美しい食事

大人一人が通れるほどの境内地に小鳥の置き土産か、二本の南天が生えかれこれ6,7年、毎年花が咲き実を付ける。昨年の暑さと雨の少なさをものともせず、たわわに実を付けた見事なお姿、お正月のお飾りに重宝している。そして数年前からお客様の訪問が始まった。

「ギーギー」と乾いた空を突き抜ける声、数羽のヒヨドリだ。仲間で合図でもしているのか。鳴き声が止み部屋の中から南天をのぞくと・・・、一羽が見張り番に立ち、もう一羽が上手についばんでいる。食べたら一旦二羽とも飛び立ち、またしばらくして同じようにやって来る。役割分担に感心。一羽が食べる量は5粒ほど、たくさんの実をあちこちつつくことはなく、残った実は整然と並んでいるから驚く。

教会広前御結界の窓から見えるこの風景、実はヒヨドリのことは鳴き声がうるさい鳥くらいにしか思っていなかったが、その行動の秩序ぶりに何と節度のある食事だろうと麗しささえ抱いている。必要なものを必要なだけ頂く、思えば人間以外はそうやって生きている。小さなヒヨドリの生態に教えて頂く自然に沿った生き方。ちなみに南天よりも千両の実を好んで食べる。好物があるところもまた趣があっていい。

夫が病になる 其の二

結婚以来初めて経験した夫の病気、これは一大事と受け止めたのは夫が教学研究所時代「米といえば末永」と肩書きがつくほど(変だが)米大好きな人が、米を食べられなくなった。普段一食につき一合半は食べる夫は、初めてのおかゆ生活に突入、なんとお米太りしていた身体が多少すっきりとしてベルトの穴も緩くなったようだ。夫は回復後もお粥食は続行すると決意。「寒信行ならぬ粥信行だね」とは本人の談、口をつく冗談も平常に戻ったようだ。

病気が治ったことの有り難さ、今まで健康で休まず御用を務められたことの有り難さ。なにより毎日食べる米の量に若くもないのにと心配していたが、そうではなく、これまでおいしく楽しく有り難く食べさせて頂いたことに感謝、そんな思いを込めてお米を研がせて頂こう。

夫が病になる

結婚して18年、亀有教会に来て17年と5ヶ月、その間私の気持ちがジェットコースターのような速さで浮き沈みする事はあれど夫は常に調子を崩さない。精神面でも身体面でも非常に安定の人だ。義理の父母がすさまじく豊かな精神性を持ち合わせており、信仰も相まってこういう人間に成長したと思われる。彼の妹も同じく。

そんな夫が発熱した。しかもだいぶ高く3日ほど続いたか、その間体の痛みもあるようで「アイタタタ・・・」と行動していた。完全に布団に横になる事はそれはそれで腰などが疲れるようで、起きて何か出来る事をやろうとウロウロしている。これまでにはなかった状況に私はうろたえ、共に教会生活は変化無きよう努めたが、夫の姿に心配と言うよりも「えっ、まだ熱あるの」「何よその歩き方」などと湧き出てくるのは不足だった。

子供の変化は信仰の材料に繋げやすいが、夫は難しい。同士としての存在なので「頑張れよ!!」とハッパをかけたくなる、口にしませんが。しかし夫はこれまで私がどうあろうといつも受けてきた、なので感謝している。こうやって夫の初めての病を頂いて、今年の特別感を否応なしに味わっている新春の日々であります。

変化球な お年玉

休みの日であろうと規則正しい長女が発熱した、始業式前日の事。症状からインフルではなさそうなので安静に、そして初代教会長が「病気の時は栄養があるものを食べさせなさい」と言いつつ時折幼い長女にこっそり食べさせていた高級アイスを準備した。熱は一日で下がり念のためもう一日休んだ後、いつも通り登校した。

幼稚園、小学校の年末年始は毎年恒例で病だった長女、溶連菌やら水疱瘡やら其の内容もさまざま。ちょうど行事も重なる年末年始、主人と休日当番医を探し夫婦で出るわけにはいかないのでどちらかが病院に連れて行った。症状がひどい時も長女は終始和やかで苦しそうな顔を見せる事はなかったが、私たちの慌てぶりに引け目を感じていたのかもしれない・・・。

親になるとはこういうことの連続から逃げ出さない事なのかもしれない、とすると、厄介な仕事やめんどくさい人付き合いを大切にする人が、人間として非常に豊かな事にも納得がいく。私の場合子供を通して自分の性格や性質にハッとさせられる事が多い。年始早々の体調不良というお年玉、でもあんまり頑張りすぎないでねと長女に言いたい。

もう一週間

今年になり一週間が過ぎた。一日に元日祭を頂き、今日まで新年のお参りが続く。テレビではあちこちの神社仏閣が初詣で溢れる様子を映し出す。無宗教時代と言われて久しいが、結構な人が一年の家内安全や商売繁盛を願いに詣でる。祈る姿は美しいと思う。自分の無力さが率直に体現されているから・・・。
どんな時代でも人は祈った。遠い記憶の母の実家には、かまどの側に神様が祀られていた。仏間とは別の間の高い所にも何か祀られ、祖母が毎朝それぞれにこんもり盛ったご飯を供えていた。きっとどこの家でも見られた光景、日本は八百万の神様の国、祈りは魂の欲する行為なのかもしれない。
私たちの祈りは「世界真の平和総氏子身の上安全」、とても大きい。しかしそのためには実践的願い「体の丈夫、家庭の平和」などがあり、生活がどれだけ信心に基づくかが問われる。教えを何度も反復すること、一日三回の御祈念、家庭のあり方(子供との関わりや教会長のお世話)など、金光教亀有教会は教祖様の教えを鏡とし、今年も地道に取り組みます。