雑草魂

春爛漫の候、教会の前を見上げれば贅沢にも桜のアーチ、そして見下ろしてみば・・・たくさんの雑草が・・・雑草という草はなく、ナズナやハハコグサ、オオイヌノフグリなど有名どころから、名を知らぬものまで種類抱負に生えている。その圧倒される生命力、踏まれても抜かれてもめげない、教えられる存在でもあります。
信者さんの親戚が選挙に出馬する、何期か今の役職を務めているがとても厳しい戦いらしく、それこそ踏みにじられるような思いを本人だけではなく周りも味わっているようだ。お届けする信者さんも辛そうだが「選挙によって私たちは謙虚な姿勢の大切さをを教えて頂きます、神さま中心で取り組みます」と、対立候補を凝視するのではなく神さまの顔色=成り行きを尊ぶことに一丸となって打ち込まれている。全く知らない世界なので比較する術はないが、選挙と神信心を直結して取り組む候補者はいるのかな?
心を散り散りにされる荒波の日々、その先にどういう「心づくり」が出来られるのか、枯れないように折れないように亀有の広前から祈らずにはおられない。

ホッとしたこと

先日久しぶりにお参りされた方がいた、ふだんは月に二回くらいはお参りされるのだが2ヶ月電話やメールもない。私は大体すぐ心配になる性分だが、いつもはドンとしている主人まで「大丈夫かな」と口にし始めた。お参りを催促することになりそうなので、よっぽどのことでないと個人的な連絡はしない、しかし教会長が「電話を取るかどうかだけ確認しよう」と提案した。その日は月例祭だったので慌ただしくしていると、携帯電話が鳴ったワンコールで切れたが履歴を見ると、なんとその方からで今度はメールが来た「今日の3時ごろお参りします」ほんとに驚いた。
結局とても忙しくしていたとのこと、教会の方が心配するから電話かメールをと思っては機会を逃がしたと言うこと、やっと受け持ちの仕事が落ち着き来られました~、ということだった。元気そうな様子に皆ホッとして久しぶりに大いに共励させて頂いた。彼岸明けの日、ご両親に玉串を上げて頂く事も出来た、畏れ入るばかり。
今回のことでいかに自分が目先の考えで心配ばかりしているかを、うんざりするほど見せられた、もっと大きな心で神さまにおすがりし委ねられるようになりたい!それでも本当にありがたい成り行きでした。合掌。

思わぬ参拝

春季霊祭に姉がお参りした、実家に顔を出すついでに寄ったらしいが、祭典を頂き玉串も上げさせて頂いた。久しぶりに会ったが緊張して無駄なことばかり話した。
三つ年上の姉は子供の頃から絶対的な存在で、私にとってただ一人、様々なトラブルから無条件で守ってくれた人、子供の頃は姉がいることで心の均衡が保てていたように思う。姉が結婚すると聞いた時には私も一緒に行くと本気で思っていた、勿論そんなことあるわけもなく話は進み私は蚊帳の外だった。結婚式から4ヶ月後、私は合楽教会へ修行に向かった、もう30年近い昔のことだ。
姉はどっさりお土産を持ってきた、米やビールやお菓子、子供たちにお小遣い・・・、心配の種の妹は、どんなに年月が経とうともやはり心配なのだろう。さらに子供たちへ「洋服はあるの、ちゃんと買ってもらいなさいよ」と、あれこれ気になることを口にして帰って行った、何だかなぁ。
こんな姉を頂いた幸せ、素直に感謝します。

月例霊祭

毎月23日の月例祭は髙松和子先生の月の帰幽日ということもあり、月例霊祭としてお祭りが仕えられます。今月から土曜日曜に月例祭が重なった場合、信者さんに感話発表を取り組んで頂きたいと伝えましたが、先日春季霊祭に皆さん参拝されましたので今日はおいでにならないと思っていましたが、前日の昨日「是非御用させてください」と、一人の方が手を上げられ祭典後に参拝者と共にお話を頂きました。
金光教の信心のルーツ、子供時代に体験した自身の奇跡的な事例、進学や就職に当たってのお取り次ぎ、そして合楽教会に出会う直前までのことなど盛りだくさんでした。こうやって教会の企画に信者さんが参画してくださることにも畏れ多さを感じます、亀有の信者さんは神様の願いに応えたいと本気で取り組まれている方が多い!教会もしっかり成り行きを頂かねばと、新たなエネルギーを頂けた一日でした。
ありがとうございました。

御霊月

髙松和子先生順子先生が亀有に布教され25年が経つ、その草創期から陰になり日なたになり支えてこられた信者さんが昨年のこの日にお国替えされ、本日ご家族親族が教会に集い一年祭が仕えられた。
金光教は初めての方もおられたので、信者さんだけだと当たり前に進めていく祭典も配慮することが多々あることに気がつかされた。故人が私たち教会の人間を御霊の世界から祈り育ててくださる、何とも言えないありがたい思いが湧くばかり、家族親族の皆さまのご様子からも、助かりの実証を見せて頂いた。
昨日の春季霊祭に続いての一年祭、祈り合い拝み合いの世界がこの小さな広前で繰り広げられていることに畏れ多さを感じる、本当にありがとうございます。