報徳祭前日

今朝の教祖さまみ教え
御神訓「一、 体(たい)を作れ 何事も体(たい)がもとなり」

朝から参拝が続いたお広前には、2月と思えないような陽射しが入りとても暖かでした。徳に報いる誓いを立てられるよう、明日を楽しみに迎えたいと思います。
桜の木がなんだか騒がしくなってきました、窓の外の景色も日々変化してこれもまた楽しみです。

日々新鮮

今朝の教祖さまみ教え
御理解第84節「おごりがましいことをすな。ものは、細うても長う続かねば繁盛でないぞ。細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな。」

明後日の布教功労者報徳祭に使う玉串を、主人が受け取りに行きました。向かう先は近所のお花屋さん、生きの良い榊(ヒサカキです)が入ります。御神前に供えるお花もこちらで揃えます。お店のご主人がお花の先生なので、花器の大きさとお祭りの主旨を伝えると見事に想像以上のお花を作ってくださいます、ご夫婦で質の良いお花を採算度外視で扱われています。

主人が帰り、玉串のバケツを覗くとなんとお花の束も発見、まさか気を利かせてかと思いましたが・・・「もしかしておまけしてもらったの」と聞くと、そうなんだということ。お店の方といろいろ会話が弾み、気がつけばお花を持たされていたということでした。なんということ、桃の花や春色のカーネーション、かわいいカラーなど小さい束ですが、これをお祭りにお供えしなさいというお働きなのだと感じます。徳に報いたいと誓いを立てるお祭りだと昨日教えて頂き、今日はその志に神様が花を添えてくださいました、畏れ入ります。

人が何をするではなく、神様が働きやすいよう心を動かす稽古、細くても長く続きますように、今日の成り行きでした。

 

報いるとの誓い

今朝の教祖さまみ教え
御神訓「一、 真にありがたいしと思う心、すぐにみかげのはじめなり。」

次の日曜日は布教功労者報徳祭、今日は信者さんからのLINEにハッと気付かされることがありました。ご主人に「報徳祭はどういう意味のお祭りなの」と聞かれたその方は、「金光教のために尽力された方々に感謝する日であり、今から頑張ってこの道を残して行く誓いのお祭り」と、つい口をついて出たそうです。これぞまさに神語り!
布教功労者感謝祭ではなく「報徳祭」、徳に報いると誓いを立てるのだと、ストンと心に入りました。沢山の布教功労者の方々は、きっとこれを待っておられるのだとも思います。今まで感謝ばかりに心が向いていた気がします。
とは言え徳に報いるなんて私の内容では難しいですが、亀有教会で日々お使い回し頂く根っこは合楽教会への報謝一筋であります。和賀心へ向かって(私なりに)。
今日もたくさんの方に元気を頂きました!合掌

実意を身に付けたい

今朝の教祖さまみ教え
御理解第63節「一粒万倍といおうが。一人がおかげを受けたので千人も万人もおかげを受けるようになるから、よい手本になるような信心をせよ。」

次の日曜日は布教功労者報徳祭、今日は準備の1つとして祭典を仕える教会長と主人の散髪に取り組みました。ど素人の自分がよくもまあ散髪などさせて頂けるものだと、毎回必死になって向かいますので、無事終わるとほっとします。
祭典前の週は当日お参りできない方が、前もって神さまへご挨拶に参拝されることがあります。また、お参りに行けるよう家族の都合に万事お繰り合わせを電話やメールで改めてお願いをなさいます。こういう実意な方々の信心実践から学ぶことばかりです。
小学3・4年の頃、父が縁を頂いて金光教が家にやって来ました。数年経っても特に家庭の中はなんの変化もなく、変わらず、だらしのない環境で育ちました。それでも時折、付いて行く共励会のお家はいつも夢の中のお城ように磨き上げられ、家のご主人や奥様は「神様はこういう笑顔なのかな」と思うように優しげで、同じ空間にいるだけで気分が良くなりました。家に帰れば現実は何も変わらず、口の中に砂が入っているような感覚に陥りました。
あれから長い年月が経ち、金光教に救われた私も助かりの一粒に・・・成れるほどには育っていませんが、今生き生きとした運命に生かされていることに、なにもかもお礼しかありません。

三浦大根サマ

今朝の教祖さまみ教え
御理解第49節 「信心は相縁機縁」

今日は三浦大根のお味噌汁を作りました。大迫力の大きさでサラダやお漬物、煮物と毎日様々に楽しませて頂きました。今までも様々な形や色の大根がお供えになりましたが、三浦大根は食感と味が他のものとかけ離れているなと思います。子供も味噌汁を食べて具材はカブか白菜の白い部分だと思ったそうで、個性的な形と独特の食感に一つのブランドが確立されているわけが少しわかった気がします。
合楽教会の先輩修行生も様々な個性の持ち主ばかりでした。アクが強いとも言えますが、それぞれに神さまのお役に立ちたい、大坪総一郎初代合楽教会長のお役に立ちたいと熱願し、競うように磨き合っておられました。私はそんな先輩方の後にしがみつき引っ張って頂きました。心のキレイな人ばかりでした。ブラジルでアメリカで、そして韓国 、日本の様々な地で修行生の頃と変わらぬ熱き想いを抱き、先輩方が布教の庭に立たれています。それぞれの味わいを出しながら。私も亀有で大先輩の教会長が存分に御用に打ち込むことが出来るよう、心配りと手間を惜しまないことを大切にしなければ~と、私なりに三浦大根から教えられました。