真剣なお届け

ある信者さん、時折思い詰めた様子で電話でお届け、しばらく聞いてみても何が悩みのタネかわからない、あらまし聞いたところで「で、何が心に引っかかっているのですか?」と尋ねると、意に反したことを言われたり気持ちが伝わらず悶々としている状態。受話器を置き神様へ向かい、心のお繰り合わせを願いつつもなんだか笑みがこぼれるのです、子供のように素直で神様からご覧になって本当に可愛らしいだろうなと、ひた向きに御取次を願われ参拝の折には御礼とお詫びを申される、この繰り返しがその方だけでなく教会のお育てにもつながるのだと、今実感しています。

日が暮れて少し雨が降ってきたようです、久々の雨の匂い、土の匂いかな?明日もよろしくお願いします、今日も亀有広前は渦の中、ありがとうございました。

おぼろ月夜

2月に入り1週間、先月に引き続き亀有教会は神様の手の上で、慌ただしい日々を過ごしています、信者さん縁ある方々の上に起こる働きは全く油断は禁物の気配、これが自立ということかと見せつけられる思いがします。それでも140年以上前から続く金光様の御取次を頂いてのこと、合楽教会という最高のお手本があるので迷わずに進むことができます、「後々の者は見易うおかげが受けられる」という教えは精進が要らないわけではなく、整備された道をさらに踏み固めながら行けという意味だと捉えています、今まさにその真っ只中です。

こちらは夜まで暖房要らずの暖かな一日でした、少し気持ちもほっとしますね、今日も元気に御用頂きありがとうございました、明日もよろしくお願いします。

日向ぼっこ

冬の昼間は広前南側の窓から暖かな光がとどきます、お日様好きの鉢物と前教会長の車椅子を、時折移動させながら十分に日向ぼっこ、ふと見ればなんだか井戸端会議のように見えて笑ってしまいました、参拝された信者さんも「順子先生〜暖かいでしょう!」と車椅子をポンポン、華やか担当の面々です。
毎日変化がある亀有教会、神様にお使い頂けるよう心がけているのは「慣れない」こと、いつも新米丁稚の心で励みたいです、今日も一日ありがとうございました。

凛として

今日も真剣に御取次を頂く信者さんのお姿に、こちらが襟を正される思いがします、お仕事のこと、家族のこと、身体のこと、実意に願いながら同時に御礼に連なる方も多く、取次は心を見直す場だと発見しました。

月始めは参拝が続きます、病気治しでなく心治しの金光教、この道に求道の終わりはないです、今日も一日元気な広前をありがとうございました、久々に連れて来られた幼児2人の成長が嬉しく、張り切って遊び少しくたくたです(笑)。

立春

髙松先生がお国替えになり初めての寒信行、始まりと成就のひと月の間に宗教法人認可を受け、呼応するように毎日教会から信者さんの隅々まで、揺さぶりとも思える働きに追い立てられるような、必死の内容となりました。教会長を務める主人に修行をかけてばかりで何もできない金ちゃんですが、この広前で信者さん共々悩んだり励まし合ったり喜びを分かち合う、その営みは決して途絶えないよう縁を紡ぐ日々です。

気がつけば日が長くなりました、寒から春へ確かに移ろいを感じます、しかしまだ2月、朝晩の冷え込みには油断なきようですね、今日も一日ありがとうございました、明日からまた新たな取り組みの強化です。