落ち葉掃き

この季節は教会前の桜並木が、見事に紅葉する・・・のですが、今年の猛暑は草木にも厳しかったようで、朝歩道に出ると今まで見たことのない小さな葉が沢山落ちている。小さいだけではなくすでにカラカラ、どれも黄色か茶色。一番の成長期に雨が全く降らなかった、そしてあの日射しを浴び続け夏の青葉の時期も、葉に元気がないことは見て取れた。

夏は濃い日陰を作り通行する人にひとときの涼しさを、お仕事の車も毎日数台昼休みしていた桜並木。「おかげは和賀心にあり」と教祖様は教えてくださいました。桜の疲労回復を願い和賀心造りの気持ちで、お掃除に取り組みます。

暑い寒い

今年はほんとに暑かった、そしてすでに寒い日もあったりと忙しい・・・教会長の寝具や着るものなど、昨日は麻のランニング、今日はヒートテックのタートルなど、嘘のような衣替えの日々、靴下、膝掛け、よりどりみどり。

教会長の風邪はようやくお医者さんのお墨付きを頂き、ようやく普通の生活をして頂いている、普段元気な方でも今年は熱を出す人が周りに多い、共々に気が抜けない。

お天道様のことをあれこれ言うことを教祖様はたしなめられた、しかしついつい口をついて天気への不平を漏らしている。日常の中に「教えを行じる」チャンスが転がっているなあと、反省含め思う今日この頃でした。

和賀心典楽会

本日は月に一度の典楽お稽古の日。小さなお広前にお琴と龍笛が響きわたり、教会全体が独特の雰囲気に包まれる、贅沢だなあと思う。

三人の楽人さんと、指導に来てくださる先生がお一人。輔教研修で隣り合ったご縁が、数年経って楽の指導をお願いすることになった不思議。それぞれがその成り行きを大切にして歩んだ先に典楽の発足があった。

三人三様の人生、神様のお育てを頂き、決して何もかもトントン拍子ではないけれど、そこに神様の願いや想いを感じながら、日々和賀心を目指して取り組んでいる。まさに在家出家、頭が下がります、お稽古ありがとうございました。

 

あさがお

今月は秋季霊祭の月。

先月、同じ教会で修行した先輩がお国替え(亡くなること)をされた。まだ還暦前。同時期の在籍は短かったが、表裏のない朴訥とした修行姿勢には見習うべきものがあった。今日はその先輩の誕生日だ。

朝から先輩に想いを寄せた。人を気遣い、自分を空にしていくことに徹底的に努めていた姿。できればもっとのびのびと生きて頂きたかった・・・などなど。

すると今はお休み中のアジサイの枝が目に入る。巻き付いていたのは、まいてないのに生えてきたアサガオのツル。そして淡い水色の小さな一輪。先輩からの「ありがとう」を感じた。きっと御霊の世界では自由無碍に邁進されてますね。

先輩、お誕生日おめでとうございます。

                                  

秋が来ている

今朝はヒヤリとした空気が町を覆っていた、湿度は高いが心地良い。そう思ったのもつかの間、四六時中屋内にいる教会長の咳が止まらない。ここ数年外気が冷えると、触れてないのに咳が出る。やれのどを温め膝掛けを厳重にしてと・・・段取りをしながら思うこと、私の秋の代名詞は秋刀魚や柿ではなく、「教会長の咳」である。

秋の広前一景です。