桜やドウダンツツジは葉を落とし、すっかり冬支度の亀有桜通り・・・、と言いたいところだが年越し前に最大の課題がこの教会を含む一局に訪れる。それは形を変えいたるところに入り込み、逃げようのない住人を途方に暮れさせる、太古より存在し化石と言われる植物、その名は『メタセコイア』・・・。
道路の向かい側、都営住宅にある三本の彼らはトップスターのごとく大トリで派手に落ちてくる・・・と言うより降り注いでくる。区内にある都立公園には1,500本のメタセコイアの立派な林があり、深閑として威厳すら感じる素晴らしいものだ。しかしここは住宅地・・・、北風吹きすさぶ朝玄関を開けると、辺り一面オレンジ色のじゅうたんが!メタセコイアの葉が行き場なく風に巻き上げられ徹底的に細分化され、舗装された道路に、歩道のブロックの目地にと入り込み、竹ぼうきで掻き出そうとするが手強い。近所の方はこの時期30分早く出て黙々と作業。
桜は葉も花びらも掃除すら情緒的だが、メタセコイアは力作業で、なんの感慨もない。
メタセコイアには当然なんの責任もない。人間の事情で不平に感じるだけだ。それでも毎年戦々恐々とこの時期を迎える。完全落葉までいかに和賀心を創れるか、それともブツブツ不平で終わるのか、これはホントに難題だ。
やせがまん
生活の折々に「がまん大会」のようなことをする。暑いとき寒いとき、包丁で手を切った
とき、頭をガツンと打った時などなど。
今年は寒が緩く用意したストーブは部屋の隅でお地蔵さんのようにたたずんでいた。そうなるとがまん大会開始で、朝だんだん寒さが足元から押し寄せても「なんのこれしき」と意地でも暖を取らない。他の家族がいる時はそんなことに巻き込まないが、大体毎年毎季節私1人の意地の張り合い。
ところが先日、教会長に師匠のお姉様ご夫妻から届いたメッセージに「・・・寒さを我慢するのは徳を受ける修行にはならないから暖房を入れるのですよ・・・」とあった。やせ我慢と辛抱は違う。わかっちゃいるけど・・・これはきっと私の妙な性分なのだ。それにしても徳者の言葉は的確で、その内容は暖かく胸に響く。
実のない「がまん大会」。我ながらいつまで続けるのかと思うが、素直になれない人がどうしたら神様のお働きに添えるようになるのか。我が身を通してこれからも不毛な実験は続く。
暖かいのは嬉しいが・・・
冬はどこに~、桜の葉は散りおえた今日この頃、暖かい日が続く。寒くなると教会長の体調に神経を尖らす(ちょっと大げさ)ここ近年だが、11月はそう冷え込まず、そのまま師走入りしている。気が緩みそうだ。
暖房費が抑えられて本当に嬉しい・・・なんて言ってられないと思うのが、虫が勘違いしていること。桜が間違って咲くなんてよく耳にするが、先月のモンキチョウに引き続き今月はシジミチョウが飛んでいるのを発見した。そうよね春だと思うほどの暖かさ。でも朝晩冷え込むのも確かで、昨日はまだ羽が新しい蛾が玄関を出たところに横たわっていた。外灯に寄っていたのだろうが、さすがに12月なのだ。
どうぞ昆虫たちが春に目覚めますように、人間も草木も昆虫も、日々神様のおかげを頂くしかないとつくづく思う。
陽光
教会前の桜並木もすっかり冬支度が整ってきた。木々の間からこぼれ落ちるものは暖かな陽の光だ。春はその枝いっぱいに花をつけ、夏には強い日差しをさえぎるほどの青い葉が茂り、秋には、それはそれは鮮やかな色とりどりの紅葉!そして今は全身に冬の光を受け、並木道にも暖かな光を落とす。
そこにあり続ける桜並木は、天地自然の底力を無言で語る。年々その迫力に感服するばかりだ。
おかしなご縁
食べ物の記憶は割と鮮明にあり、自分の食い意地に苦笑いするのが初めて合楽教会に行った時のこと。小学校2年生だったか、でっかい建物に入り絵本で見るような重厚な応接間に通され「父は何か間違いをしているのではないのか、ソファに座っても良いのか、怒られはしないか」とビクビクしていた。そのうち誰かが入ってこられ上座に座られ父と何か話を始めた。怒られずほっとした。
そのうちエプロンを着けた女の人が来て、テーブルの真ん中に置かれた菓子器、そこには銀色のセロファンに包まれた、いかにも子供心をくすぐるお菓子がこんもりと盛られていた。「これは誰に出されたものなのか、私たちか!?いやいや落ち着け、そんなはずはない、こんな立派なものを頂けるはずは無い・・・」私の心はそのお菓子を前に動転し心臓がドキドキするほどだった(誇張なし)。その様子に気がつかれたのか、上座の人が女の人に言って私と兄姉に一つずつ取り分けてくれた。それからが至福の記憶、銀のセロファンをそっと開けると、爽やかな甘い香りが鼻腔をくすぐり取り出せば、レモンの形をして薄いレモン味のホワイトチョコがふわふわのスポンジにコーティングされた洋菓子。甘くて優しくて、今までで最高のお菓子の記憶になった。
あれから40年近く経つ。あのレモンケーキは食いしん坊の私と教会との縁を取り持った、かけがえのない一つだ。
