実意を身に付けたい

今朝の教祖さまみ教え
御理解第63節「一粒万倍といおうが。一人がおかげを受けたので千人も万人もおかげを受けるようになるから、よい手本になるような信心をせよ。」

次の日曜日は布教功労者報徳祭、今日は準備の1つとして祭典を仕える教会長と主人の散髪に取り組みました。ど素人の自分がよくもまあ散髪などさせて頂けるものだと、毎回必死になって向かいますので、無事終わるとほっとします。
祭典前の週は当日お参りできない方が、前もって神さまへご挨拶に参拝されることがあります。また、お参りに行けるよう家族の都合に万事お繰り合わせを電話やメールで改めてお願いをなさいます。こういう実意な方々の信心実践から学ぶことばかりです。
小学3・4年の頃、父が縁を頂いて金光教が家にやって来ました。数年経っても特に家庭の中はなんの変化もなく、変わらず、だらしのない環境で育ちました。それでも時折、付いて行く共励会のお家はいつも夢の中のお城ように磨き上げられ、家のご主人や奥様は「神様はこういう笑顔なのかな」と思うように優しげで、同じ空間にいるだけで気分が良くなりました。家に帰れば現実は何も変わらず、口の中に砂が入っているような感覚に陥りました。
あれから長い年月が経ち、金光教に救われた私も助かりの一粒に・・・成れるほどには育っていませんが、今生き生きとした運命に生かされていることに、なにもかもお礼しかありません。

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