少し見えた!

久々の皆既月食、皆さまの街からはどう見えましたか?昨日はピカピカのお月様を愛でた亀有、今晩はモヤ〜〜とした空…月食は全く見えないまま…それでも粘り強く南東の空を見ていると部分食になり、光が薄雲を通り抜け所在確認!通りを行き交う人々も「アレじゃない⁉︎」と同じ方向を見ています。昔の人は月がなくなり怖かったでしょうが、世の中が息を潜めたような今、天地の運行ショーは人の心にワクワクをもたらしました。
地震 雷 豪雨 大風と教祖様の書き記された帳面には、当時おきた様々な自然現象を記録されています、また流行病も同様で今の時代と同じ難儀が、生きる人々の中にあふれていたのです。そういう時代に「おかげは和賀心にあり」という、心の改まりを生活の中で実践する手立てを、神さまの導きのまま実践し遺して下さった教祖さま、眺めた月を見ながら思いを募らせたことでした。

主人の夏用Tシャツがヨレヨレなので、近くのショッピングモールへ行きました、老いも若きも静かに商品を見ています、マスクの下は笑顔率高し、風景は静かに激変していますが皆がんばっています、今日も一日ありがとうございました。

ハッと気がつく

今週から学校への登校が再開した下の子、入学式から1カ月後に2週間オンライン授業、新たな気持ちで元気に登校させて頂いてます、ある運動部内で数人感染が出たそうですが、皆健康状態は平常だったようでホッとしました。このことから日々の祈りに、学校の教職員並びに生徒さんたちのお願いを改めて入れました、今まで学校行事はお願いしていましたが、毎日の祈りが求められていると気がつかせて頂きました。
合楽教会二代教会長は常々「祈る稽古をしなければならないよ、願わずにはおられなくなる、稽古をすれば祈ることは増えていくからね」と申されました、若い頃はしかし気持ちが散漫で、自分はダメだ金光教に向かないと落ち込んだものです、歳を重ねてようやく稽古の道に入れたかな?親先生から「やっとスタートラインぞ!」と言われそうですが。

東京は晴れ渡り久々に満月を拝ませて頂きました、夏の訪れも近そうです、今日も一日ありがとうございました。

紙コップ

この3週間ほど不思議なことがあります、教会前の歩道の隅ドウダンツツジの根元に白い紙コップが置いてあり、中には透明の液体がなみなみと入っています、飲みかけではない真新しい紙コップ、何となく火ばさみを使い液体を静かにこぼし、燃やすゴミに出しました。それから3日後2メートルくらい場所を移して同じ物が置いてあります、夜戸締りの時にはないので、夜中に何かおまじないでもかけているのかと、同じように処分しました。翌週また2メートル離れた場所に同じもの、その2日後とやはり夜中でしょう、主人に相談すると「お隣さんかもね」と言います。するとその言葉を裏付けるように先週、お隣のアパート1階縁台に同じ紙コップが置かれていました、今入居の方々は全く顔もわからず訪ねに出向くことはしないものの、これからどう展開するのか要チェックの成り行きです。

毎日いろんなことが起きます、慌てたりうろたえたりと、即信心の材料と受けていない時もあります、時間を置いて成り行きを精査すること、繰り返しの稽古です、今日も一日ありがとうございました。

月例霊祭

毎月23日の月例祭は、亀有教会初代教会長 月のお立ち日ということで、いつからか月例霊祭の日になりました、5月は教会長ならびに主人と私の祖父が帰幽月に当たり、想いもひとしおに祭典を拝しおかげを頂きました。朝、拝聴していた合楽教会二代教会長のお話の中で「月に1日各家庭の御霊日を決めたらいいよね、暑い日なら冷たいお茶、寒い日なら熱いお茶に好物を添えて霊前にお供えさせて頂き、ご祈念させて頂いたら家の根(土台)が肥えてくるよね」と、このことはつどつど仰っていましたが今日聞かせて頂き、ハイ親先生!変わらぬご教導に体温が上がった気がしました。

紫陽花に続き南天の花が咲き始めました、早速小さな虫たちが寄り今日はクマバチも訪れてせっせと仕事していました、花や虫の変わらぬ営みに柔らかい気持ちを頂きました、今日も一日ありがとうございました。

神縁は深淵

亀有教会の教会長は合楽教会が布教所の頃から祖父母に連れられ、遊びに行くような感覚でお参りしていたそうです、地元で教会のお子さんと年も近く、宗教や信仰といった構えもなく教会行事に参加していたと言います就職して数年経ち徐々に身体が不自由になり流れるまま修行に入られ、何か他の修行生とは格が違うといった印象で、教会家族の方々と親戚のようでした。
金光教全体でも教会同士深く繋がりがあることが多いです、義父の実家は教会ですがその祖父は孤立無援の布教に立たれ、代々ご修行されましたが今同じ名字の金光教教師はいったい何人いるのでしょう、他教会へ養子へ入った従兄弟も複数あり、子孫繁盛家繁盛の実証を見せて頂きます。
私は金光教とは関わりなく父親が縁を頂いたものの全く役に立たない印象で、神さまよりまともな生活を下さいというのが本音の子供、ただ時折付いて行く共励会の会場主がまるで仏像のような微笑みを湛えたご夫妻で、その雰囲気 家の趣きに触れたかった(お菓子ももらえるし)。金光教祖ご理解28節では井戸替えに例えて、八、九分替えて途中で止めれば水は濁ったままとあります、とにかく日々教えを頂くこと、どんな気持ちでも神さまに向かうことは土台になります、一足飛びに和賀心は頂けませんが神さまの温かさに触れながらの毎日は、誰でも頂けます。

今日も一日ありがとうございました、明日は月例祭、初代教会長月のお立ち日です。