彼岸の中日

今朝の教祖さまみ教え
御理解86節 「女は世界の田地である。世界の田地を肥やしておかねば貴いものができぬ。女は家の家老じゃ。家老がようなければ城がもてぬというが、女がようなければ家がもてぬ。」

春季霊祭が教会広前にて仕えられました、今季の御霊祭は3月に入ってから何か御霊様たちが押し寄せてくる感じがしていましたが、ここまでその実感の日々でした。御霊様が見えるとか声が聞こえるとかそんなことはありませんが、商売人がその勘どころを磨けば、職人が自分の仕事に妥協しない、そんなところでしょうか、金光教のお広前で御用頂き四半世紀、大した役には立たなくともその辺の感覚は磨かれて・・・きたのか?
夕方見た子供番組で主役キャラクターのおじいさんのおじいさん、いわゆるご先祖様が出てきて毎晩トイレに行くのが怖い子孫を励ましますが、先祖様は雷が怖くやっぱり似ているねというオチでした。お彼岸にこういう企画をやるなんて子供番組はすごいなあと感動しました、教会に来て初めてお彼岸を知ったような、でも昔からぼた餅おはぎは大好きです。
亀有の初代髙松和子先生が大好きな鯛のアラを炊いて、子供たちはいつも白玉団子を作ります、信者さんの手作りの品々と共にお膳にしてお供えしました。霊祭は御霊様と人間氏子をつなぐ大切なお祭りだと、しみじみと感じた1日でした。

春うらら

今朝の教祖さまみ教え
御理解84節「おごりがましいことをすな。ものは、細うても長う続かねば繁盛でないぞ。細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな。」

お彼岸です、亀有はお寺が多くこの時期は特に町のあちこちからお線香の匂いが漂い、お花を携えてお墓に向かう方をちらほら見かけます。
明日は霊祭ということで奥城洒掃に行ってまいりました、とても暖かく奥城周辺は早くもモンシロチョウやアゲハチョウが嬉しそうに飛び回っていました。お花と心ばかりのお供えを道中のスーパーで買い求め、墓石を上から下まで拭き清めた後、御祈念と共に上げさせて頂きました、ビールとコーヒー缶、縁ある御霊様の主に好きだった物です。
春季霊祭、新鮮な思いで迎えさせて頂きます。

 

年相応なのだろうけど

今朝の教祖さまみ教え
御理解第45節 「世に、三宝様踏むな、三宝様踏むと目がつぶれるというが、三宝様は実るほどかがむ。人間は、身代ができたり、先生と言われるようになると、頭をさげることを忘れる。神信心して身に徳がつくほど、かがんで通れ。とかく、出るくぎは打たれる。よく、頭を打つというが、天で頭を打つのが一番恐ろしい。天は高いから頭を打つことはあるまいと思おうけれど、大声で叱ったり手を振りあげたりすることはないが、油断をすな。慢心が出ると、おかげを取りはずすぞ。」

子供のクローゼット一斉点検、懐かしいおもちゃ本、図工の作品に使わなくなったクレヨンや色鉛筆、2人分結構あるものです。つどつど片付けてはいるものの、気持ちが入りもう少し取っておこうというものも多々ありますが、空間に見合うだけ残そうと思い切りました。自分のものは日記や写真なども躊躇なく処分して来ましたが、子供のものは難しい。
気がつけばこのところ肩がものすごく痛い!運動不足と加齢です、大がかりな作業が負担に感じるのは筋肉量が落ちているからだと、身を以て感じます、なんだか身体がフニャフニャになっている・・・和賀心も日々創らねばなりませんので、これには教えをしっかり頂き実践の繰り返しだと知っていますが、体の丈夫のために筋肉を日常的にどう鍛えるか、これもまた難題であります。

雨が染みる

今朝の教祖さまみ教え
御理解第26節 「信心に連れはいらぬ。ひとり信心せよ。信心に連れがいれば、死ぬるにも連れがいろうが。みな、逃げておるぞ。日に日に生きるが信心なり。」

子供の靴がすり減っていた、雨の日濡れて帰った時「なんで水が染みるんだ」とぶーぶー言いだしたので見てみると、靴底が薄っぺらなのに驚いた。こういうことが何回か続き、今日は家にいると言うので朝イチで近所のショッピングモールへ、折り畳み傘も破損していたので購入させて頂いた。
雨の日に気がつくいろんなことがある、ところが晴れると忘れる・・・困った時は一所懸命に神さまに祈り信心に打ち込むが、都合よく進むともう熱が冷める、その繰り返しは案外多いとしみじみ感じる。
いつも調子を保ちムラのない信心信行でありたい。

桜並木に節が来た

今朝の教祖さまみ教え
御理解第97節 「神を拝む者は、拍手して神前に向うてからは、たとえ槍先で突かれても後ろへ振り向くことはならぬぞ。物音や物声を聞くようでは、神に一心は届かぬ。」

本日午前10時より駅前の地区センターにて「亀有さくら通り整備計画」についての説明会が開かれた、教会玄関を出たらすぐの通りのことなので、参加して来た。
昨年約200本弱の桜の木を樹木医に診察してもらい、結果ほとんどが病を抱えておりソメイヨシノの寿命からみても植え替えが必要だという。歩道の整備を4年計画で行い、桜の間伐と植え替えを15年〜20年も長期計画で行うそうだ、それも病気になりやすいソメイヨシノではなく、それほど大きく茂らない桜を植えるという。
教会前の桜の幹はとりわけ大きく枝も健康的に見える、でも気がついていた、年々花も葉もつかない枝が出てきて、区の委託の植木屋さんが丁寧に剪定されているのを・・・、荒れた感はないが歳をとっているのは一目瞭然だった。
今年は節年、桜並木も大節を迎えている、少し寂しい・・・。