今朝のこと

今朝の教祖さまみ教え 御神訓
「一、神はわが本体の親ぞ。信心は親に孝行するも同じこと。」

土曜日は資源回収の日、近所4軒で集積所を使用していて、私は大体6時30分ごろ持って行きます。少し早いですが、プラスチックと燃やせるものの回収日はネットをかぶせる係なので、遅れないように気をつけています。今朝いつもの時間に行くとすでに資源が置いてあり、しかも丁寧にまとめてありました。「あれっどちらの家?」と思いましたが、そういえば二軒先の中古住宅に入られた方がいることに気がつき、丁寧に出された資源に朝から心洗われる気持ちでした。他のご近所さんも皆、時間を守り几帳面にネットをかぶせてくださいますが、新しく近所に来られた方もそのような様子なので奇跡すら感じました。大げさのようですが荒れている集積所は多いです・・・。
週に4回、隔週で5回の集積所利用、日々の暮らしの中で出る不用品、このことも私にとって大切な心行を育てる材料です。

今日の真心

今朝の教祖さまみ教え 御理解第67節
「何事もくぎづけではない。信心をめいめいにしておらねば長う続かぬ。」

毎日神さまのお働きの中に生きている実感、たとえそれがささやかなものでも。
今日は教会長のお楽しみ、週に一度の巡回入浴日でした。朝の9時に業者さんが来られ、準備から終わるまで1時間弱ほど、ヘルパーさん2名と看護師さん1名の体制で、とても丁寧に気持ち良くお仕事をして下さいます、ものすごい精神力だと思います。
お風呂に入るといつもより体力を使うので、お昼はお茶菓子程度でいいと言う教会長が、軽い食事を摂ってくださいます。今日はなにを準備しようかとお台所に立つと同時にお参りの方が!「こんにちは」とご挨拶に出ると即座に私へ袋を手渡されました。中には「とり五目おにぎり」が!だいぶ前にお嫁さんが買ってきた7/11(セ◯◯イ◯◯ン)のこのおにぎりがとても美味しかったので、いつか教会にお供えしたいと思っていたそうです。
実は教会長、テレビのCMで「今ならおにぎり100円!!」を目にする度に「あら、100円だって!」と反応するほどコンビニおにぎりに憧れており、絶対買ってこない私も心底驚き嬉しく、すぐに頂いてもらいました。お供えされた信者さんもとても喜ばれ、教会長もおにぎりの美味しさもさることながら、パラパラと小雪の舞う中、96歳の方が真心いっぱいでお参りされたことに大変感動されていました。
ささやかな出来事ですが、教会の営みがこのように貫かれていることは、価値あるものだなと感じています。ありがたく もったいなく おそれおおい日々でありたいです。

今昔

今朝の教祖さまみ教え 御理解第89節
「此方の道は傘一本で開くことができる。」

合楽教会の修行生時代、親先生の朝のお話の中で親奥様を例えにお話をされることが度々ありました。振り返ってみて今の私にぴったりだなという例え話は、毎日のお弁当や朝ごはんに悩まされる親奥様お姿です。親先生いわく「おかずを考えるほどの執念で『御神徳をいただきたいです』と言う願いを持ったら信心も早いよね」と・・・、確かそう言う内容でした。まだ気ままな独身だった私は「そうだ!私も御用に追われず、御神徳を頂くことを目指すぞ!」と、熱を高めていました。
あれから20年以上の年月が経ちました。まさに今、毎日のお弁当のことと家族の食事の内容を必死で考えている姿に苦笑いしています。ただ修行生時代に教えをシャワーのように浴び続けた時間は本当に宝物です。今ではタブレットなどで、どこででもみ教えを聞けますが、夜の暗いお広前でスタンドを点け、何回も御理解を頂いてはノートに書いてという、本当に貴重な信仰体験だったと思います。
親奥様や他の奥様方の御修行も今感じています。いつも導いてくださることに尽きぬ感謝の想い、これが私にとって安心の傘というところかも知れません。

今日の広前

今朝の教祖さまみ教え 御理解 第96節
「 世の人があれこれと神のことを口端にかけるのも、神のひれいじゃ。人の口には戸が閉てられぬ。先を知ってはおらぬぞ。いかに世の人が顔にかかるようなことを言うても、腹を立てな。神が顔を洗うてやる。」

お昼から主人は金光教東京センターでの御用に出仕、夜まで教会長と2人でのお広前御用でした。面白いことにいつも電話のお届けが度々かかりますが、こういう日にはありません。お参りや訪れる方もほとんどないです。静かなお広前でした。
日々色んな角度から「神様生きておられるな」と感じます。今日のように静かな日にも神さまのお優しさを感じるのです。教会長は長年の車椅子生活のため、度々体を倒し重心を変えたり、お尻に手を当てたりと、じっと座ることさえ大変な状態での御取次です。今日はどうやら静かなお広前の気配なので、車椅子のままですが、楽な体制を長く取っていただきました。お参りされる方は皆そんな教会長から元気を頂かれます。時には厳しいご教導もあります。これからも元気で命ある限り神さまのお手代わりを務められますよう、神さまのお優しさに触れながら私も使って頂きます。

素朴な願い

今朝の教祖さまみ教え 御理解第25節
「信心は大きな信心がよい。迷い信心ではいかぬ。一心と定めい。」

毎日神さまのお働きの中に生きているんだなぁと成長しているかはともかく実感します。
今日は教会長の身体の健康を(具体的には排便のこと)をお願いしながら、トイレをお掃除しました。ただ掃除するのもなんだか工夫がないかなと思いまして。お通じが滞ると教会長はすぐに食が細くなるので、気持ちいいお通じを願わなければならないと責任を感じ、心地よく日々御用していただきたいと願いました。畏れ入ります。その後トイレにお連れするとなんとお通じをいただきました!排便のリズムとしては、いつになく早かったので、神さますごいに尽きます。
なにからなにまで教会長の手になることは覚悟が必要で、時に塞ぎ込むこともありますが、こうやって神さまのお手伝いをいただきながら、毎日使ってもらえることは、やはりありがたいしもったいないです。大きく豊かな心を育てたいです。