お顔は知らないけれど

教会長はほとんど記憶にないという父方の祖母、今日は31年の帰幽日でした、それはそれは苦労の教会生活の中に五男一女を育て、あまりの生活苦に子供たちは信仰から離れましたが、後に4人がお道の教師となり皆信心を受け継いでいます。当時を知る方から「奥様は大変だった」とかいつまんだ話を聞いたことがあります、それを思うにつけ徳積みの修行を無駄にしてはならないと胸を震わせるのです、信心辛抱の徳を残されたおばあちゃん、たーっくさんの子孫があちこちでがんばってますよ。

桜並木は令和の大改修工事中です、通りがかりにちらっと見ていると、道路を作る工程について学べてとても面白い、何に活かせるわけでもないですが知らない世界は楽しいものです、今日も一日ありがとうございました。

“お顔は知らないけれど” への1件の返信

  1. この道の教えに、神を信ずる稽古、神に信じられる稽古が信心とあります。どんな場合でも、ここからの信心、おかげを頂く素、お徳を頂くチャンスだと。私達の生活の中で、日々の出来事を通して、そう言う思いになることはないと思います。それでも日々繰返しの稽古をするなかでは、少しずつ本当に少しずつですが、知らず知らずのうちにそういう思いになっていくから不思議です。何かを信じるということは大きな決断と覚悟が必要かと。やはり大切なのは今自分に出来ることをさせて頂くことだと思います。久留米は今日も秋晴れです。今日も1日宜しくお願いします🙇‍♂️⤵️合掌。

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