沸かしてお塩を入れ、そこにふきのとうを投入、2、3分ほどでザルにあげ冷たいお水で一気に冷やし、そのままアク抜き。その後ザックザックと細かく刻みフライパンでから炒りし、水気が飛んだところに砂糖少々みりん味噌を合わせ馴染ませたら、油を適量注ぎ滑らかに。その頃にはお広前中がふきのとうの香りでいっぱいになります、ツヤツヤしてきたら出来上がり、冷めてから瓶に移します、トータル結構時間はかかります。
春のお野菜は殊の外、手間がかかります、若い頃は要領も得ず正直なところ春のお野菜に戦々恐々としていました、ここ数年はようやくお供えされた方の真心を生かすようにお願いしながら取り組めるようになりました、何事も年の功は必要だなぁとも感じています。
お供え物とおかげはつきものではない、されど必死のお供え物を行使する立場として、こちらも実意の使い方を磨かねばと学びの日々は続きます。

昨日、そして今日

今朝の教祖さまみ教え
御理解第41節「信心は話を聞くだけが能でない。わが心からも練り出すがよい。」

今日はお祭りの後片付けに主人とそれぞれ勤しみ、教会長はお疲れがたまると体調を崩しやすいので車椅子を倒し休んでいただきました。天気予報では日中、雨予報が出ていましたが、日が射し続けたので白衣や足袋もしっかり乾かせました。降る照るに不平を言うのはもってのほかですが、お祭りの翌日はお日様がいつも以上にありがたいのが本音です。
夕方ポストに区からのお知らせが一枚、「亀有さくら通り整備計画説明会のお知らせ」です。昨年区の方が桜の木を調査していまいましたが、30年以上経ち腐朽や衰弱が見られるということ、説明会は3月なので是非参加したいと思います、このホームページを作っていく中で、桜と共にここでの積み重ねがあったことを振り返ることができ、そしてこのお知らせが来たことに1つの流れを感じています。同時にちょっとショックと言いますか、この並木のたもとで17年以上経ち励まされるばかりでしたので、どうなっていくのか心構えを作らせて頂きます。
変わったことがあるのがおかげ、なんでも心作りの材料にしたいです。

生きた広前

今朝の教祖さまみ教え
御理解第百節「めでためでたの若松様よ枝も栄える葉も茂るというではないか。金光大神は子孫繁盛家繁盛の道を教えるのじゃ。」

最近はめっきり教会行事に参加拒否の下の子は、準備と片付けにはやる気で参加します。教会育ちなりに子供2人、いろいろ悩みもあるのでしょう、それでも休まず学校に行き、元気に帰って来ることに頭が下がる思いです。自分の十代の頃は人生で1番横柄な時代で、穴に埋めて消去したい程です。
過去は消せませんが未来は変えられます、今日の布教功労者報徳祭では御礼だけではなく、徳に報いますという誓いを立てさせていただきました。すぐに何かが変化するわけではないです、しかし必ず10年単位で見た時、御理解第百節に少しずつ近づいて行くのだと思います。
ウサギとカメならば金光教はまさしく亀です。