求めよ進化

お鮨屋さんを営まれている信者さん、他界されたご両親が東京の真ん中に店を構えたのが50年と少し前両親を支え店を繁盛させ今ではそのお子さんが片腕としておかげを頂かれています。お父様と毎週日曜日の朝、教会参拝されその折には必ず、握り鮨を神様御霊さまへお供えに持ってみえました。今も日曜朝の参拝を続けられ時折、お鮨や玉子焼きを持って見えます、ネタに施す技は同じですが、この握り鮨の違いに驚きます。先代は骨太な握り、高度成長期を乗り越えたいぶし銀の一品、息子さんは非常に繊細な食感と優しいシャリの味、閉塞感のある今に求められる一品(だと勝手に思う)。
その昔屋台の鮨は手早く腹を満たすためのもの、時代に合わせ進化し今も止まっていない。合楽教会二代教会長が度々口にしていたことに「昔のおかげ話を今も繰り返し道を狭くしている、金光教は生き生きとした神様の働きを日々頂き続ける信心だからね」と。現代に沿う信仰をどうでも求め続けていきたい、お鮨を通しムチ打たれたようなことでした。

祥月命日を迎えた主人の祖母へささやかに卵焼きと梨をむいてお供えすると、梨は大好物だったことを覚えていると主人が言いました、こういう時本当にありがたいです。明日は十五夜、秋もたけなわの空気を感じます、今日も一日ありがとうございました。

彼岸花

近くを歩いていると白い彼岸花が咲いていました、明日からの彼岸入りをひとしおに感じます、明日は義母方の祖母41年目のご帰幽日にあたりますので、お礼の日になるよう心がけたいです。そう書いて(入力)いると、先週寮に戻った上の子から「明日帰ります」とLINEメッセージが届きました、帰幽日に皆でおばあちゃんにご挨拶できそうです。23日の霊祭にはどんなお花をお供えしよう、お膳は3回分何を準備しようかと楽しく考え中です、教会長のお母様は鯛のあら炊きと、さつま芋が大好きでしたのでこれは定番、関わりのある信者さんの御霊さまへも思いを馳せ、段取りさせて頂きます。

三日前教会長の髪を切りましたが、ハサミの調子が良く史上1番のショートカットになっています、お美しいおかげでなんでも似合い助かりました、今日も一日ありがとうございました。

いつも同じように

18日は災害復興祈願の月例祭です、折しも台風の影響で朝から猛烈な雨が降り続いている只中、毎月と変わらず粛々と祭典は進められました。変わらぬこの営みがありがたい、畏れ多いことだと改めて実感します、教会は広前が全て、特別なことはない日々を貫くことに徹する、信心辛抱は心を育てる必須です。

23日の霊祭に向けて信者さんの参拝願いが届きます、3回に分けてのお祭りを緩むことなく、実意を込めて仕えられますよう心準備が高まります、どうぞよろしくお願いします!今日も一日ありがとうございました。

敬老か〜

もうすぐ敬老の日、今の世の中高齢者=「老人」は少し違うような…老いている人を見ない気がします、皆様どうお感じですか。
ご近所さんに1年通し毎朝休まず通りの掃除に出て見える方がいます、それが先月半ばから奥様に代わり心配していたある日、トコトコ近くに来られ「おはようざます、主人胃の調子が悪くて入院してるのよ、大したことないけどもう85なのよ、いろいろね〜〜私は83で毎日一万歩歩いてるのよ」とまあ、にこやかに話されました、いやはやびっくり。信者さんは言うに及ばずご近所さんたちも皆さんお若い!そして健康に心がけておられます、金光さまの「何事も体が元なり」という教えは人として当然の務めですね。

今日は町内会から教会長へ初めて敬老の日のプレゼントがありました、エーそうなんだとこれまたびっくり、そしてある信者さん夫妻からの敬老の日プレゼントも届き、老いが似合わぬ教会長ですが、この成り行きを受け止めなければと、周りの我らが実感するのでした。日々お祈り添えをありがとうございます、心温まる教会への思いは広前の栄養として培われています。

雑草という草はない

玄関を出て桜通りに降り立つ、この一年半で変わったことに降り立った石畳の隙間から生えた雑草が、すぐに5センチほど育ち存在感を示します。私と主人のお出かけはもともと少ない上さらに減りました、上の子がいないので下の子だけが毎日学校へ、人が度々踏み締めないので雑草も元気良いのでしょうか。何より信者さんのお参りが実質、今なお難しいことが大きいのではと思われます、お年を召した方々や他県の方はお電話やお手紙、若い方もお手紙にメールやLINEなど、御取次が多様化の時代を迎えました。会えない寂しさに直面しつつ感情に流される間も無く、今与えられた状況の中をどう生きていくか、雑草を抜きつつ雑念渦巻く金ちゃんでありました。

桜の落ち葉も量が増えてきました、秋本番の気配漂う亀有の街並みです、今日も一日ありがとうございました。