日常

物事を思い通りに進められたら気持ちがいい、が、大体そうはいかない。
わが教会長は40年ほど前から手足が動かない。しかし五感と内臓は健康そのもので痛みやかゆみはある。日中は車椅子で御用を勤めているが身じろぎができないので、当然あちこち痛みが来る。その度に私か主人が呼ばれ、上体を前や横に倒したり腰に手を当てたりなどの手伝いをする。そして不思議なほど、こちらが何かに取り掛かったと同時に「倒して」と声をかけられる。調理を始めたり、米を研ぎ始めたり、雑巾を濡らした直後だったり。
教会長と共に生きて17年、いつも気持ちよくお手伝い出来ている訳もなく「あと5秒早く言って下さい」と不平を口にすることもままある。
「成り行きは神の働き」
生活のささいな中に稽古の材料は転がっている。そこに神様が渡したい本当のおかげがあると分かっちゃいるけど〜、自分の都合優先。昔師匠の書いたものに「二つの選択肢があるなら自分にとって不都合な方を選ぶといいね、神様の思いに近いよ」とあった。そんな師匠に助けられっぱなしの30年弱、若い頃の支離滅裂な自分には戻りたくもないが、弟子ですと名乗れるほどではなく。
まずは教会長の言葉を少しでも気持ちよい心で受けよう!なんと言っても一番ご修行されていることは間違い無いのだから。

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