変身(文学ネタではありません)

朝台所の勝手口に虫の影が、季節と大きさからアブラセミだと推測、ゴミ捨てのため外に出て確認・・・おお!デカい蛾ではないですか、びっくりした。この蛾は今までも見たことがある、その時もじっと一日中壁に留まっていた、そうだ、この蛾こそ毎年教会前の桜で成長し巨大なフンを落としながら存在をアピールする、謎の幼虫の成虫なんだ!繋がった。
子供たちに感動いっぱいでそのことを伝えると、2人ともうわっ!デカい コワイ・・・そういう年頃です、そもそも私は蝉も捕まえられない人でしたが、子供たちの成長段階で虫は避けては通れない、すると今では子供たちより虫観察を続けている状態。毎年玄関を出てすぐのところに日に日に落ちるフン、蛾の幼虫に間違いないとは思っていましたが見事な姿を見せて頂きました、シモフリスズメさん、毎年子孫を同じ桜の木に残すなんてあなたはすごい。
今日は誕生を目にしました、毎日ありがとうございます。

時代

亀有教会の親教会は福岡県久留米市にある合楽教会だ、25年前にお国替えされた大坪総一郎先生がお広前で取次の御用に専心されたのが昭和25年ごろ、昭和42年に教会設立の運びとなり現在では2代目を中心に、金光教の勢いある信心を現代に展開している。
どこの世界もそうだと思うが、初代という存在にはそれに見合う人 物 催しがある、私が合楽教会へ修行に入り驚いたのは信者さんの若々しさ、若作りではなくその身から発光しているような魅力のある人がザクザクいた、その雰囲気で酔いそうなほどの人ばかり。
時は過ぎ昨年は初代の側近の一人で恵比寿様そっくりの方のお国替えがあり、時代が大きく変わりゆくものを感じた、そして昨日これまた弁天様そっくりで初代時代から2代にわたり芯からお育て頂かれた方がお国替えされた、とても静かなたたずまいだが、こと信心の話になると熱を帯び、年齢などの垣根は消え去る、女性信者のお手本だった。
合楽教会はもちろん亀有教会の信者さんのお国替えはあっぱれなもので、まさに神上がり、金光教の信心の世界は次元が違うことを体感する、もちろん側の者もその余波にまみえることになる、徳積みがあらわになる瞬間だ。こういう方々に出会えたのはやはり合楽教会との縁あってのこと、自分の生まれ育った世界のままでは絶対に巡り合わないはずだった、この出会いの価値を価値たらしめるのは、自分自身。
今日も一日ありがとうございました、合楽教会信奉者の御霊様がた、感謝申し上げます。

2学期開始です

子供たちは昨日が始業式、今日から平常授業になります、私もスクールゾーンの看板 通称「うま」を出す日々が始まりました。長期休暇後の新学期は教会の子供のことは元より、近隣の日々目にする子供たちのことも気になります…今日もバラバラと始業時間が過ぎての登校が見られました、中には親や祖母らしき方と一緒にゆっくり向かっている子もいます。
ゆっくりでも遅れても、頑張っていこうとしている姿に胸が締め付けられるようでした、子供は必死で努力する、それを当たり前と思ってはならないと亀有教会に来て分かりました。それでも自分の1番近い子供には無神経に行動を求める時があるのです、本当に愚かな人間です、そして子供は淡々と受けて取り組みます、しかし心は悲しみで溢れていたことでしょう。今は意識して信心で応対できるように訓練中です、でも張りぼての取り組みは弱い、その身から打ち込んでの真の信心に成長できるか気が遠くなります。
それでも心の底から思う願う、世界や日本国とまでは言わないけれど、せめて近所の子供たちが学校生活を健全にすごせますように…と。今日も一日ありがとうございました、合掌。

立教160年

10月6日日曜日、岡山は金光の御本部で仕えられます立教160年 生神金光大神大祭、合楽教会の団体参拝に合わせて亀有教会も団体参拝を願い、9月1日締め切りで申し込みの受付をしていました。ただし教会長は教会で遥拝、トップスター不在感があり2、3人位の申し込みしかないのではないかと、代表で行く主人は口にしていました。
ふたを開けてみると!同じ新幹線で17名が同行、別便で行かれる方などを含めると総勢25名前後の団体参拝になり畏れ入るばかり、参拝もありがたいことですが、それぞれの上にそれぞれの修行を頂いていることが、価値があるのだと思います。ここ数年いろんなタイプの難儀が亀有教会に、信者さんに起こり、その度に成り行きは神の働きと頂く芯が太くなっている、だからこそ御本部参拝せずにはおられないのだと。
私も亀有の広前から遥拝します、いつも眼前にある金光さまのお姿を追いかけ日々、一所懸命なだけでしたが、この記念の年にもう一歩、成り行きに御礼申せる内容を深めたい・・・と書こうとしたら文字変換「御礼申せる」の一つ前が「御礼も失せる」でした、これぞ今の私の赤裸々な姿なのでしょう、神さまはさらりと指摘されます、冷や汗。
今日も一日ありがとうございました、自ら御礼のタネを踏みつぶさないよう心します!。

9月1日

東京は亀有教会で何度9月1日をお迎えしただろう、いつからかこの日はいつもの月例祭には無い祭典前の黙祷を捧げるようになった、関東大震災が起きた日。
特に関東に縁があるわけでは無いのだが、信者さんに旅行に行くその先の歴史を調べ災害や人災が起きた場所に足を運んで、御神米をたむける方がいる。先の東日本大震災の地にもあちこち出向かれ、心に残る場所場所でご祈念をそっとあげられる、ニュースで耳にした人々に会いに行かれたこともある。何もできません、ただご祈念を捧げてくるだけです、そういう姿勢で日本の各地を奥様と共に旅へ向かわれる。こういう信者さんに影響を受け、災害の痛みを共有し、そして復興に尽力されたたくさんの人々への感謝といたわりを込めて、黙祷を捧げる取り組みに繋がっている。
祭典後には信者さんから「そうでしたね、関東大震災の日ですね」という声が口々に聞かれた、ただ何が正解かはわからない、それでも心が動くことには行動を伴わせたい。やらないまま悔いを残すことだけは、イヤだ。
今月は御霊月です、お世話になった方々や、今につながるご先祖さまに心を寄せる日々を頂いてまいります、ありがとうございました。