月末御礼!

三月が終わる、特別なひと月間に、ただただ御礼あるのみ。

神さまのご教導と御霊様の助かり、信者氏子の上に大きな節を頂きあれもこれも御礼。

明日は合楽教会初代教会長大坪総一郎先生の生誕の日、気持ちも新たにいざ春の大祭に向けて成り行きを願い改まり頂いていこう!

祈りは糸

昨日幼児がお参りに来たので一緒に遊び、その成長に神さまのおかげを感じつつ、ふと、2年ちょっとお参りがない信者さんの2人のお子さんを思い浮かべた。大きくなっただろうな、下の子は確か一年生になるかなと。
お昼の御祈念後しばらくして外から「ここだよね!」と元気な声が、玄関を開けて入ってきたのはすっかり大きくなった2人の子供たちとご両親。早速おもちゃを運ぶとお姉ちゃんは「懐かしい!」と覚えていた、弟君は電車が好きだったので部屋の真ん中にケースをドンと置くと、初めは恥ずかしがっていたが近づきふたを開け線路を組み立てはじめた、しばらくすると声も出てきてすっかり保育所状態、わが家の下の子も出てきて一緒に宝探しゲームが始まり、すっかり馴染んでいる様子に両親も驚かれ時間を忘れて遊んだ。
一晩中御祈念にふけることは根性なしの私には出来ない、思い続けること願いを持ち続けることに寄り添ってくださる神さまを頂いている畏れ多さ。どうかこのご家族の上にかけられた神さまの願いが成就しますようにとやはり願うばかりなのです。

桜満開

来月の天地金乃神大祭は、区の施設を会場に「布教25年記念」を掲げ仕えられます。プロジェクターなどの機材も充実しているので、25年の歩みを写真のスライドショーにして流そうかと、目下制作中であります(主人が)。
節目だと感じるのはお参りされる一人一人の皆さんが、人生の岐路・大節目に立たれているという事実です。亀有教会自体においても同じで「25年」という数字の節だけではなく、そこにつまった布教の歴史をもって、また一段大きく変わってくれという神さまの熱き思いが降り注いでおります。大変です、大変わりです、さすが元号の変わり目です。
幼児番組もメインキャストが交代だそうで心の声・・・スイちゃんゆきちゃんありがとう、あなたがたの頑張る姿におばさんは元気をもらっていました・・・幼児はいませんが。でも今日は幼児のお参りがあり一緒に遊びました、ほっこりしました、ありがとうYちゃん。

 

まぼろしのような

あっという間に桜が満開!!教会前の桜通りはこの季節、保育園のお散歩コースになり「きゃっきゃ」とカワイイ声が聞こえてくる。それ以上に多いのがデイサービスの車です、ゆっくりと桜の下を通るワゴンが何台も行きかいます、桜あるところに人は集まる。
今から40年近く前、合楽教会参拝の帰りもう夜も更けていたと思う、近所に大きな海軍の墓地があり立派な桜が道路との境目に何本もあり、そこを車が通る時だった、ヘッドライトに照らされた道路一面白い絨毯のように桜の花びら広がり、そこに車が通ることで風が起こりふわりと舞い上がる、瞬きを忘れる、この世のものではないような幻想的な光景だった。このことは合楽教会参拝と直結して記憶に残り、子供時代の信仰的体験になるのだと思う。何か恐ろしいくらいに美しいと感じたのはこれが初めてだった。
桜、きっと人それぞれに忘れられない想いを受け取っている、本当に不思議な不思議な・・・。

神さまが育てなさる

今年に入り月に一度参拝されるようになった方がいる、信者さんの息子さんで昨年から大きな節目に立ち、自分なりに神さまに近づこうと取り組みを始められた。
最初はぼんやりとしたお届けだったが、今日で三回目、顔つきも変わりお願いの芯や向かうべき方向がくっきりと見えてこられていくのが端でよく分かる。ご自身もその感覚があるようで「今日はこれをお届けしようと思って来ました」と言われた、教会長曰く「そのお届けが神さまへのお供えだよ、神さまはそれを喜ばれるんだよ」と、納得。
親が積んだ德は確かに在る、しかしこれは後のものが神徳を求め掘らないことには出てこない、実感できない類のものだ。月参拝をはじめたこの人は祖父と母が積んだ徳に向かい合っている、何も無いと思う者には何もない、しかし神さまの働きが見えてきた者には確実に見える。お参りの度に変化している様子にこちらがワクワクする、私も私の持ち場でしっかり御用させて頂こう、成り行きを尊ぶべし!