神様の「お知らせ」 を祈祷師のように祈念を込めて頂くことはないです、 思い返せばそうだったか〜ということは度々あり、 これは信仰というより第六感的なもので、 皆さんも経験あるのでは?。 教会長の帰幽前夜、下の子が見ていたゲーム実況のyoutube、 検索画面になぜか宝塚のスターさん退団日のお見送り映像が出現、 教会長と同じ誕生日の方で教会長もすぐに覚え、「アズ」 と愛称で呼び気にかけていました。 退団は3年以上前で特別に検索したわけでもなくポッと出てきたこ とは今も謎、急変しお布団に横たわる教会長の側で、 私に覚悟を促した「お知らせ」の一つです。
ガソリンスタンドで見かける洗車マシーンに街がすっぽり入ったよ うな午前中で、外壁のホコリは相当落ちたでしょう、 共々におかげを頂いた一日をありがとうございました、 明日もよろしくお願いします。

私はこの道の教えで一番好きな言葉は働きという捉え方です。以前学んだ立命館大学の歴史学の先生が金光教を一言で言うと働きの宗教だと。こんな教えは他の宗教にないものだと。私達の日々の生活において様々な出来事が起きます。その時に判断する材料は自分が今持っている知識の中で、こうすべきたと決定し実行します。そこに働きという捉え方は存在しません。まして神様に全てを任せるという考え方などないのだと思います。私は今までの体験を通して、実験実証してこの捉え方を学び、働きと任せるという考え方にたどり着きました。日々稽古ですね😃今日も1日宜しくお願いします🙇⤵️合掌。