報いるとの誓い

今朝の教祖さまみ教え
御神訓「一、 真にありがたいしと思う心、すぐにみかげのはじめなり。」

次の日曜日は布教功労者報徳祭、今日は信者さんからのLINEにハッと気付かされることがありました。ご主人に「報徳祭はどういう意味のお祭りなの」と聞かれたその方は、「金光教のために尽力された方々に感謝する日であり、今から頑張ってこの道を残して行く誓いのお祭り」と、つい口をついて出たそうです。これぞまさに神語り!
布教功労者感謝祭ではなく「報徳祭」、徳に報いると誓いを立てるのだと、ストンと心に入りました。沢山の布教功労者の方々は、きっとこれを待っておられるのだとも思います。今まで感謝ばかりに心が向いていた気がします。
とは言え徳に報いるなんて私の内容では難しいですが、亀有教会で日々お使い回し頂く根っこは合楽教会への報謝一筋であります。和賀心へ向かって(私なりに)。
今日もたくさんの方に元気を頂きました!合掌

実意を身に付けたい

今朝の教祖さまみ教え
御理解第63節「一粒万倍といおうが。一人がおかげを受けたので千人も万人もおかげを受けるようになるから、よい手本になるような信心をせよ。」

次の日曜日は布教功労者報徳祭、今日は準備の1つとして祭典を仕える教会長と主人の散髪に取り組みました。ど素人の自分がよくもまあ散髪などさせて頂けるものだと、毎回必死になって向かいますので、無事終わるとほっとします。
祭典前の週は当日お参りできない方が、前もって神さまへご挨拶に参拝されることがあります。また、お参りに行けるよう家族の都合に万事お繰り合わせを電話やメールで改めてお願いをなさいます。こういう実意な方々の信心実践から学ぶことばかりです。
小学3・4年の頃、父が縁を頂いて金光教が家にやって来ました。数年経っても特に家庭の中はなんの変化もなく、変わらず、だらしのない環境で育ちました。それでも時折、付いて行く共励会のお家はいつも夢の中のお城ように磨き上げられ、家のご主人や奥様は「神様はこういう笑顔なのかな」と思うように優しげで、同じ空間にいるだけで気分が良くなりました。家に帰れば現実は何も変わらず、口の中に砂が入っているような感覚に陥りました。
あれから長い年月が経ち、金光教に救われた私も助かりの一粒に・・・成れるほどには育っていませんが、今生き生きとした運命に生かされていることに、なにもかもお礼しかありません。

三浦大根サマ

今朝の教祖さまみ教え
御理解第49節 「信心は相縁機縁」

今日は三浦大根のお味噌汁を作りました。大迫力の大きさでサラダやお漬物、煮物と毎日様々に楽しませて頂きました。今までも様々な形や色の大根がお供えになりましたが、三浦大根は食感と味が他のものとかけ離れているなと思います。子供も味噌汁を食べて具材はカブか白菜の白い部分だと思ったそうで、個性的な形と独特の食感に一つのブランドが確立されているわけが少しわかった気がします。
合楽教会の先輩修行生も様々な個性の持ち主ばかりでした。アクが強いとも言えますが、それぞれに神さまのお役に立ちたい、大坪総一郎初代合楽教会長のお役に立ちたいと熱願し、競うように磨き合っておられました。私はそんな先輩方の後にしがみつき引っ張って頂きました。心のキレイな人ばかりでした。ブラジルでアメリカで、そして韓国 、日本の様々な地で修行生の頃と変わらぬ熱き想いを抱き、先輩方が布教の庭に立たれています。それぞれの味わいを出しながら。私も亀有で大先輩の教会長が存分に御用に打ち込むことが出来るよう、心配りと手間を惜しまないことを大切にしなければ~と、私なりに三浦大根から教えられました。

春を迎える前に

今朝の教祖さまみ教え
御理解第77節「人の悪いことを、よう言う者がある。そこにもしおったら、なるたけ逃げよ。陰で人を助けよ。」

毎晩、夜ご祈念の後に玄関の戸締りをします。ひととき外に出て夜空を見上げ一呼吸するのが楽しみです。星の話になると尽きませんので街の灯りについて、この季節限定で玄関先の通りから見える街灯があります。亀有駅前のイトーヨーカドーです!なぜびっくりマークかと言いますと、葛飾区は勾配が全く無いので地上に立つとその周りの建物しか見えません。しかも目の前にある桜並木は、すぐ近くの学校やマンションも隠し、しばしば道を尋ねられることも・・・。なのに駅前の建物が見えるのはなぜか?桜の葉がないからです。
とは言え昼間は探すことが難しいのです。灯りが灯ることで姿が浮かび上がることで目に留めることができるのです。初めて気がついた時には相当の驚きでした。季節ごとの景色、小さな教会周辺の移り変わりもなかなか発見多しです。

みんなでワイワイ

今朝の教祖さまみ教え 御理解第79節
 「商売をするなら、買い場、売り場というて、もとをしこむ所と売り先とをだいじにせよ。人が口銭を十銭かけるものなら八銭かけよ。目先は二銭損のようでも、安うすれば数が売れるから、やはりその方が得じゃ。体はちびるものでないから働くがよい。」

今日は午後1時からの日曜勢ご祈念の後、来週の「布教功労者報徳祭」に向けて信者さんと共々に神前・広前洒掃に励みました。小さな教会なので御神具を抱えて数人動くだけで大混雑している光景になります。それはそれでとても活気にあふれて、本当にありがたいお広前だなと、こちらもジワッとくるものがあります。
今年は金光教が立教して160年です。金光教には教祖さま直筆の日記のようなものがあり、一昨年にもメモ帳のようなものが数冊出てきたそうです。また直接教えを頂いて助かった方々へ、聞き取り調査したものもたくさんあります(各地を廻った100年前の先生方に感謝です)。160年というのは長い時間ですが、宗教としてはまだまだ助走期間なのではないかと思うのです。やっと金光教の真骨頂が現れてきているのが現在で、これからが楽しみです・・・と個人的な見方ですが・・・。
このお広前が御本部の金光さまの祈りを日々頂き、そして教祖さまの広前に現れたお働きが途切れることなく綿々と連なっていきますように日々、この広前に額ずき思うばかりです。