取り乱さないこと

今年の春は亀有教会布教25年、秋は金光教立教160年。11月に合楽教会初代教会長大坪総一郎大人25年が控え、改元もあり特別なお年柄を迎えている。
先月末入院された信者さんから病気の詳細についてお届けがあり「神様のお働きに感謝しかありません」「ありがとうございます」と締めくくられていた。ただ今治療真っ只中、心折れるどころか溢れるようなお礼を神さまに申される人、私達が亀有教会に遣わされたころから今まで決して表には立たれないが、人として大切なあり方をいつも自然体で教えてくださった。どうしてもお見舞いに行きたいと主人に相談したら賛成してくれたが、その直後お参りされた方が「90歳の父親が来週退院します」とお届けなさるなど、成り行きから違うよと言われているようで、気持ちを抑えた。すると行く予定にしていた日が子供の期末試験開始の日でお昼には帰宅した、やはり神さまは待てと言われてると気がついたが、どうしてもその方を見舞いたい気持ちを通して「もっと大きくなりなさい祈りなさい」と願われるものを感じている。
今年の夏期信行は、神さまが特別に祈る稽古をつけてくださる日々です、今日もありがとうございました。

緊張する

私の教会での主な御用は教会長の日中の生活全般のお手伝い、お供え物の管理や生活の面一切といったところか、近所の方との交流もできる限り大切にしている。
最近は子供が大きくなり時間が取れるので、主人が担当している御用のお手伝いをさせていただくようになった、「御新米」の外紙を折らせて頂くこと。金光教独特の御神米は各教会で準備しているが、亀有教会でも主人が身支度整えて心を込めて一体一体作らせていただいている、私には敷居が高い御用だと敬遠したいが、いつまでもそういうわけにはいかないので、腹を決めた。
顔と手を洗い口をゆすぎ、覆面をして教えられた手順に折っていく、初めは祈りを込めていたが、なんとなくそれよりも無心に余計な思いを紙に乗せないよう折り進めている。
この御用をいただいてから普段の御用にもいい影響がある、緊張感を持つことの大切さに気がついた、少しマンネリ化していた日々の御用が違って見えてくる。こんなに小さな教会だが心を見つめ教えを行じる働きに満ちている、生きた神を信心せよと教えていただくが、こういうこともそうなのかなと感じています、ありがとうございました。

無償の優しさ

スクールゾーンの立て看板、通称「うま」が車にひかれ重傷だったところを、誰かが修理してくださり、まるで絵本の物語のようだと感動していたが、しかし一体誰?と思っていた。
そして気がついた、ほぼ毎朝スクールゾーンのひと区間をお掃除しているおじさん!、看板を出したり片付けていたら「毎日大変だね」と声をかけて頂く、おそらくあの人だ。
道を挟んで向かい側の集合住宅の方で、植木の剪定やごみ収集所の美観にいつも心を配っている働き者、雨の合間に草取りに勤しむ姿を発見!駆け寄り「スクールゾーンの看板、直してくださったのでは・・・?」とお聞きすると「ちょちょっとね、はっはっは」と笑いながら、まあいいからといった具合で作業続行、思わず手を合わせて「ありがとうございました!」と頭を下げてお礼申した。このおじさんも地域の子供たちの安全を祈っているからこそ、痛々しい「うま」を放っておけなかったのなと思う。
人は人の中で生きているんだと実感する出来事だった、そしてこうやって教会で生活しながらも、こんなに麗しい心が使えるだろうかと自問自答させられた。神さま、この亀有の地がますます好きになりました、ありがとうございました!。

髪を切る

今日は子供の髪を切りました、まさにヘルメットを着用しているようで伸び放題、でも切りたくないと言う。しかしこのところの暑さは毛髪の中をじっとりと温めるようで、切ってほしいとようやく申し出があった。
年頃なのでいちいちもういいだの、そこはこうしてと言われながら切って切って切りまくる。もうスッキリした~!!大きな行事はないが、ちまちまと忙しい亀有教会でした、合掌

ビックリした!!

毎朝スクールゾーンに設置する通過ご遠慮のための看板、通称「うま」、学校周りの小道にいくつもある中の一つを担当して10年ほど経つ、今の「うま」は三代目、1時間ほどの設置のあいだに車との接触や倒されるなど、あっという間に満身創痍となる。
2週間前風の強い日に片付けに行くと倒れていた、風のせいかと思い持ち上げると足が二本変形しており看板を見るとタイヤ痕がついている、風で倒れたところをひかれたのか・・・自立出来なくなった。少しのケガなら修理していたが手に負えないと一目でわかる、4代目へ交換となると私が壊したわけではないが負い目を感じてしまい、連絡しそびれた。
それでも今日こそ学校に相談しようと朝から決心をしていたら・・・なんということか!「うま」が自立している!学校の役員の方が気がついて替えて下さった?かと思って見ると、いままでの「うま」だ、傷跡は同じ、よく見ると修理した足には新しいネジが使われている、誰かが治してくれた、でも誰かしら?。世知辛い世の中と聞くが、亀有教会に来て人の優しさに気がついた、近所の方々やママさんに折に触れ助けて頂く。
柿の種を破ると次の芽を宿しているように、人間の心には生神の性が誰しもあるという、今日もそんな神心に触れた1日になった、感激しました、ありがとうございました!