11日

今朝の教祖さまみ教え 御神訓
「一、疑いを放れて広き真の大道を開き見よ。わが身は神徳の中に生かされてあり。」

毎月11日は東日本大震災復興祈願のご祈念を教会の者で奉らせて頂きます。若い頃ご祈念の時間は寝る時間とでも思っているように、半分も終わらないうちに平伏したまま寝入っていました。合楽教会での修行時代、及び金光教本部にある教師養成所でもお約束のように爆睡し、居眠り王者を競いました(競う相手は合楽教会長のお嬢様でした)。
思えば周りの人にどれだけコリを積ませたことか、歳をとったこともあるでしょうが現在ではご祈念の大切さを心から納得して取り組めています。祈ることは山ほどあり、あっという間に拝詞が終わります。復興祈願のご祈念は、ただただ亡くなられた方々へのお供えという思い、そして今でも仮設暮らしの方や、全国での様々な災害に直面された方々へ無心に祈りを込めさせて頂きます。
神徳の中に生かされているのは皆同じ、被災の内実は何も理解は出来ないと思いますが、今できるせめてもの思いで祈らせて頂きます。

和賀心dayと月例祭

日曜日は和賀心day、合楽教会の初代親先生が40年ほど前から願っておられた「1年に1日くらい和賀心中心の日があって然るべき」、その思いを受け亀有教会でも日曜日は和賀心dayと銘打って取り組んでいます。
さらに10日の月例祭が13時から仕えられました。月例祭は主婦の方のお参りが中心ですが、日曜日の場合はちょっと違います。会社が休みの方や、どちらかと言えば男性が多いです。今日は青年層の方とこれからのあり方について話ができればと予定していました。実際のところ若い方は1人だけのお参りでしたが、今年になって特に気になる方で、言うなら神様が寄り添っておられるように見受けられる様子なので、まずこの方と向き合うことを願われていると思い、祭典と共励会の後、少しの時間でしたが話し合う事ができました。
今朝は娘が6年ほど使っている携帯(ガラケー)のアラームが鳴り続け止まりませんでした。最近全く動かなくなることも多く、そろそろ買い替えの時期は来ているのですが、物だけではなく教会のさまざまな分野で切り替える時がきていると感じます。「節」です。あちらもこちらも楽しみです。

今朝の教祖さま御理解 第97節
「神を拝む者は、拍手して神前に向うてからは、たとえ槍先で突かれても後ろへ振り向くことはならぬぞ。物音や物声を聞くようでは、神に一心は届かぬ。」

成り行きメモ

何もわからないままホームページを開いて数ヶ月、信行(信仰の取り組み)の一つと思い、慣れないブログというものに取り組んでいますが、目指す2日に一度の更新さえままならず情けない事です。折しも合楽教会の師匠が「成り行きメモをつけなさい、降るように神さまのお働きがある事が見えて来るよ」とメッセージされる中、私なりにこの場所でやってみようかなとまず教会の成り行きメモをつけてみます。

今日は朝から雪が降り始めました。電車の運行状況を確認しつつ、子供のお弁当を作り送り出す事ができました。おそらくもっと降って休みになって欲しかったところでしょう。雪かきスコップは準備していますがここ数年出番がありませんが、今日は期待しています。
明日は月例祭、ご神前の撤饌洒掃です。初代教会長の髙松和子先生の口癖は「もう月例祭ね、早かね~」でした。十年近く1人で娘の現教会長順子先生のお世話をして、教会一切を取り仕切っていた徳者でありました。私と主人はその御用を分担しているのですが、それでも教会長に度々呼ばれると「ちょっと待って下さい」と言う言葉が出ます。和子先生が御霊になられて15年、大変なお方だったと年々存在感は増すばかりです。

今朝頂いた教祖さまのみ教え
御理解57節「金の杖をつけば曲がる、竹や木は折れる、神を杖につけば楽じゃ。」

桜通信 平成31年

本日立春なり。春とは名ばかりで寒さが身に凍みる・・・、これが例年。今年は驚くほど暖かく、一ヶ月取り組んだ寒信行の成就の日なのだが、なんとなく物足りないような・・・。

そんなわがままはよいとして胸躍るのが桜並木の変化だ。先週までは、くすんだ冬の色だった枝が光沢を帯びた薄桃色になっている。小さな枝は精一杯腕を伸ばすように天を仰いでいる。この時期の桜は、毎日見ていて飽きない。わざわざでは無いのです。洗濯物を干すベランダの鼻先にあるもので、日常の一部になっている。

まだ寒い日は訪れると思うが、最近は卒業式に桜が咲き、入学式は花吹雪なんてことも珍しくない。そして私の超個人的観点では、すでに桜の見頃は始まっている。亀有教会は亀有桜通りに面しているので、これからも桜通信はポツポツ続くと思われます。

早い~!!

ひと月の過ぎるのは歳と共に早く感じるが、今月はとびきりその感が強い。年明けで行事が多いこともあるが、初めての参拝者や若い方の切実な参拝、上京して10年経って地元以外の教会に初めて参拝された方など、普段の参拝者の方とともに様々なお取り次ぎが繰り広げられたお広前。

その間教会内部では教会長の寝具を新しくさせて頂いたことが有り難い。寝返りが出来ないので、マットレスの上に厚めの敷き布団、さらに海外某寝具メーカーの体圧が分散されるものを重ねているが、十年以上経ち腰の辺りが沈みやすくなっていたので、昨年師走頃、買い換えを検討していた。すると間髪を入れず「教会長先生の身の回りにお使いください」と一言を添えて、お供えが上がった。鳥肌が立った。すぐに手配をして現在気持ちよく休んで頂けている。

お参りされる方の一心と、教会家族の日常の歩調、狂わないように常に慣れは禁物であると自身に言い聞かせる。その緊張感を修行と頂くか、有り難いと頂くか、どちらでも神様は見守って下さると。一日一日積み重ねた今月、様々なお働きに畏れ入るばかりでした。