春を迎える前に

今朝の教祖さまみ教え
御理解第77節「人の悪いことを、よう言う者がある。そこにもしおったら、なるたけ逃げよ。陰で人を助けよ。」

毎晩、夜ご祈念の後に玄関の戸締りをします。ひととき外に出て夜空を見上げ一呼吸するのが楽しみです。星の話になると尽きませんので街の灯りについて、この季節限定で玄関先の通りから見える街灯があります。亀有駅前のイトーヨーカドーです!なぜびっくりマークかと言いますと、葛飾区は勾配が全く無いので地上に立つとその周りの建物しか見えません。しかも目の前にある桜並木は、すぐ近くの学校やマンションも隠し、しばしば道を尋ねられることも・・・。なのに駅前の建物が見えるのはなぜか?桜の葉がないからです。
とは言え昼間は探すことが難しいのです。灯りが灯ることで姿が浮かび上がることで目に留めることができるのです。初めて気がついた時には相当の驚きでした。季節ごとの景色、小さな教会周辺の移り変わりもなかなか発見多しです。

みんなでワイワイ

今朝の教祖さまみ教え 御理解第79節
 「商売をするなら、買い場、売り場というて、もとをしこむ所と売り先とをだいじにせよ。人が口銭を十銭かけるものなら八銭かけよ。目先は二銭損のようでも、安うすれば数が売れるから、やはりその方が得じゃ。体はちびるものでないから働くがよい。」

今日は午後1時からの日曜勢ご祈念の後、来週の「布教功労者報徳祭」に向けて信者さんと共々に神前・広前洒掃に励みました。小さな教会なので御神具を抱えて数人動くだけで大混雑している光景になります。それはそれでとても活気にあふれて、本当にありがたいお広前だなと、こちらもジワッとくるものがあります。
今年は金光教が立教して160年です。金光教には教祖さま直筆の日記のようなものがあり、一昨年にもメモ帳のようなものが数冊出てきたそうです。また直接教えを頂いて助かった方々へ、聞き取り調査したものもたくさんあります(各地を廻った100年前の先生方に感謝です)。160年というのは長い時間ですが、宗教としてはまだまだ助走期間なのではないかと思うのです。やっと金光教の真骨頂が現れてきているのが現在で、これからが楽しみです・・・と個人的な見方ですが・・・。
このお広前が御本部の金光さまの祈りを日々頂き、そして教祖さまの広前に現れたお働きが途切れることなく綿々と連なっていきますように日々、この広前に額ずき思うばかりです。

今朝のこと

今朝の教祖さまみ教え 御神訓
「一、神はわが本体の親ぞ。信心は親に孝行するも同じこと。」

土曜日は資源回収の日、近所4軒で集積所を使用していて、私は大体6時30分ごろ持って行きます。少し早いですが、プラスチックと燃やせるものの回収日はネットをかぶせる係なので、遅れないように気をつけています。今朝いつもの時間に行くとすでに資源が置いてあり、しかも丁寧にまとめてありました。「あれっどちらの家?」と思いましたが、そういえば二軒先の中古住宅に入られた方がいることに気がつき、丁寧に出された資源に朝から心洗われる気持ちでした。他のご近所さんも皆、時間を守り几帳面にネットをかぶせてくださいますが、新しく近所に来られた方もそのような様子なので奇跡すら感じました。大げさのようですが荒れている集積所は多いです・・・。
週に4回、隔週で5回の集積所利用、日々の暮らしの中で出る不用品、このことも私にとって大切な心行を育てる材料です。

今日の真心

今朝の教祖さまみ教え 御理解第67節
「何事もくぎづけではない。信心をめいめいにしておらねば長う続かぬ。」

毎日神さまのお働きの中に生きている実感、たとえそれがささやかなものでも。
今日は教会長のお楽しみ、週に一度の巡回入浴日でした。朝の9時に業者さんが来られ、準備から終わるまで1時間弱ほど、ヘルパーさん2名と看護師さん1名の体制で、とても丁寧に気持ち良くお仕事をして下さいます、ものすごい精神力だと思います。
お風呂に入るといつもより体力を使うので、お昼はお茶菓子程度でいいと言う教会長が、軽い食事を摂ってくださいます。今日はなにを準備しようかとお台所に立つと同時にお参りの方が!「こんにちは」とご挨拶に出ると即座に私へ袋を手渡されました。中には「とり五目おにぎり」が!だいぶ前にお嫁さんが買ってきた7/11(セ◯◯イ◯◯ン)のこのおにぎりがとても美味しかったので、いつか教会にお供えしたいと思っていたそうです。
実は教会長、テレビのCMで「今ならおにぎり100円!!」を目にする度に「あら、100円だって!」と反応するほどコンビニおにぎりに憧れており、絶対買ってこない私も心底驚き嬉しく、すぐに頂いてもらいました。お供えされた信者さんもとても喜ばれ、教会長もおにぎりの美味しさもさることながら、パラパラと小雪の舞う中、96歳の方が真心いっぱいでお参りされたことに大変感動されていました。
ささやかな出来事ですが、教会の営みがこのように貫かれていることは、価値あるものだなと感じています。ありがたく もったいなく おそれおおい日々でありたいです。

今昔

今朝の教祖さまみ教え 御理解第89節
「此方の道は傘一本で開くことができる。」

合楽教会の修行生時代、親先生の朝のお話の中で親奥様を例えにお話をされることが度々ありました。振り返ってみて今の私にぴったりだなという例え話は、毎日のお弁当や朝ごはんに悩まされる親奥様お姿です。親先生いわく「おかずを考えるほどの執念で『御神徳をいただきたいです』と言う願いを持ったら信心も早いよね」と・・・、確かそう言う内容でした。まだ気ままな独身だった私は「そうだ!私も御用に追われず、御神徳を頂くことを目指すぞ!」と、熱を高めていました。
あれから20年以上の年月が経ちました。まさに今、毎日のお弁当のことと家族の食事の内容を必死で考えている姿に苦笑いしています。ただ修行生時代に教えをシャワーのように浴び続けた時間は本当に宝物です。今ではタブレットなどで、どこででもみ教えを聞けますが、夜の暗いお広前でスタンドを点け、何回も御理解を頂いてはノートに書いてという、本当に貴重な信仰体験だったと思います。
親奥様や他の奥様方の御修行も今感じています。いつも導いてくださることに尽きぬ感謝の想い、これが私にとって安心の傘というところかも知れません。