溜まり葉

お隣の敷地から生えてくる樹木、八つ手とその他もろもろ日も差さない狭い場所から、毎年毎年なんでと言いたいほど成長する、そして教会敷地に向かい(太陽の方)葉を繁らせ落とす、こわごわ見ると境内北側塀との間に積もる落ち葉たち…。寒い暗い北側には実を言うとあまり立ち入らない、しかし天候に恵まれた今日‼︎落ち葉回収に取り掛かる、ガッサガッサと隣の樹木のみならず、どこから来たのか?見たことのない大きな葉(こぶし?)を入れる。視線を感じ頭を上げると狸のような尻尾の猫が塀に座りこちらを見ている、1メートルもない距離から葉をつかんで入れる手元を食い入るように見ている、その手を借を貸してくれとブツブツつぶやく、互いに何考えているのやら。

常日頃気がつきながら後回しにしていること、ひとつひとつ年末の追い風を受けて始末中です、横着者だなぁと反省しつつ…今日も一日ありがとうございました。

年祭

金光教は仏教でいうところの法事を式年祭と称し、丸一年経つと一年祭、三年目には三年祭、その後は五年祭から五十年祭まで5年ごとに執り行います、亀有教会の広前には信者さんからのお届けがある御霊様で、式年をお迎えする方の名簿をお立ち日入りで毎年張り出します。教会の者はもちろん信者さんも参拝の度に目を通す方が多く「あらお義父さん式年だ」「あの方もう10年になるの」と思いを馳せるきっかけや、気づきにもなるので助かります。殆どの方はお会いしたことはありませんが、この取り組みのおかげで信者さんの根にあるものと繋がるような、教会の土壌も肥えていくような手応えを感じます、魂と魂の縁が結びつくのかもしれません、今日は4月にお国替えされた方の月の帰幽日でした。

桜に続いてメタセコイアもすっかり葉を落とし、お日様の光が地面に届く季節です、寒い季節のご馳走、四季の移り変わりには畏れ入ります、今日も一日ありがとうございました。

お手伝い

暮れにお供えになるレンコン、お正月用に必要な分を冷凍保存しますが、とても立派なものでひと節だけでも相当な量あります、今日はすりおろして小麦粉をつなぎに、キャベツやブロッコリーを刻んだものを混ぜて、お好み焼き風なものを作る予定でした。が、夕方なんとなく億劫になり、メニュー変更しようかと悩みながらも刻んだ野菜はまな板にスタンバイ、おやおやそこに部活休みの下の子が…「お手伝いしない?」ダメ元で直球、モゴモゴ言いながら二階へ上がり撃沈!と思ったら数分後現れました。大きなレンコンを何も言わずにすりおろし、食べる専門の主人に話すと「大変だったでしょう!」と労い「大丈夫」と答え、いつもより「美味しい」と口数多い大人たちでした。

上の子下の子共に今年の授業は残すところ一週間、越年祭元日祭と教会行事も控える中に、一年を通して皆が元気だったことは当たり前ではないのだと、神様へ心からお礼を申し上げるばかり、それでも思いが足りないなと日々改まりが必要です。今朝から冷え込みました、冴えた空に満月が浮かび星たちが輝いています、これは冬のぜいたくなこところ、今日ありがとうございました。

ご時節

18日の月例祭は「災害復興祈願」という柱を立て毎月お仕えされます、昨日主人のご飯茶碗を探し出した未使用の器を収納しているケースに、福岡 久留米の工芸品 らんたい漆器の素敵な器がいくつもあり、この先も寝かせたままではもったいない気がしたので、主人に相談しました。ご神前には「かわらけ」を使うので使い道無いかなと言いながら、とりあえず2つの漆器を渡したところ、お供えになった果物を盛り付け、今日の月例祭で神前霊前それぞれに上がりました。それを見て「はまった!」と感じたのは私だけ?、お参りになった信者さんもこれはいいですね!と新しい試みを喜ばれ、金光教の形式は神道の真似から始まったのだけど、少しずつ独自性も生みだすべきだと私たち以上に、この事柄を神様事として受け止めて下さり畏れ入りました。

20年以上大切に保管していたものが表に出てきました、教会の上にも押し出すような働きが起こりつつあります、地震も多いですが神様の揺さぶりを感じる日々です、今日も一日ありがとうございました。

お片づけ

主人のご飯茶碗は信者さんがもってきたコーヒーショップの景品、上の子のは教会長のお下がりで20年以上の物、ひび一つないけどどちらもだいぶくたびれている、今年気になる案件。思い切って新しい食器をまとめているケースを点検すると、夫婦茶碗があった!可愛い…、確か私たちが亀有教会に来て直ぐにお供えがあったものの、もったいなくてしまい込んだままの品。今が出番の時、神様からの贈り物が見つかりました、毎日使うものはステキな物がいいですね、最近上の子が100均で購入したガラスのコップもお気に入り、教会長に飲ませやすい上にオシャレ、おうち時間がもともと長いので食器は和みのアイテムです。

要るもの使わないもの、日頃から心がけていますが、年末はさらに思い切りやすい時期です、一切が神様からの贈り物とはいえ取捨選沢に直面するのが生活、生きていくのは試験のような事柄の連続だなぁと、あれこれ壁がある度実感します。ともかく今日は教会長無事に巡回入浴のおかげを頂きホッとしています、皆さまお祈り添えをありがとうございました。