大っきなしいたけがたくさんお供えになりました、きのこ類はご飯ものにすると子供たちにもすんなり食べてもらえます。見た目で食べれないものがある子供たち、トマトやナスなどは形がなくなるような料理にすると大丈夫、好き嫌いないように育てる…ということに全く力を入れてないのでそうだろうな〜、大人になって食べれればいいと長い目でみています。
しいたけに関しては自分が子供の頃、親戚の法事で出されたお椀の蓋を取ると、でっかいしいたけが丸々一個入っていて、黒々したそのしいたけに恐怖を感じたものの、お残しは厳禁の家風なので食べたとは思いますが、それがあってかしいたけは小さく刻みます、今は好きなんですけど。
食の好みは変わりますが苦手意識がある事柄や人との関係は、年月をかけても簡単には克服できません、ただし相手を責めたり自分勝手に苦しむことは、教えを頂き行じることで抜けてきます、もちろん時間をかけて。野菜もアクがあります、人間も水で晒したくらいでは抜けないアクがあります、教えを頂き実践し神様に手を合わせ、この繰り返しを貫くことが1番のアク抜きになるようです。今日も一日ありがとうございました。
ささやかな…
毎月18日の月例祭は「災害復興祈願」の祈りを込めて祭典をお仕えしています、東日本大震災以降、毎月11日の地震発生時間に合わせて鎮魂のご祈念を続ける中、国内はもとより海外でも自然災害が切れ間なく起きており、月例祭の中でスズメの涙にも満たないでしょうが一心に、復興と鎮魂を神さまへ祈ります。
災害という言葉はどこまでも人間目線で、地球や太陽系から見れば災いではなくただ自然活動の一環、それでも人間としての生を授かりましたので祈りを捧げます、和賀心が杖になりますようにと…無力な存在です、今日も一日ありがとうございました。
頭を悩まし心を転がし
次の日曜日は教会広前で「布教功労者報徳祭」が仕えられます、明日は災害復興祈願の月例祭です、お参りがない日もありますが祭典は滞りなくお仕えになります。
そのような教会としての営みの中にちょっと気になる事、インフルエンザ同様に考えていた新型のウイルスが予想を超えてやっかいな様子、イベントやファンサービスなど各界で見送られているようですが、初めての令和天皇誕生日 一般参賀中止の報…教会も人が集まる場所、お上が動いたなら静観はできないと皆で話し合い、参拝に関してのメッセージを信者さんへ送ることにしました。夕方部活動を終え、帰宅した下の子が持ち帰った「ほけんだより」には、紙面ぎっしりと新型ウイルスの説明と予防の取り組みが書いてあり、葛飾区の対応についても窓口の案内まで表記してありました。
信仰と社会とのあり方は教祖さまにとっても生涯が実験でおありでした、決して突飛なことをなさらなかったことは御事跡に直筆で記してあります、何を学び実践するか、日々求める稽古です。今日も一日ありがとうございました、皆さまどうぞご自愛ください!。
5年祭
2月16日は亀有教会の礎を築いた恩人の御帰幽日です、5年が経ち金光教での式年祭にあたり、午後息子さん夫婦が参拝、準備された故人のお好きだった品々を霊前にお供えし、簡素ながら心を込めて5年祭が仕えられました。
銀座でも屈指の鮨屋の娘に生まれ、小さい頃から機転が効き、家族の中心となって家業を盛り立て一番弟子と結婚、数年後独立してからも爪に火を灯す働きぶりでした。身体に持病があり死の瀬戸際の中での出産、決して弱音を口にせず、ただ努力を重ね、東京の中心にありながら夫婦二人三脚で店の格もでき、一人息子は立派な跡取りとなりました。故人は大変信仰も手厚く、親先祖を大切にされました、今その跡も息子さん夫婦が継承されています。
親戚でもない私のことを気にかけてくださいました、特に子供の成長については厳しい目で導いてくださり、いい加減な自分の考え方を改めるチャンスを頂きました、掛け替えのない出会い、どれだけ言葉を尽くしてもお礼の気持ちは表せません。
神さま今日も一日ありがとうございました、御霊さまこれからもお見守りください。
*しげるさま コメントありがとうございます、いつもエネルギーを頂きます!
生きた広前
亀有教会のお広前でよくあることに、お参りの切れ目はないものの信者さん達は絶妙にすれ違う、なので春秋の祭典の時は嬉しい再会の挨拶が飛び交い、喜びのエネルギーが満ち溢れます有り難いです。信者さん達は信心の稽古を進めて行かれる中で「あの方はお元気ですか」「どうされていますか」と、教会でお願いするだけではなく、祈り合う世界に入っていかれるのが伝わり、こういう方々に囲まれ私も日々一心に祈ることに取り組みます、そのうちお礼申し上げる事柄にも気づかされるのです。成り行きは神さまのお働きと習っていますが、まず神さまに祈り願いその上で、そこから起きてくる成り行きを頂く心を育てていく稽古なのだと思います。金光教にご縁をいただいて30年、年月ばかりが経ちます、ひとつずつ行じていることです。今日も一日ありがとうございました、合掌。
