マントルのように

本日13時、亀有教会広前にて、高松順子教会長祭主のもと夏の平和祈願大祭がしめやかに仕えられました。皆の心が高揚したのは「神人の栄光」斉唱の時、中学1年の信者さんのお嬢様が伴奏に立たれた瞬間でした、今まで聞き慣れたこの曲でこれほど胸が震えたことはありません。金光教独自の典楽がこの小さな広前でお供えになるようになり5年、そして今度は転がり込んだ電子ピアノの購入により、そこに金光教の合唱曲の引き手がすでにいたというこの奇跡、それは成り行きの軌跡で人の思考など一切入る余地のないものでした。祭典後はお広前中でそれぞれの信心を発露され共励の輪が広がり、その熱量はまるでマントルの上昇のようだと眩しいように映りました。
とはいえ教会ではかつてないことが・・・、お祭りにつきもののお鏡の注文をしそびれていたという・・・、しかもつい先日大鏡(姿見)のお供えがあったというオチ、楕円の大鏡だがしっかり自分の姿を見て磨きなさい、道は半ばですよと、神前のことは主人に全部任せっぱなしな部分を、自分も責任を持って確認くらいはさせて頂きなさいと指摘された気がします、子供たちの成長も一つの成り行き。今日も一日ありがとうございました、畏れ入るばかりです。

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