神事が珍事になっても

昨日、信者さんが所有するマンションの新築落成奉告祭奉仕のため現地に出向しました。祭典の後半で四垂(よたれ)という幾重ものシデを括り付けた大榊を部屋の四隅で振る神事があるのですが、こともあろうか二箇所目の所で大榊を振った際、その四垂がスポーン!ととれてしまう神事ならぬ「珍事」を引き起こしてしまいました。一瞬「どうしようか!」とも思いましたが、すぐさま吹き飛ばしてしまった四垂を拾い、大榊に括り付け直して、その後も何事もなかったかのように神事を続行させて頂きました。

儀式や祭典ではいかなるトラブルや予期せぬことが起こったとしても、そのことにとらわれず淡々と対処し、流れや厳かさをとめないことが原則だからです。お互いの人生の上にも通ずることかもしれませんね。

今日は私エドが綴らせて頂きました。ありがとうございました。

“神事が珍事になっても” への1件の返信

  1. 人生には色んな事がありますよね。思いもよらなかったことや想像もしなかったことが起こります。それもこれも全てが神様の働きだと言われます。心の軸をそこに置いてさえいれば粛々とそれぞれの出来事を受けていけば、物事成って行くのだと思います。信じて任せる日々稽古です。今日も1日宜しくお願いします🙇‍♂️⤵️合掌。

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