植物様がた

教会境内に今から16年前に植えたアジサイの鉢植え、そもそも教会長のお父上が50年の式年を迎えられ、祭典のためにお供えしたものだ。お花屋さんでとりわけ綺麗だったこともあるが、アジサイが好きな御霊様にも喜んでいただこうと選んだ。
私は草花の世話が下手で、この辺りは可愛い鉢寄せなどたくさん世話している家が多く自分の無能さに呆れるが、下手に手を出して枯らすのも避けたい。結局鳥が落とした種から育った二本の南天と、昔信者さんから頂いたアロエがこれも15年ほど生きている、それからお花屋さんがサービスでくださった菊の鉢物を地植えしたもの、信者さんが2年ほど育て教会に移して成長中の榊25㎝、あとは鉢植えのアジサイと。たった数種類の植物だがそれぞれに個性があるのでお世話は楽しい、教会行事に追われたり親活動が忙しいと気持ちが行かず皆機嫌がよくない、生き物は魂があると感じる、これは6年生きている金魚からも教えられる、人間が1番優れているなんてないなと思う。それでもこの生き物たちにお水をあげることができる、人間のお役目をいただけて嬉しいです。アジサイキレイです、ありがとうございました。

御霊さまに呼ばれたような

今週土曜日はお世話になった先生がお国替えされてちょうど1年、明日6月4日は修行生の大先輩のお国替えから25年の式年だ。ということで予定はなかったが奥城洒掃に向かう、教会長の調子も良いので安心して霊園に向かう。
ここのところ暑いので冷たいお水をたくさん流し、ぴかぴかに拭きあげると気持ちが良さそう、自己満足のようだがまあそれでいいのかなという感じ。サイダーをお供えして御祈念をあげる、霊前拝詞と祖先賛詞を分骨を納めている皆様を思い浮かべ、また縁ある御霊様を想いつつお礼を込めてあげる。帰りは名残りが尽きない、また来月来ますと、駅までの道を歩き出す。
死んだら終わりではないと思う、この世はあの世のためにあるとも聞く、徳を積んだ方々は死後その存在を肌で感じる、自分をより本当の方に導いて下さる、信心を頂くと見える世界が変わっていく。実は自分の先祖のお墓参りは2回程しか経験がない、どこのお寺かも全く知らない、そんな不信心者が月に一度霊園に行き手を合わせている、神様ありがとうございます。

想像は無限

毎晩戸締りの前に外に出て空を見上げる、今日は下の子も出てきて教会建物を見上げ「3階建てにしたらお広前を広くできる」と言い出した。そうなるとあふれるように想像が創造されていく、紙を広げ鉛筆で図面を描く、どの階をお広前にするか、強度の問題や導線、バリアフリー対応に収納、次から次へ案が出てくる、楽しい。
昔から空想ばかりしていたが今はとても楽しい想像をするようになったものだと思う、それは金光教が未来に向けての宗教で未知数だからだろう、教祖様の教えを生かすのはこれから、想像が膨らむ~!!とはいえ道は足元から、今日も一日ありがとうございました、合掌。

6月!!

月始め祈願の月例祭と子供の体育祭が重なり、「1日は忙しいなあ」とあれこれ頭を悩ませたが歩いて五分ちょっとの学校なので、行きつ戻りつでおかげを頂こうと思い直すと、とても楽になった。するとPTAの お役目も1つ頼まれこれもせっかくなので受けると、月例祭と体育祭という宿題を与えられたような気持ちで、緊張し今日を迎えた。
今日の月例祭は教会敷地内のアジサイがとても綺麗に咲いたので、ご神前に供えると決めていた、それから初代教会長の髙松和子先生がお好きだった銀座の某パン屋のあんぱんがお供えになったので、これも大好物の濃いめのブラックコーヒーを添えて御霊前に供えた。
PTAのお役も無事に済み、子供の競技をビデオ撮影し親活動オッケー(ということにしておく)。午後の競技も応援して教会に戻るとまだ大勢の方がワイワイとお話しされていた。出していた椅子も足りなかったようだが皆さん活き活きした様子に、ここ最近の力あるお広前を客観的に実感した。
6月はエンジンの回転数が上がっていくような、胸が弾むような始まりです、合掌。