教えの価値はどれくらい

今朝の教祖さまみ教え
御神訓「一、 わが心でわが身を救い助けよ」

久しぶりにおひさまいっぱいの1日、雨の日だと手のつけられない事を朝から一つ一つ片付けさせて頂きました。合楽教会の初代が毎朝毎行事に残された教話を聞きたいので、タブレットを持ち歩き作業しながら流します、時にはベランダでも。本音を言えばなかなか集中して頂くことは難しく、目の前の作業にどうしても一所懸命になってしまいます。教話を頂くための時間を取ればよいのですが・・・ともかく何かしながらでも上手にお話を頂ける工夫を実験中です。
金光教は教祖さまが直々に書かれた信仰の遍歴が残されています、その裏付けは後々の先生が丁寧にしてくださり、また合楽教会の初代は自らの話に信心履歴を残され、お子様たちが裏付け作業を徹底的に取り組まれています。これはどちらも金光教の信仰は「夢物語」ではなく、今日の御神訓のように信心すると皆が「わが心でわが身を救う」ことが身につくということのお手本として必要で、余すことなく開示して頂いているのだと思います。
あたり前のように和賀心の道を渡して頂いている、もっと驚天動地なくらいの新鮮さとありがたさをもって受け取らねばと修行生魂は募るばかりです。

春の雨

今朝の教祖さまみ教え
御理解第96節 「世の人があれこれと神のことを口端にかけるのも、神のひれいじゃ。人の口には戸が閉てられぬ。先を知ってはおらぬぞ。いかに世の人が顔にかかるようなことを言うても、腹を立てな。神が顔を洗うてやる。」

2人の子供の期末試験、上の子は今日から、下の子は一週間後、同時ならいいのになと親の都合で考えますが成り行きは神の働きですから、それを楽しみにすごしています。
上の子は着々と準備してエンジン全開で試験を迎えます、下の子はいつもと変わらずのんびりとしています。性質というのは神さまからの賜りものだなぁと思い知らされます、上の子は迷路に例えるとヒントがわかりやすく楽しくここまできましたが、下の子は幼い頃から体も弱く気を割くような思いで進むべき道を手探りながら今もあります。
今日頂いた御理解は亀有教会での御用の中で、身をもって経験させて頂くことが本当に多い内容です。時には教会長にどうしてこんな嘘がまかり通るんですかと食ってかかった事もありました、子供達の進路についても周りの人の色んな思いを味わうことがあります。若い頃なら辛抱出来なかったことでしょう、しかし今はこの程度で辛抱なんて恥ずかしいと、ただ自分が小さいんです、そのことに気がつくためにこの教会の御用を頂いたとつくづく思うのです。
今日は内裏様とお雛様飾りを片付けました、また来年も宜しくお願いします。

東京マラソン

今朝の教祖さまみ教え
御理解第99節 「無学で人が助けられぬということはない。学問はあっても真がなければ、人は助からぬ。学問が身を食うということがある。学問があっても難儀をしておる者がある。此方は無学でも、みなおかげを受けておる。」

例年亀有教会の布教功労者報徳祭と同じ日に開催されていた「東京マラソン」、今年は一週違いの開催となりました。なぜか毎回雪が混じるような寒さの中なので、3月なら暖かいからランナーの方良かったねと話していました。ところが天候が一変して夜からの雨予報が前倒しで早朝から雨、しかもどんどん寒くなる一方。選手や市民エントリの皆さん、たくさんのスタッフやボランティアの無事を祈らずにはおられませんでした。
そんな中お昼頃テレビをつけると、ゴールした選手の様子や、走っている方のインタビューが流れる場面が流れ、ふとコースは下の子供の学校の側だったことに気がつきました。「学校映るかもよ〜」とたわ言のように子供に言うと、なんとほどなくして学校横の道を通過するランナーにインタビューしている様子が流されました、校舎もどーんと映り込み!
ただこれだけのことですが、雀の涙ほどもない祈りや思いであっても、神さまがお聞き届け下さったねと教会長と共に感じ入りました。悔しくも途中棄権した選手もいらしたようですが、大会が滞りなく終了したことに御礼申し上げます。ちなみ亀有教会の信者さんも数人この大会に申し込まれますが、倍率高く今年もおられませんでした。

深い愛情

今朝の教祖さまみ教え
御理解第95節 「世には神を売って食う者が多いが、此方は銭金では拝まぬ。神を商法にしてはならぬぞ。」

明日は桃の節句、ご神前には初代教会長和子先生が教師になる以前からずっと持ち歩かれたという、小さな小さなこけしの内裏とお雛様飾りをこれも小さなお盆に並べてお供えしています。五人囃子が四人囃子になった以外は、ぼんぼりから桃橘まで小物が揃っているのに驚きました、和子先生は現教会長の娘の順子先生が身体障害者になられても、変わらず毎年修行生時代も部屋にお飾りになっていたそうです、もちろん亀有に布教されてからも。
少しですが和子先生の想いに触れることができるのがこのお雛様飾りです、可愛い盛りの長女を亡くされ、後を追うように夫を失い、それでも合楽教会の初代のお導きにすがり東京で必死に働き、父親は教会参拝から自転車で帰る道中交通事故で死去。神様のお育てと奮起し、一人残された娘を育て嫁に出すことを夢見て生きていた、その娘が坂を転がるように身体の自由を失っていく姿を、いったいどんな心で受けていかれたのかは計り知れません。
和子先生、桃の節句ですよ。

親さまの願いのなかで

今朝の教祖さまみ教え
御神訓「一、 障子一重がままならぬ人の身ぞ。」

とても暖かい三月初めとなりました、教会長の巡回入浴日でしたのでなによりもありがたく。午前中にお風呂を頂き、午後は月初めの月例祭をお仕え頂きました。車椅子生活40年近いこのお方は今日も元気にご教話まで務められ、お参りされた方々もひと月の指針を頂かれたことと思います。大したことだなと、神業だと感じ入ります、生きる全てのお手伝いをしていますが、この方なら私でなくとも誰でも身の回りのことを喜んでお世話されることでしょう。
「障子一重がままならぬ」というこのみ教えは私の中でくさびとも言える内容で、頂くとドキリとします。そのわずかな油断で過ちを起こす自分なのだと、ゆめゆめ忘れるなと神さまが月の初めに念を押して下さった思いがします、大きな節目だからこそ。
今日の晩御飯はカレーライスにしました、今もそうなのか分かりませんが修行時代合楽教会月例祭の夜はカレーライスでした。ありがとうございました。