自分を凌いでいく

昨夜は無性に眠くて眠くて、1日の終わりのこのメモをどうやって書いたか覚えていないのです。で、今日は喉と頭が痛みどうやら風邪なのか・・・!、なんて思いつつも食事は普通通り頂けますし、終日いつも通りお使いまわしを頂きました、なんと有り難いことでしょう。
弾みになったのは筍と蕗が取れたての体でお供えに上がったのです、旬のものはアクが強いので急いで下処理をしなさい、修行生時代口すっぱく言われたことが身体に染み付いている。それぞれ茹でる前の一手間を惜しまず取り組ませていただく、何もかも合楽教会の奥様方や先輩方に教わったこと。たくさん失敗して周りには迷惑をかけながら身についたことばかり、感謝しつつ、御用に助けられた1日でした。

すきなもの きらいなもの

2人の子供は生のトマトが好きでない、下の子は給食では頑張って食べるようだが、上の子は絶対に食べない。それでも特に食べられる工夫はしない私、これには理由がある。

私自身は好き嫌いなど口にするなどあり得ない環境で育った、そのレベルはちょっと常識外れで例えば夏に、炊いたご飯が蒸れて匂っても文句を言ってはいけない、休日三食がゆでたパスタにウスターソースをかけたものしかなくて(2日)「まずい!!」と心で叫んでも、やはりそれを食べねば何もないのだから必死で食べた。それでも兄弟からはお前はわがままで母への感謝が足りないと言われていた、まあその通りなのだろう。

自分が神様から子供をあずかり思ったのは、自分と反対の経験の中で育てようということだった。抱きしめよう、一緒にいて絵本を読もう、嫌いなものは無理して食べなくていい、なるべく笑って接しようなどなど・・・、経験がないので難しかったが今でもなんとか続けている、少しお芝居がかってるかもしれないけど。上の子は十代後半になった、やはり断固生トマトは食べない、きっと30代くらいになれば好んで食すだろうと母はのんきに構えています。

みんな一所懸命

神様にお供えしたお鏡餅は祭典後すぐに切り分ければ柔らかいのだが、なんだかんだで後回しになり数日後カチカチになってようやく向き合うことが多い。なのでお鏡を大きなオケに入れ水を張り、固くなった表面をふやかしてから包丁で切っていく、ただこの時ふやかした部分が崩れてドロドロになってしまうことに少し引っかかっていた。それである時思いつき細かいザルにそれらを受けて南側の塀の上に数カ所置いてみた、すると翌朝のこと案の定、数種類の鳥のさえずりが聞こえる。一番遠くの窓をそっと開けゆっくり覗いてみると、スズメとヒヨドリが数羽ずつ仲良くついばんでいた。その時期はムクドリも居る季節で時折やってきては先の2種を追い払っていたが、数日かけて塀の上の物と地面に落ちた分も何もなかったかのように食べて行った。
野良猫や鳩に餌を与えることは禁止なので、私の行為も当然褒められるものではないと自覚しているが、神様のおかげを頂かなければ立ち行かないという共通項がある我々なので、年に数回のお鏡餅のお下がりを共に頂いております。今は子育ての季節柄か、いつにないスズメの必死な様子に偉いなぁと思うこの頃です。

天地書附

家移りされた総代さんからお願いがあり、天地書附を新居に奉る儀式を行った、主人が綿密に準備をして向かい、簡素ながらも厳かな有り難い式だったとご夫婦喜ばれ「ホッとしました」とのお言葉を頂いた、午前中のこと。

今年1月に妹さんに連れられ初参拝された方が月一ほど一人でお見えになるようになり、先月の大祭では朝から初対面のほかの方と共に徹底御用に填まられた。今日は妹さんとお参りになったが、そういえば天地書附はお宅にありますかと尋ねると「私はありますが、兄は持っていないです」と。先日主人と片付けをしていたら、今時の住まいに合いそうな大きさで額入りの天地書附があり「どこか生かせるところがあれば」と思っていたところだったので、お目にかけると大変恐縮された。教会長が「朝のお願いと夜の御礼には手を合わせて下さいね、時間がある日は拝詞を上げて下さい」ひと言申し渡され、皆で御祈念をあげて白布にくるみお渡しできた、身体全体から畏れ多さや勿体なさがにじみ出られていた。

朝から日が暮れるまで、なんてすさまじいお働きが渦巻いているのだろう、金光教のお広前は生きていると目の当たりにした一日でした、合掌。

 

 

これぞ神

亀有教会布教当初からお参りされている女性が、先日月例祭でのお話を聞いて「今までも黙って治めてきましたが、合楽教会の初代の御修行を思うと、これからも成り行きを私が受けていこうと腹が決まりました!」と、意気揚々として帰られた。

その日は主人が合楽教会の親先生が紐解かれている初代の信心のご事跡に触れ「その道を私たち普通の人間が辿ることは到底無理だが、山越え(神になる修行)をした初代がまた元の場所に降り立ち、神の世界へ山を越えずとも行けるトンネルを掘って下さった、おかげで私たちも成り行きを尊び受けることで向こうの世界へ行けるのです」という内容だった.その女性は長年お嫁さんのことを受けに受け、その心は息子家族が幸せならばというものだった。それがそのお話を聞き、受けるということが一皮むけたような感覚で元気に帰られた。なんとそこにかつてない出来事が・・・母の日のプレゼントがお嫁さんから初めて届いたそうだ「お母さんありがとう」とメッセージ付きで。これが神になる修行なんですねと、御礼いっぱいのお届けがあり私たちも「!」そして畏れ入りました。

金光教は生きた神様が大いに働いておられます、合掌。